シャルル・ペロー 『ロバの皮 』の挿絵。ハリー・クラーク 画。妃に先立たれた「青の国」の王は一人娘に求婚した[ 1] 。
文学における近親相姦 (ぶんがくにおけるきんしんそうかん)では、小説 をはじめとする文学 の題材として近親相姦 を取り扱ったフィクション 作品について述べる。歴史上または現実社会の近親姦について扱ったノンフィクション 作品等については本項では述べない。
概要
文学表象 における近親相姦は、人間関係の秩序に対する常識的想像力に揺さぶりをかけるモチーフとして用いられてきた[ 2] 。ジョージ・スタイナー によると、兄妹の結合から生まれた者のみが神々の黄昏と人間の曙光をもたらすことができるという伝記的、文学・芸術的な資料は山のようにあり、1780年から1914年まで、多くの伝記や戯曲・小説において近親相姦が描かれている。
西洋 では『オイディプス王 』や『ハムレット 』など、古来より近親相姦をテーマにした作品が生み出されてきた。『ハムレット』の扱っているのは亡夫の弟との結婚ではあるが、近親相姦的な意味合いを感じて悩む息子像が描かれる。17世紀 のジョン・ミルトン 作『失楽園 』ではサタン は娘と交わって子供たちを産ませた。トニー・タナー (英語版 ) はシェイクスピア の『ペリクリーズ 』から「文学において描かれる姦通 は過度の多弁を引き起こす場合があるのに対し、近親相姦は沈黙および発話の抑止を引き起こす」[ 4] と指摘している。
フランス においては、兄弟姉妹間の純粋な優しさとしての愛、また性的欲望を伴う愛がが描かれるのは、19世紀 以降の文学において顕著となる。19世紀の文学においてはそれ以前の時代よりも遥かに強く兄弟姉妹間の関係が描かれるようになるが、作家たちの人生においても、兄弟姉妹との親密な愛は感情生活の大きな要素をなしていた。スタンダール と妹ポーリーヌ、バルザック と妹ロール、エルネスト・ルナン と姉アンリエット、ウジェニー・ド・ゲラン と弟モーリス などがその例である。また、近親相姦が喜劇 として描かれる場合もあり、マルグリット・ド・ナヴァル の『エプタメロン 』では、実母と関係して得た娘と交わった男の話が描かれるが、シリアスなものではなく、一同の笑いを誘う滑稽譚となっている[ 7] 。
ドイツ のシュトゥルム・ウント・ドラング では、兄妹、姉弟の間の恋愛感情というのは非常に好まれた主題だった[ 8] 。
ミステリー小説 の分野においては、島田荘司 は「かつてアガサ・クリスティ の時代は、母と息子の性的関係や、母と娘の戦いといったことを題材にすることはミステリーの世界では倫理的に敬遠されていた」と述べている[ 9] 。
日本 においても、平安時代 の紫式部 による『源氏物語 』で義母と息子の近親相姦が描かれたことは有名である。雑誌『猟奇』の1928年10月号に掲載された兄妹の近親相姦を匂わせる夢野久作 の『瓶詰の地獄 』など、近親相姦は文学のモチーフの一つであった。性暴力 として描かれる場合もあり、太宰治 は1933年発表の短編『魚腹記』で「ぼんじゅ山脈」なる場所を舞台に、酒に酔った父に強姦 される娘の姿を描いた。太宰の故郷である青森県 津軽地方 に「梵珠(ぼんじゅ)山脈」が実在する。
近年では、1967年のガブリエル・ガルシア=マルケス の『百年の孤独』で甥と叔母の近親姦が描かれている。また、ロバート・A・ハインライン のいくつかの短編小説にも近親相姦は描かれている。
小説『ロリータ 』(ロリータ・コンプレックス の語源)で知られるウラジーミル・ナボコフ も、1969年の『Ada or Ardor』で近親相姦に満ちた家庭を描いた。J・M・クッツェー はナボコフとムージル を例に挙げ、近親相姦はかつて文学の大きな主題だったが、今はそうではなさそうだと述べている。その理由として、セックスを疑似的な宗教体験とする(故に近親相姦を神々に対する挑戦 とする)概念が霧散してしまったからかもしれないと予想している[ 10] 。
文学における近親相姦的家族
ジョン・フォード の『あわれ彼女は娼婦 』(1629年から1633年)は、多くの論争を引き起こした初期の例の一つである。
マルキ・ド・サド の『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校 』(1785年)、『閨房哲学 』(1795年)、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え 』(1797年)は、全て近親相姦 の詳細な描写で満ちている[ 11] 。
