恵那山
恵那山(えなさん)(胞衣山・胞山)は長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがる、木曽山脈(中央アルプス)の最南端[注釈 2]に位置する標高2,191 mの山[注釈 1][3]。日本百名山[5]及び新・花の百名山[6]に選定されている。岐阜県は胞山県立自然公園に指定している。 概要中津川の市街地を見下ろすようにそびえ立ち、そして濃尾平野や岡崎平野、さらに遠く伊勢平野の広範囲の地域から[7]、その大きな櫛形の山容を望むことができる美濃の最高峰である[8]。山頂の標高2,191 mの最高点の南東には、一等三角点[9]、展望台、恵那神社奥宮本社がある。山頂展望台は、周囲にトウヒやコメツガなどの背が高い針葉樹林があるため、展望はあまり良くない[注釈 3]。中津川の支流である黒井沢からの登山道と主稜線の合流点には、恵那山頂避難小屋があり、その裏の岩場からは、北アルプス、御嶽山、中央アルプス、南アルプス、富士山などの展望が得られる。 北東にある富士見台高原の真下を、中央自動車道の恵那山トンネルが通っている。北山麓には中山道の馬籠宿と妻籠宿がある[3]。馬籠で生まれ育った島崎藤村が幼少時代に眺めていた山であり、『夜明け前』で描かれている。また、プロレタリア文学の葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』にも登場する。 山名の由来古くは胞衣山(胞山)と呼ばれ、また角度により船を伏せたように見える事から舟覆伏山 (ふなふせやま) などとも呼ばれた。松平君山の吉蘇志略で「天照大神がここで降誕され、その胞衣(えな)がこの山に埋められた」と記載されており、これが山名の由来とされている[10]。信州側では「野熊山」とも呼ばれていた[8]。 環境恵那山の植生は、垂直分布では低地丘陵帯、山地帯、亜高山帯まで幅広く、植物の宝庫になっている[3]。 山の上部はウラジロモミ、コメツガ、トウヒなどの針葉樹林帯である。江戸時代の初期までは西面がヒノキやモミなどの美林であったが、その後の乱伐により荒廃した[8]。他の斜面では、林道が整備されスギやカラマツなどが植林されている。登山道では、イワウチワ、サラサドウダン、シャクナゲ、ショウジョウバカマ、ズダヤクシュ、バイカオウレンなどの花が見られる。 人間史
信仰対象としての恵那山恵那山は古くは胞衣(えな)山や胞山と記され、イザナギとイザナミが神坂峠を越え、美濃国で天照大神が誕生した際に胞衣 (えな) を納めた地であると伝わる[3]。この胞衣 (えな) とは、胎児を包む膜及び胎盤のことをいう[3]。 恵那山にはイザナギとイザナミを主祭神とする恵那神社があり、山頂に奥宮本社、山麓に前宮本社がある[3]。 その後、毎年修験道者が礼拝に訪れ、前夜に恵那神社で禊ぎをして登山を行っていた。また明治から大正時代にかけては道路や登山道が整備された事により恵那講が流行し、白装束を来た一般人が多く訪れるようになった。 現在、恵那山山頂の恵那神社奥宮には 7 つの社が置かれている (以下黒井沢ルートから見た順序)。麓の中津川市の川上には恵那神社がある。 登山毎年4月29日頃に、富士見台高原の神坂小屋付近にて、阿智村と合同で安全を祈願する開山祭が開催されている[13]。1893年(明治26年)5月11日に、英国人のウォルター・ウェストンが恵那山に登り、恵那山を全世界に紹介した[11]。これを記念して、ウェストン公園が整備されており、ウォルター・ウェストンの胸像が置かれている[3]。また毎年5月11日に中津川市観光協会により、ウエストン祭が開催されている[13]。冬期には積雪があり、春先の残雪期にも注意が必要である[15]。 登山ルート
周辺の山小屋周辺には以下の山小屋があり、萬岳荘の他は無人の避難小屋である[16]。
地理周辺の山木曽山脈(中央アルプス)南部の主稜線上にある。北の富士見台高原との鞍部には、東山古道であった神坂峠がある。
源流の河川交通・アクセス
恵那山の風景
山頂付近からの展望三角点付近は針葉樹林に覆われているため、その横に設置された展望台からは良好な展望が得られない。 恵那山頂避難小屋の裏の岩場などからは、中央アルプスや伊那谷、南アルプス、富士山などを望むことができる。
テレビ番組
脚注注釈出典
参考文献
関連項目
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