松平町(まつだいらちょう)は、愛知県豊田市の町丁である。
概要
豊田市の南部に位置し、松平地区(旧東加茂郡松平町の町域にほぼ相当する)に属する。町域全体が山野に覆われ、西低東高の地形を成す[注 1]。松平川が東から西へ、ソウレ川が北から南へ下っており、合流して滝川となり、町域を越えた遥か西方で巴川に注ぐ。町域の中央やや南寄りを国道301号が大きく蛇行しながら東から西へ横切っており、とりわけ「根引峠」と呼ばれる峠を越えた先はつづら折りと延々たる下り勾配が続いている。集落は主に町域西部から北部にかけて分布し、大きな屈曲を終えた国道301号と古来羽明(はあす)道と呼ばれた市道との交差点を中心とした松平、国道から分岐し松平川に並走する市道に沿った森下、北部の急斜面上に民家が点在する沢連(そうれ)などがある。東部の山林地帯では国道301号より林道松平坂上線が分岐して北部へ走っている。沿道にある松平郷展望テラスへは松平郷からの遊歩道が伸びており、徒歩でのアクセスも可能である。南部では林道根引線が滝脇町へと通じていたが、2003年(平成15年)7月1日以降通行禁止となっている[1]。
松平氏発祥の地として知られている。当地での松の生い茂るさまをもって松平の名が冠されたという伝承があり、旧松平村、松平町の村名の由来ともなった地域であるが、松平地区における行政・経済・文教の中心は西方の巴川河岸の九久平町付近にあり[注 2]、松平町にはむしろ、町はずれの静かな山村といったたたずまいがある。松平氏居館跡・高月院・松平城址といった黎明期松平氏・江戸時代の松平太郎左衛門家にゆかりのある史跡が多く、また松平東照宮が鎮座し、近年には松平郷園地や松平郷展望テラス、遊歩道(「ふるさと小径」と呼ばれる)などが整備されており、これらが松平郷と総称され、町の大部分が一種の史跡公園の体を成している。
歴史
沿革
世帯数と人口
2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 9]。
寺社
松平東照宮本殿
- 八幡神社-松平東照宮
- 所在地は字赤原。誉田別尊(応神天皇)、松平宗家初代松平親氏、松平宗家第9代徳川家康、その他6柱を祭神とし、立身出世、政治、安産、厄よけに御利益があるとされる[21]。境内にはかつて松平親氏をはじめとする松平太郎左衛門家が代々継承した居館があり、松平氏の屋敷神として若宮八幡が奉祀されていたが、1619年(元和5年)に久能山東照宮より徳川家康の分霊が勧進され、後に居館が廃絶した後は東照宮としての色彩が強くなる[22]。1965年(昭和40年)には松平親氏も合祀され[WEB 10]、八幡神社と東照宮を併せて松平神社に改称され、1983年(昭和58年)には現在の名称となる。境内には、昭和時代初期に建てられた現在の本殿、本殿の右脇の参道を進んだ奥に旧社殿が移築された「産八幡の宮」、資料館となっている「松平郷館」、在原信盛が掘削し松平家が代々使用したという「産湯の井戸」などがあり、また、境内の周囲に張り巡らされている水堀と石垣は松平太郎左衛門家第9代松平尚栄によって築かれたといわれる。
高月院本堂
稲荷大神
- 稲荷大神
- 所在地は字柿平。
- 神明社
- 所在地は字藤伝田。境内は松平親氏の行場跡とされ、岩屋堂然たる小さな祠のほか、観音堂がある。
- 天台宗長福寺
- 所在地は字大西。山号は真永山。本尊は薬師如来。平安時代初期の貞観年間(859年-877年)に、円仁(慈覚大師)によって薬師堂が建立されたといわれ、長福寺としての開基は1443年(嘉吉3年)、松平太郎左衛門家第3代松平信広あるいは松平親氏室の水姫であったとされる[27]。
- 真宗大谷派是心寺
- 所在地は字神田。山号は連松山。1822年(文政5年)の建立。2012年(平成24年)3月現在、境内は更地になっている。
ギャラリー
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松平東照宮境内
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松平東照宮奥の宮
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高月院山門
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松平親氏公行場跡
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観音堂
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是心寺跡(更地となっている)
施設
松平親氏公像
- 松平郷園地
- 松平東照宮から高月院にかけてのおよそ0.02平方キロメートル(2ヘクタール)の敷地が「松平郷園地」として整備されている。園地の入口には、7対の石柱を両沿いに配した奥手に松平親氏の銅像が立つ参道があり、黎明期松平氏8代を象徴しているという。高月院への参道沿いの「室町塀」や「冠木(かぶき)門」は松平氏が勃興した室町時代の歴史景観を象徴し、並走する小道は「あやめ恋路」と呼ばれ、松平親氏と夫人である水姫(すいひめ)とのロマンスをイメージした親水緑道となっている。明治時代から戦前まで使用された氷室などもある[WEB 13]。自然園地としての側面もあり、初夏になると2000株のハナショウブと2000株のアジサイが一斉に咲き誇り、秋は紅葉の名所ともなる。トンボ沼にはハッチョウトンボが生息している[WEB 13]。