1969年に書かれたサミュエル・R・ディレイニー の小説、『ホッグ (英語版 ) 』もまた、近親相姦の詳細な描写が多く描かれている。ポール・ディ・フィリポ によると、ディレイニーは一般的とみなされる性的関係の境界を押し広げようとしていた[ 12] 。
ガブリエル・ガルシア=マルケス の百年の孤独 (1967年)では、叔母と甥の間で起こることを含む、近縁度が大きかれ小さかれ、いくつかの近親者間のセックスがある[ 13] 。他の文学作品では、双子の兄妹が精神が浄化されるような性行為を共有しているアルンダティ・ロイ の『小さきものたちの神 (英語版 ) 』のように、結果がそれほど重大なものではないことを示している[ 14] 。
ウラジーミル・ナボコフ の小説『アーダ 』(1969年)では、主人公ヴァン・ヴィーンの複雑な家系における近親相姦関係を重要に扱っている。主にヴァンと妹のアーダ、アーダと妹のリュセットの間に性的関係の明白な瞬間がある。ナボコフは、必ずしも近親相姦に内在する可能性のある社会的、またはその他の複雑さや結果を、他者から隠さなければならないタブーとして扱うわけではない[ 15] 。アーダで見られる近親相姦は、主に近親相姦関係を経験した登場人物の思索を表現するためのものだったと思われ、この時期のナボコフの小説における『ロリータ』の小児性愛や、『青白い炎 (英語版 ) 』の同性愛など「性的違反」の他の例と同様の効果を出しているものである。
ロバート・A・ハインライン の『愛に時間を 』(1973年)と『落日の彼方に向けて (英語版 ) 』(1987年)では、登場人物が近親相姦に賛成する主張をしている[ 16] 。
近親相姦及び近親交配 は、V・C・アンドリュース の作品において頻繁に扱われている題材である。『ガーディアン』のリジー・グッドマンは、近親相姦を他の暗い題材の中でも、「暗い」側面を探求するための「衝撃的だが必要な」題材として挙げている[ 17] 。
アン・ライス のメイフェア家シリーズ(1990年–94年) 3部作は、重い近交系 の魔女の一家について扱っている。論争の中で、ライスは彼女の小説が若い女性と自由な愛の選択者の代理を務めていると述べた[ 18] 。登場人物の一人、ある父親の子供は、彼の妹であり、娘であり、孫娘である。
V・C・アンドリュース (上記参照)の小説“ドーランギャンガー ”と銘打たれた小説群は、明らかに近親相姦が根本にあるダイナミックで非常に機能不全な家族を描いている『屋根裏部屋の花たち (英語版 ) 』コリーンは彼女の子供達に彼らの父親、クリストファーが半血叔父であることを明らかにする。その後、クリス・ジュニアは彼の妹キャシーをレイプする。続編『炎に舞う花びら (英語版 ) 』では、キャシーはクリスの子供を妊娠しており、流産する。本の終わりに、彼らは一緒に逃げて、結婚する。前編、『影の庭 (英語版 ) 』では、マルコムが彼の継母、アリシアをレイプし、その妊娠からコリーンが生まれた。マルコムはアリシアに支払い、彼女の息子・半血弟とコリーンのもとから去る。数年後、アリシアは死に、彼の息子クリストファーが留まる。それは、彼が半血姪だと思っているが、半血妹であることを知らないコリーンと会うということである。彼らは恋に落ち、後に一緒に逃げて結婚し、4人の子供を持つ。程度は低いが、このダイナミクスは、残りの2つのドーランギャンガーの小説『刺があるなら (英語版 ) 』と『昨日の種 (英語版 ) 』にも現れている。
近親相姦はG・R・R・マーティン のベストセラー『氷と炎の歌 』シリーズの主題を担い、シリーズ内では近親相姦のサディスティックな異常が描かれる(下記のフィクションにおける双子間の近親相姦も参照)。
シリーズが始まる前に7つの王国を統治したターガリエン王朝は、古いヴァレリアンの血統を純粋に保つという伝統を持っていることから、しばしば近親婚を行っている。これには、姉妹と結婚した最初のターガリエン王エイゴンと、ジェイへイリス2世とシャエラの兄妹婚によって生まれた狂王の通称で知られる最後の王エイリス2世の例も含まれる。
『ローグ・プリンス (英語版 ) 』と『王女と女王 (英語版 ) 』の主人公であるエイゴン2世は、全血姉妹であるヘラエナと結婚した。彼の半血姉妹のレイニラは、叔父のデーモン・ターガリエンと結婚した。
ワイルドリング・クラスターは彼の娘と結婚し、その結婚から生まれた娘とさえも結婚する。
ユーロン・グレイジョイ は子供の頃、彼の最年少の完全兄弟であるアーロンとアリゴンをレイプしたことが明らかになった。
J・R・R・トールキン の『シルマリルの物語 』では、記憶喪失 になっている間に近親婚が行われる。*J・K・ローリング のハリー・ポッターシリーズ における主な敵対者、ヴォルデモート卿は、いとこ同士で結婚することで知られるゴーント家の子孫である。
