劇作家としてのキャリアを始める前のフォードは戯曲ではない作品を書いていた。長い宗教詩であるChrist's Bloody Sweat (1613)や、パンフレットとして刊行された2冊の散文のエッセイであるThe Golden Mean (1613) とA Line of Life (1620)などである[13]。1620年以降、フォードは劇作を活発に行うようになり、はじめはより経験のある劇作家であるトマス・デッカーやウィリアム・ロウリーなどと共作をし、1620年代後半にはひとかどの芸術家として活動するようになった[3]。代表作である『あわれ彼女は娼婦』('Tis Pity She's a Whore)は1633年に初めて刊行されたが、劇場での初演はおそらく1624年から1633年くらいまでの間であろうと考えられている[14]。
フォードはチャールズ1世の治世における主要な劇作家であった。フォードの芝居は個人の情熱、良心、法、モラルなどの葛藤を詳細に描くものである。フォードは異常・病的な心理に強い関心を持っていたようであり、小田島雄志はフォード劇の特徴を「死へのダイヴィング[14]」と評している。フォードはこれに関係してロバート・バートンの『メランコリーの解剖』(The Anatomy of Melancholy)から影響を受けていたようであり、1656年に刊行されたChoice Drolleryにはジョン・フォードのメランコリーに関する言及がある[15]。
The Spanish Gypsy (1623年7月9日許諾、1653年刊行)、トマス・デッカー、トマス・ミドルトン、ウィリアム・ロウリーと共作[16]
イングランド王政復古以前の劇作家としては典型的であるが、フォードの作品のかなりの部分は現存していないと考えられている。An Ill Beginning Has a Good End, The Royal Combat、Beauty in a Trance、デッカーとの共作と考えられるThe Bristol Merchant、The Fairy Knight、デッカー、ウィリアム・ロウリー、ジョン・ウェブスターと共作したThe Late Murder of the Son upon the MotherとKeep the Widow Wakingなどは失われている
他にもフォード作ではないかと疑われている作品がある。The Laws of Candyはジョン・フレッチャーの作品だが、フォードの手が相当入っているのではないかと疑われている[19]。The Welsh AmbassadorやThe Fair Maid of the Innが部分的にフォード作ではないかと疑う研究者もいる[20]。
1940年代に研究者のアルフレッド・ハービッジがサー・ロバート・ハワードの戯曲The Great Favourite, or The Duke of Lermaはフォードの失われた芝居の翻案ではないかと推定したことがある。ハービッジはこれまでの批評家はこの芝居がハワード作にしては出来が良すぎて疑わしいほどだと評価してきたことに注目した。ハービッジはこの芝居とフォードの作品の間に幅広く類似点があることを指摘した[21]。しかしこれについてはまだよくわかっていない点も多い。
あわれ彼女は娼婦
フォードの名は悲劇『あわれ彼女は娼婦』('Tis Pity She's a Whore, 1633)で最もよく知られており、この作品は近親相姦を扱った家族劇である。芝居のタイトルは後のプロダクションではしばしば変えられることもあり、芝居の主役である近親相姦関係に陥る兄妹のキャラクターの名前をとってただ『ジョヴァンニとアナベラ』(Giovanni and Annabella)などと呼ばれることもあるほか、19世紀の文章ではさらに控えめに『兄と妹』(The Brother and Sister)と呼ばれることもあった[22]。この芝居はショッキングな作品であるものの、21世紀に入っても広くイングランド演劇の古典的傑作と見なされている。数回映画化されており、ヴィルゴット・シェーマン監督、ビビ・アンデショーン主演のスウェーデン映画My Sister, My Love/Syskonbädd 1782 (1966)やシャーロット・ランプリング主演のイタリア映画『さらば美しき人』('Tis Pity She's a Whore/Addio fratello crudele, 1971)、ベルギーのテレビ局が制作した映画Toch zonde dat 't een hoer is (1978)などはこの作品の翻案である[23]。
^Vivian, Lt.Col. J.L., (Ed.) The Visitations of the County of Devon: Comprising the Heralds' Visitations of 1531, 1564 & 1620, Exeter, 1895, pp.349–351, pedigree of Ford of Nutwell
^ abcdefghiMichael Neill, ‘Ford, John (bap. 1586, d. 1639x53?)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, Oct 2007 doi:10.1093/ref:odnb/9861.
^Vivian, Lt.Col. J.L., (Ed.) The Visitations of the County of Devon: Comprising the Heralds' Visitations of 1531, 1564 & 1620, Exeter, 1895, p.349, pedigree of Ford of Nutwell. No first name given for her father "..Popham of Huntworthie"
^Pevsner, Nikolaus & Cherry, Bridget, The Buildings of England: Devon, London, 2004, p.507; Hoskins, W.G., A New Survey of England: Devon, London, 1959 (first published 1954), p.415
^ abcMarion Lomax, "A Chronology of John Ford", John Ford, 'Tis Pity She's a Whore and Other Plays, Marion Lomax, ed. (Oxford University Press, 1999), pp. xxxii - xxxiii.
^Dorothy M. Farr (1979). John Ford and the Caroline Theatre. Springer. p. 9
^Lars Engle and Eric Rasmussen (2013). “4.9”. Studying Shakespeare's Contemporaries. John Wiley & Sons
^E. H. C. Oliphant, The Plays of Beaumont and Fletcher: An Attempt to Determine Their Respective Shares and the Shares of Others, New Haven, Yale University Press, 1927; reprinted New York, Phaeton Press, 1970; pp. 472-86.
Halliday, F. E. A Shakespeare Companion 1564–1964. Baltimore, Penguin, 1964.
Harbage, Alfred. "Elizabethan:Restoration Palimpsest." Modern Language Review Vol. 35 No. 3 (July 1940), pp. 278–319.
Logan, Terence P. and Denzell, S. Smith, eds. The Later Jacobean and Caroline Dramatists: A Survey and Bibliography of Recent Studies in English Renaissance Drama. Lincoln, Nebraska, University of Nebraska Press, 1978.
Stavig, Mark. John Ford and the Traditional Moral Order. Madison, WI, University of Wisconsin Press, 1968.