松平町(まつだいらちょう)は、かつて愛知県東加茂郡にあった町。現在の豊田市松平町である。
松平氏・徳川氏の発祥地である松平郷を中心とした町である。昭和40年代の広域合併で豊田市に編入合併され、平成の大合併以前の豊田市の南東部の地域に該当した。
地理
愛知県のほぼ中央部にある[1]。美濃三河高原の南西端に位置し、西側は岡崎平野の一部となっている[1]。面積は43.84 km2であり、東加茂郡の自治体の中では最も小さかった。
矢作川やその支流の巴川沿いの町である。現在、町の西部は住宅開発が進み、東海環状自動車道豊田松平ICが設置されている。松平郷などの町の東部は山間部の農村地帯である。
隣接していた自治体
沿革
江戸時代末期、この地域は三河国加茂郡であり、交代寄合の松平郷松平家領、奥殿藩領、吉田藩領、旗本領、寺社領などであった。
教育
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
経済
江戸時代には岡崎城と足助を結ぶ足助街道が通っており、岡崎や足助との結びつきが強かった[4]。足助街道に沿って矢作川支流の巴川が流れているが、松平は巴川の最も上流の川港であり、物資を積み替えて足助に運ぶ拠点となっていた[4]。
自動車が交通の主流となった後も、岡崎市=足助町間には毎日10数往復の路線バスが運行されており、やはり岡崎との結びつきが強かった[4]。しかし、特に1960年代から豊田市が自動車産業で発展し、豊田市との結びつきが強まっていった[5]。1965年時点では669人が豊田市に通勤し、172人が岡崎市に通勤していた[5]。
神社・仏閣
娯楽・祭礼
- 弁天座 - 大正時代から昭和30年代まであった劇場・映画館。なお、1960年(昭和35年)の東加茂郡には、西盛座(足助町)、足助劇場(足助町)、小渡劇場(旭町)も含めて4館の映画館があった[注 1]。
- 金魚花火 - 大正時代から昭和30年頃にかけて、巴川の松生嶋付近で「金魚花火」という祭りが行われていた。近年、「巴川金魚花火」として復活した(後援:松平観光協会)。花火の前に地元男性が「雲助道中」を歌いながら九久平商店街を練り歩く[7]。
脚注
注釈
- ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[6]。
出典
- ^ a b 松平町誌編纂委員会『松平町誌』豊田市教育委員会1976年、p.1
- ^ 旧・所石村、簗山村、提立村、 椿木村、歌石村、大田村、茅原村、羽明村、大津村、大楠村、下屋敷村、杉ノ木村、仁王村、正作村、東宮口村、真垣内村、南篠平村、日明村、二口村。旧・下平村、岩谷村は盛岡村(後の足助町の一部。現・豊田市)に編入。
- ^ 旧・二本木村、西野村、重田和村、白瀬村、酒呑村。旧・霧山村、則定村は盛岡村(後の足助町の一部。現・豊田市)に編入。
- ^ a b c 松平町誌編纂委員会『松平町誌』豊田市教育委員会1976年、p.2
- ^ a b 松平町誌編纂委員会『松平町誌』豊田市教育委員会1976年、p.3
- ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
- ^ “巴川金魚花火大会”. 【公式】愛知県豊田市の観光サイト「ツーリズムとよた」. 2023年8月11日閲覧。
関連項目