平岩弓枝 の小説『日野富子』(1971年) では、息子を自らの傀儡にしようとして交わる母が描かれる。
藤井重夫 の小説『家紋の果』では、息子が売春婦に使う金が欲しいからと母に身体を与える。
文学における双子間の近親相姦
創作における双子 間の近親相姦は「ツインセスト 」と呼ばれ、文学作品でもしばしば取り上げられる。
ドナ・タート (英語版 ) の1992年の小説『シークレット・ヒストリー (英語版 ) 』では、登場人物チャールズとカミラ・マコーレーは二卵性双生児 の双子兄妹であり、明確に性的な近親相姦関係を持っている。チャールズは後にカミラによって罵られるが、そのロマンチックかつ性的な関係はナレーションによって明示的に非難されない。
ツインセストはジョージ・R・R・マーティン のベストセラーファンタジーシリーズ『氷と炎の歌 』 (1996年以降)に影響を与えている。ドラマ化された『ゲーム・オブ・スローンズ 』では、いくつかのシーンが非合意ではないか議論され、一部の批評家は過度に搾取的ではないか議論を試みるよう指示した[ 19] 。ドラマでは、女王サーセイ・ラニスター (英語版 ) の子供は、彼女の双子の弟ジェイム・ラニスター (英語版 ) とセックスした結果生まれた子供だった。調査の結果この事実が明らかになるが、ロバート・バラシオン王は彼の妻の子供が不義の子供であったこと知る前に内戦で死亡する。
大江健三郎 の『同時代ゲーム 』(1979年)でも小宇宙と呼ばれている集落の重要人物である主人公の双子の間に近親相姦関係がある。双子の妹へ兄が出した手紙が歴史的資料として出版されているという設定で、投函前に著者が削除した手紙の箇所で行為の内容が詳細に書かれている。
文学における兄弟姉妹間の近親相姦
ファンタジーフィクション
サイエンスフィクション
歴史小説
トーマス・マン の『選ばれし人 』 (1951年) は、意図的ではない近親相姦の霊的結果を探求している。彼の短編『ヴェルズンゲンの血』もまた、ワーグナーによって明示的に描かれたジークムントとジークリンデの兄妹相姦について描いている。
キャロリン・スローター (英語版 ) の1976年の小説『ストーリー・オブ・ザ・ウィーズル (英語版 ) 』(アメリカ合衆国では『リレーション』で知られている)は、1880年代に起こった主人公キャシーと兄クリストファーの近親相姦関係を描いている。
ゲイリー・ジェニングス (英語版 ) の小説『アズテック (英語版 ) 』(1980年)の脇筋では、登場人物ミクストリと彼の姉ティチトリニの性関係か描かれる。彼らはその関係を両親や彼らの社会―死をもって罰せられる―から秘密にしている。子供時代から思春期にかけて、関係を持ったが、彼らは彼女の死によって離れ離れになった。その後、彼は何年も彼女のことを思い焦がれていた。彼はその後妻と娘を持ったが、両方死んだ後、彼はマリンチェ という女と性交するが、彼女は肉体的に自分の娘と酷似していた。
フィリッパ・グレゴリー (英語版 ) のワイドエーカー3部作の内の二つの本『ワイドエーカー (英語版 ) 』(1987年)と『フェイバード・チャイルド (英語版 ) 』(1989年)は、ワイドエーカー の中心的な女性キャラクターベアトリスは、彼女の兄弟のハリーと近親相姦する。彼女の二人の子供ジュリアとリチャードはハリーとの子供である。フェイバード・チャイルド では、リチャードがジュリアをレイプし、彼女が彼の子供サラ(またはメリドン)を妊娠していることを発見すると、彼女に結婚を迫る。フィリッパ・グレゴリーはまた、彼女の小説『ブーリン家の姉妹 』でも兄妹間の近親相姦を描いている。ジョージ・ブーリンは彼の姉妹アンとメアリーの両方とある程度の性関係を持っている。
A・S・バイアット の中編小説『モルフォ・ユーゲニア (英語版 ) 』(1992年)の終わりでは、 ヴィクトリア朝 の自然主義者—最近貴族 と結婚した—は、彼の物憂げで蠱惑的な妻と、彼女の兄の間で起こっている進行中の出来事を発見する。
ケン・フォレット の1989年の小説『大聖堂 』と、 同じタイトルの最後のミニシリーズは共に、レディー・レーガンと、彼女の息子ウィリアム・ハムレイとの間の近親相姦関係を描いている。
同時代フィクション
ロレンス・ダレル の『アレクサンドリア四重奏 』(1957年–60年)に登場するリザとラディックは姉弟である。彼女がデイヴィッド・モントリブという人と結婚するまで、姉弟は長い間性関係を持っている。
