救荒植物
救荒植物(きゅうこうしょくぶつ)とは、飢饉、戦争その他で食料が不足した時に、その不足をしのぐために間に合わせに食料(救荒食)として利用される植物である。 概要救荒植物の種類は多いが、その性質上不快なにおいや味がない部分までたいてい利用される。救荒植物の可食部分は、茎、葉、根、果実、種子、地下茎、花、葉柄などである。 救荒植物には無毒のもののほかに有毒だが毒消しが可能なものも含まれる。特に、毒消し・灰汁抜きの手順が煩雑で、他の食べ物があれば手を出さないが、やむを得ぬ場合は食べる、というものもある。ドングリの多くやソテツ、ヒガンバナ、チューリップ(チューリッピンとツリピン[1][2]という皮膚炎症毒と心臓毒があるが第二次世界大戦時の飢饉「飢餓の冬」[3][4]にオランダで処理されて食べられた。現在では食用改良品種も開発されている)がその例に挙げられる。 ただし、ある地域では普段食用としては見向きもされずに救荒植物と見なされている植物であっても、別な地域においては日常の食糧の1つであると見なされている場合もある。今日一般食材として食べられる野菜・果物類、山菜、ハーブ、生薬、穀類なども元は救荒植物であった事例もあり後に栽培され日常食材として用いられた。ジャガイモは三十年戦争以後に世界中に普及、サツマイモは享保の大飢饉以後に日本全国に普及、トマト#歴史はイタリアの貧困層で食用にしようと考えられてから200年にも及ぶ開発を経てヨーロッパへと広まり、一般食材となったのは19世紀以降である。またエンバク、ライムギ、ソバなどの穀類及び擬穀類はコムギ、オオムギ、イネなど主要穀物が生育しにくい気候や土質で紀元前に救荒作物として栽培されその後その土地で主要作物として定着した。キヌアなどの擬穀類も同様に南米で栽培され後に栄養価と土質の面から食料安全保障政策で2013年以降作物として欧米及び日本に広がった。その近縁のアマランサスは南米で同様に食用作物として栽培されていたが欧州で観葉植物として園芸種が栽培され、インドや中国で種子、根、葉共に食用作物として栽培され後にキヌア同様欧米や日本でも食用にされた。 救荒植物の例救荒植物を可食部別に挙げると、以下のように分類することができる。
ただし、上記に挙げられている植物の中でも、例えば伊豆諸島でのアシタバやヨーロッパや日本各地方で山菜として利用されるスカンボや東北地方や沖縄、トルコやギリシャで食用野草やハーブとして食されるスベリヒユなどのように、地域や風習によっては日常的に食べられている植物(いわゆる食用野草・山菜)も存在している。また、地中海沿岸ではオリーブやブドウや柑橘類の柔らかくアクが少ない若葉も産地の痩せた土質や乾燥した気候では他に取れない野菜の代用(ビタミン・ミネラル源と食物繊維源)として食べることもある。また野菜として食べられているモロヘイヤも元来は救荒作物であり生育しきった株や種子及び莢は毒性があり、収穫期と蕾発生期のみ葉、茎、根、蕾が食べることができる毒草である[38]。 有毒植物の毒抜きかつて有毒ではあるが毒抜きをして食べられていたものを別記する(※毒が抜けておらず食中毒で死亡事故が起こっていたもの)。
脚注
関連項目 |
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