恵那神社
祭神主祭神配祀歴史創建時期は不明。恵那山は伊弉冉命が天照大神を生んだ際の胞衣(えな へその緒のこと)を納めた地であり、かつては恵那山自体が御神体であったという。 やがて神仏習合により、恵那権現とも称されたという。この胞衣を洗い清めたのが宝永元年に豪雨による山崩れで消滅した血洗池で、現在は血洗神社がある。 延喜式神名帳より後に作成された『美濃国神名帳』には恵奈郡七社があり、恵那山山頂の社を恵奈神社、中津川市川上(かおれ)の社を加上明神と記されている。 恵那山頂には、摂社として葛城神社(一言主命)、富士神社(木花咲開姫神)、熊野神社(速玉男命)、神明神社(天照大神・豊受大神)、劔神社(天目一箇命)、一宮神社(猿田彦神)が祀られている。 かつて麓の里宮のあたりには別当寺の宗泉寺もあって殿舎も多かったが、 天正2年(1574年)に武田勝頼から指令を受けた木曽義昌が阿寺城を攻略した際に、寺や殿舎が壊敗したと伝わる[1]。 元々は恵那山山頂が本宮、麓が前宮であったが、元和6年(1620年)に前宮を新たに造営し直した際に、本宮が奥宮、前宮が本宮に変更された。 明治6年(1873年)に郷社、大正14年(1925年)に県社となった。 恵那山を中心とし、西に恵那神社、東に阿智神社が位置している。 例祭恵那神社の夫婦杉本宮の前にある夫婦杉が1966年(昭和41年)9月14日に、岐阜県の天然記念物に指定された。左側の夫杉が幹周り6.29 m・高さ47 m、右側の婦杉が幹周り5.48m・高さ46 m。推定樹齢が600~800年で、樹勢は旺盛である[3][4]。 その他の文化財
所在地
交通機関
参考文献
外部リンク
脚注 |