コーマック・マッカーシー の1968の小説『アウター・ダーク (英語版 ) 』では、近親相姦の結果産まれた子供を森に捨てて妹の元を去った兄のその後の暴力にさらされ続ける人生と自身の子供を探す妹の2つのパートを軸に物語が展開されていく。
イアン・マキューアン の1978年の小説、『セメント・ガーデン (英語版 ) 』では、両親が突然死し親不在の家で過ごす4人兄弟姉妹がお互いに緊張関係を持ちながら生活する姿が描かれており、その中でも特に主人公 のジャックと彼の姉のジュリーの緊張関係が強く、ついには近親相姦に至る。また、マキューアンは『最初の恋、最後の儀式』収録の『自家調達』という短編小説でもごっこ遊びの延長で近親相姦を行ってしまう兄妹を書いている。
ジョン・アーヴィング の1981年の小説『ホテル・ニューハンプシャー (英語版 ) 』は、ベリー家の生活を記録している。ベリー家の2人の姉弟、ジョンとフラニ―は、大人の時に近親相姦に発展する緊密さを共有する。
ペネロピ・ライヴリー の1987年の小説『ムーンタイガー (英語版 ) 』では、主人公クラウディア・ハンプトンと彼女の兄弟ゴードンが10代の頃に近親相姦していたことを読者に明らかにする。
吉本ばなな の1990年の小説『N・P 』では、複数の近親相姦関係が描かれている。語り手・主人公の風美は、第88話まで翻訳して自殺した彼女の恋人庄司が取り組んでいた高瀬皿男の英語で描かれた多くの物語の最後の話を翻訳しようとしている。風美は双子の姉弟乙彦と咲と知り合いの萃に出会う。最後の話に到達すると、風美は、萃は高瀬と売春婦の間に生まれた娘であり、また高瀬と性的関係になっていたことを発見し、それが庄司が自殺した理由だと知る[要説明 ] 。風美はまた、萃が乙彦と近親相姦していることを発見する。
ジョゼフィーン・ハート (英語版 ) の1991年の小説『ダメージ (英語版 ) 』(ルイ・マル の1992年の映画)は、近親相姦を暗示している。登場人物アンナ(演:ジュリエット・ビノシュ )は、彼女の欲望のために自殺した兄弟と近親相姦したことを示唆している。
ジェイムズ・エルロイ の1992年の小説『ホワイト・ジャズ (英語版 ) 』の主人公、デイヴィッド・ クラインは、彼の姉妹メグと近親相姦している。
ヘレン・ダンモア (英語版 ) の『ア・スペル・オブ・ウィンター (英語版 ) 』(1995年) は、孤児であるキャサリン・アレンとロブ・アレンが、祖父の祖国の荒涼たる環境で成長し、その関係が最終的に性的なものに進化する様子を描いている。
カルロス・ルイス・サフォン の小説『風の影 』(2001年)は、兄妹であり互いに愛し合っているフリアン・カラックスとペネロペ・アルダヤに焦点を充てている。性体験の後、ペネロペはデイヴィッドという子を生むことが明らかになった。彼女は、彼女の両親の嫌悪と恥のために、彼女の息子が生まれても彼女の父と母によって無情にも死ぬために放置されている。
半陰陽 について扱っているジェフリー・ユージェニデス の『ミドルセックス (英語版 ) 』(2002年)は、トルコ によるギリシャ への侵攻によってデトロイト に逃れた愛し合う姉弟から、稀な潜性遺伝子を継承した孫を描く。
同意ではない近親者間性関係
ジュブナイル
文学における親子間の近親相姦
1959年の小説『影なき狙撃者 』は、エリナ・イズリンと彼女の息子レイモンドの間の近親相姦と、エリナと彼女の父親の初期の近親相姦を描く。ただし、それに基づく2つの映画では近親相姦についてあまり明白にされていない。
父娘近親相姦
性的虐待
父息子近親相姦
性的虐待
母息子近親相姦
近親相姦は、タイトル・ロール の登場人物が知らずに父親を殺して母親と結婚するギリシア神話 が基になっているソポクレス の悲劇『オイディプス王 』において重要な要素である。この行動は、ジークムント・フロイト が全ての人の心理の深層に根付いているエディプスコンプレックス であると分析して20世紀に大きな功績を見せた。その女性の対応概念はエレクトラコンプレックス という。近親相姦はまた、オイディプスと彼の母親の間に生まれた4人の子供たちの人生を描いた『オイディプス王』の続編、『アンティゴネー 』においても大きな役割を果たしている。主人公は、両親のために自分と自分の兄弟が呪われていると信じている娘、アンティゴネー である。また、アンティゴネーはいとこであるハイモン と婚約している(しかし、当時の文化では近親相姦ではなく、今日でも世界の他の地域において近親相姦だとは考えられていない)。
ジョン・アーヴィング の『ひとりの体で (英語版 ) 』(2012年)では、母息子間の近親相姦が描かれる。母息子の近親相姦は、身体的には男性だが精神的には女性の、遺伝上の男性がジェンダーにおける不快感を解決するために行った失敗した試みだった。息子は結局変わらないままだった。