文化財
指定文化財
絵画
- 弁財天の図
- 豊田市指定文化財。1972年(昭和47年)2月24日指定。高月院所有。室町時代初期の作とされ、作者は不明だが松平宗家第5代松平長親が寄進したものといわれる。清楚な美女として体現された弁才天を中心に宝珠を手にする多くの童子の姿が描かれた縦94.5センチメートル・横40.0センチメートルの大和絵で、弁才天の像容は『金光明最勝王経』に基づく8臂像である[WEB 14]。
彫刻
- 木造松平親氏坐像
- 豊田市指定文化財。1972年(昭和47年)2月24日指定。松平太郎左衛門家所有・松平郷館保管。座高30センチメートルの寄木造による木彫像で、玉眼がはめ込まれた上で黒漆塗りで仕上げられている。室町時代に彫られたもので、松平親氏自身の手によるものとも言われている[WEB 15]。
文書
- 高月院文書(もんじょ)
- 豊田市指定文化財。1972年(昭和47年)2月24日指定。高月院所有。室町時代から江戸時代にかけての古文書であり、構成は7通の書状と31冊の古書[WEB 16]。
有形民俗文化財
- 野風炉(のぶろ)
- 豊田市指定文化財。1972年(昭和47年)2月24日指定。高月院所有。野点(のだて)を行うときに使用した携帯用の風炉(ふろ、ふうろ)で、江戸時代のもの。
無形民俗文化財
史跡
- 所在地は字赤原。現在の松平東照宮の境内全体が松平氏館跡である。
松平城址(郷敷城址)本丸跡
- 松平城址
- 所在地は字三斗蒔。別名を郷敷(ごうしき)城といい、御城山と呼ばれる標高298メートルの山を覆う山城である。応永年間(1394年-1427年)に松平親氏が築いたとされ、松平太郎左衛門家第3代松平信広の頃から戦時の拠点として利用されてきた[28]。頂上には直径25メートルほどの円形をした本丸跡郭があり、西方の山腹には頂上から順に下って二の丸跡郭、三の丸跡郭、さらにひとつの郭が認められる。西方を除けば御城山の周囲は急峻な斜面で、本丸より15メートル下った山腹には空堀が「コ」の字型に200メートルの長さに渡って取り囲んでいる。その他、櫓台と思われる遺構や井戸跡などが残っている。文禄年間(1592年-1596年)に破却されたといわれるが、はっきりしたことは分かっていない[28]。
- 高月院
その他の文化財
古墓
- 在原氏墓所
- 所在地は字赤原。松平郷の開祖である在原信盛、松平信重、その娘で松平親氏の夫人となった水姫(すいひめ)の墓がある。
- 高月院古墓
- 所在地は字寒ケ入。高月院の本堂より左奥手にあり、石壁と石扉に囲われた中に松平親氏、松平宗家第2代松平泰親、松平太郎左衛門家第4代松平親忠室のものとされる宝篋印塔が安置されている。また傍らには第9代松平尚栄、第10代松平重和の墓も残っている。
- 松平太郎左衛門家墓所
- 所在地は字生ケ塚。松平太郎左衛門家第11代松平信和以降の歴代当主の墓がある。
古窯
名木
祭祀・イベント
- 松平東照宮例祭
- 毎年4月に行われる松平東照宮の例祭。徳川家康の命日である4月17日の直前の週末に行われる。試楽祭は土曜日にあり、「産湯の井戸」で御水とりが行われ、手筒花火が奉納される。本祭は翌日日曜日にあり、松平八幡宮から高月院までの間で「神輿渡御」と呼ばれる古式に則った武者行列が展開されている[WEB 18]。
- 天下祭
- 松平親氏の偉業を称える裸祭りの一種で、毎年2月の第2日曜日に行われる。下帯姿になった厄年の男性たちが、触れると厄が祓われるという木製の玉(「水玉」と呼ばれる)を奪い合う[WEB 18]。
その他
日本郵便
脚注
注釈
WEB
文献
- ^ 現地標識より。
- ^ a b 『松平町誌』:161ページ
- ^ 『松平町誌』:162ページ
- ^ a b 『松平町誌』:163ページ
- ^ 『松平町誌』:167ページ
- ^ a b c 『松平町誌』:236ページ
- ^ 『松平町誌』:228ページ
- ^ a b 『松平町誌』:339ページ
- ^ 『松平町誌』:334ページ
- ^ 『松平町誌』:339-340ページ
- ^ a b 『松平町誌』:341ページ
- ^ a b c 『松平町誌』:342ページ
- ^ a b 『松平町誌』:335ページ
- ^ 『松平町誌』:343ページ
- ^ 『松平町誌』:344ページ
- ^ 『松平町誌』:346ページ
- ^ a b 『松平町誌』:365ページ
- ^ a b c 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:21ページ
- ^ 八幡神社案内板より。
- ^ 松平郷案内板より。
- ^ 『松平町誌』:170ページ
- ^ 『松平町誌』:222ページ
- ^ 『松平町誌』:768ページ
- ^ a b 現地案内板より。
参考文献
外部リンク