ジョルジュ・バタイユ の『マイ・マザー』は、母親と息子の関係を繋ぐ年代の物語である。クリストフ・オノレ の映画『ジョルジュ・バタイユ ママン 』はこの本に基づいている。
ネビュラ賞とヒューゴー賞にノミネートしたピアズ・アンソニイ の1967年のSF小説、『クトーン (英語版 ) 』は、主人公アトン・ファイブはカップルになる前に、彼を誘惑してきた女性が母親であることを見抜き、最終的にマリスの愛を獲得する。
ピート・ハミル の1977年の小説『ボクサー』は、母息子間の近親相姦と、両方が経験するその結果を扱う。それはアダルト映画の『タブー 』シリーズに直接影響を与えたと考えられている [要出典 ] 。
1994年のデヴィッド・O・ラッセル の小説『Spanking the Monkey』(通称:猿たたき)では、母と息子の近親相姦が描かれる。
同意ではない近親者間性関係
2010年のフランス・カナダ合作映画『灼熱の魂 』では双子の姉弟が死んだ母親の遺言に基づいて兄と父親を捜すためにレバノンに足を踏み入れる。母親はキリスト教過激派として活動していたが1970年に投獄され、レイプを受けるが、そのレイプを行った人物は彼女の息子だった。双子は彼らが1970年に母親と息子の近親相姦によって生まれたと発見する。彼らは、母親が用意した二つの封筒(フランス語で"父に"と"息子に"と書かれている)に書かれている兄と父は、一人の人物を指していたと知る。
J.T.リロイ の『サラ、いつわりの祈り 』(2001年)では、5歳のエレミヤは売春婦の母親から肉体的・性的虐待を受けている。
文学における他の大人子供間の性関係
チャック・パラニューク の小説『ラント (英語版 ) 』の主要な筋の一つでは、近親相姦とタイムトラベル の組み合わせを特徴としている。父、祖父、曾祖父をタイムトラベルによって一人にすることによって、自分自身の遺伝的な能力を大きく高めることができる。このような過程の産物である主人公は、例えば、嗅覚能力が大きく拡張されたり、知覚も優れるようになり、疼痛及び中毒の耐性も強くなる。
ロバート・A・ハインライン の2つの小説は、近親相姦を扱っている。『宇宙に旅立つ時 』では、トム・バートレットが光速に近い速度で移動する宇宙旅行から帰って来た後、彼女が赤ん坊の時からテレパシーで知っていた姪の孫娘と結婚する。『栄光の道 (英語版 ) 』では、主人公が母親とその娘達(18歳と13歳)から性的なアプローチを受ける―彼らの文化的基準では、多くの妻を受け入れた者が多くの賞賛を受ける―が、地上の束縛を受けるため、主人公はそれらの申し出を拒否するという不名誉を犯す。
ジョイス・キャロル・オーツ の小説、『ファースト・ラブ: ア・ゴシック・テイル (英語版 ) 』は、11歳のジョージーが彼女の大人のいとこ、ジャレッドの虐待的・性的関係を表現している。彼女が母親と叔母から受ける心理的・肉体的虐待は、ジョージーにジャレッドによる性的虐待が彼女に対する一種の愛情表明だと信じさせる。
近親相姦は、実行・想像問わずウィリアム・フォークナー の作品にも多く登場する。『行け、モーセ (英語版 ) 』、『響きと怒り 』と『サンクチュアリ 』が例である。
脚注
^ “第11回『ロバと王女』(1970年)” . シネマトゥデイ . (2015年5月29日). https://www.cinematoday.jp/news/N0073655 2018年7月28日 閲覧。
^ 新田啓子『アメリカ文学のカルトグラフィ』(研究社 、2012年)p.204 ISBN 978-4-327-47225-2
^ トニー・タナー 『姦通の文学』(朝日出版社 、1986年)p.71 ISBN 978-4-255-86013-8
^ 『愛の神話学―世界神話・文学・絵画にみる愛と苦しみ』(篠田知和基 、八坂書房 、2011年)p.168 ISBN 978-4896949797
^ 『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』(マリオ・プラーツ 、国書刊行会 、1994年)p.626 ISBN 978-4336024510
^ 深木章子 『鬼畜の家(文庫版)』p.385、島田荘司による解説。講談社、2014年(単行本は2011年発行)。ISBN 978-4062778251
^ J・M・クッツェー ・ポール・オースター 『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(岩波書店 、1997年)p.14 ISBN 978-4-000-24524-1
^ Schaeffer, Neil (2000). The Marquis de Sade: A Life . Harvard University Press . p. 102. ISBN 9780674003927 . https://books.google.com/books?id=zyiEW5XZ_poC&pg=PA122
^ Di Filippo, Paul (2012年4月22日). “Paul Di Filippo reviews Samuel R. Delany ”. ローカス . 2017年5月19日 閲覧。
^ Martin, Gerald (2009年5月27日). “'Gabriel García Márquez: A Life'” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2009/05/28/books/chapter-Gabriel-Garcia-Marquez.html?pagewanted=all&_r=0 2017年5月19日 閲覧。
^ Prasad, Amar Nath (2004). Arundhati Roy's The God of Small Things: A Critical Appraisal . Sarup & Sons. pp. 238–239. ISBN 9788176255226 . https://books.google.com/books?id=6q-5VBK2vrEC&pg=PA238
^ Appel, Alfred (1969年5月4日). “Ada: An Erotic Masterpiece That Explores the Nature of Time” . The New York Times . https://www.nytimes.com/books/97/03/02/lifetimes/nab-r-ada-appel.html 2017年5月19日 閲覧。
^ Heer, Jeet (2014年6月8日). “A Famous Science Fiction Writer's Descent Into Libertarian Madness ”. New Republic (英語版 ) . 2017年5月19日 閲覧。
^ Goodman, Liz (2014年5月27日). “Why VC Andrews' gothic melodramas will never lose their dark appeal” . The Guardian . https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2014/may/27/vc-andrews-gothic-melodramas-teen-appeal 2017年5月19日 閲覧。
^ Ramsland, Katherine (1996). “The Lived World of Anne Rice's Novels” . In Hoppenstand, Gary; Browne, Ray Iroadus. The Gothic World of Anne Rice . Bowling Green State University Popular Press . p. 30. ISBN 9780879727086 . https://books.google.com/books?id=JYfWSuRO83sC&pg=PA30
^ Blake, Meredith (2014年4月22日). “George R.R. Martin weighs in on 'Game of Thrones' rape controversy” . Los Angeles Times . http://www.latimes.com/entertainment/tv/showtracker/la-et-st-game-of-thrones-rape-scene-controversy-20140422-story.html 2017年5月19日 閲覧。
^ Pierpont, Claudia Roth (2 April 2001). “A Critic at Large, 'Cries and Whispers'” . The New Yorker : 66. http://www.newyorker.com/archive/2001/04/02/010402crat_atlarge .
参考文献
関連項目