唐松岳唐松岳(からまつだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)の後立山連峰にある長野県北安曇郡白馬村と富山県黒部市にまたがる標高2,695.9 mの山[1][4][5]。別名が上犬ヶ嶽[4]。剱岳・立山・鹿島槍ヶ岳と並び、日本では数少ない氷河の現存する山である[6]。 概要日本で93番目に高い山で[7]、日本山岳会による日本三百名山[8]、岩崎元郎による新日本百名山[9]、清水栄一による信州百名山に選定されている[10]。唐松岳北側の峻険な岩峰(「不帰嶮」)は、後立山連峰を縦走するうえでの難所として知られる[11]。 山域の大部分は中部山岳国立公園内にある[注釈 1][12]。1964年(昭和39年)8月20日に「八方尾根高山植物帯」が、長野県による天然記念物の指定を受けている[13]。1999年(平成11年)12月24日に八方尾根にある「鎌池湿原」が、白馬村による天然記念物の指定を受けている[14]。 山名の由来昔から山名が不明瞭で、歴史的には「錫杖岳」「上丈ヶ岳」「平川岳」などの名称がみられるものの、これらが間違いなく唐松岳のことを指しているのか否かもはっきりしない[15]。信濃国側の絵図や文献では、この山名は確認されておらず[4][11]、「唐松岳」という山名の由来も不詳である[4][11]。 巨人のダイダラボッチが夜歩き回って仕事をしていたが、仕事半ばで夜が明け、朝日が差してきたので、唐松の木を引き抜いて空高く投げたらこの山になってこの名が付いたとする昔話がある[4]。八方尾根の「八方」は、見晴らしが良いこと[16] や唐松岳から四方八方に尾根が延びていることに由来する説がある[17]。 地理北アルプス(飛騨山脈)の北部、佐々成政のさらさら越え逸話の残る後立山連峰と、八方尾根から欅平に至る黒部川ルートの十字路にあたる場所にあり、夕日になると剱岳・立山連山の美しい景色が楽しめる[18]。北には鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳の白馬三山、南には白岳・五竜岳などが連なる。これらの山々を白馬連峰ともいう[19]。 東へは八方尾根(はっぽうおね[20])が伸びる[3]。富山県側の西麓は黒部峡谷の奥地になっており、祖母谷温泉を経て南西には立山連峰の剱岳が位置している[3]。 主稜線上の南南東1.4kmには大黒岳(だいこくだけ、標高2,393 m)がある[21]。山頂から南西に尾根が延び、西側の餓鬼山、奥鐘山、黒部川右岸へと続く[1][4]。
北側の主稜線は東西の両側で侵食により険しいやせ尾根となっていて、不帰嶮(不帰ノ嶮、かえらずのけん[8]、不帰岳、かえらずだけ、標高2,614 m、山頂から北0.6 km)と呼ばれている[3][22]。ここは1933年(昭和8年)以来、ロッククライミングで知られる[11]。 不帰嶮の岩峰群は北からⅠ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰からなる[4]。Ⅱ峰は北峰と南峰の双耳峰で、北峰の北稜は特に険しい[4]。Ⅲ峰はA・B・Cの小ピークからなる[4]。天狗ノ頭と不帰嶮との鞍部は不帰キレットと呼ばれていて、白馬岳と唐松岳との間で最も標高が低い地点である[23]。
唐松岳の山頂から東南東に主稜線が延び、約0.5 km先に小ピーク(通称ジャンクションピーク、2,650 m[11])があり、南の主稜線と八方尾根とのジャンクションをなしている[注釈 2]。八方尾根上には、八方池(標高約2,060 m、山頂から東北東2.8 km)[1] と八方山(はっぽうやま、標高2,005 m、山頂から東北東3.3 km)がある[20]。八方アルペンラインの黒菱平駅周辺には、鎌池と鎌池湿原がある[24]。
2019年に唐松沢雪渓が氷河であることが確認された。日本国内で確認された氷河としては7カ所目であり、唐松岳は剱岳、立山、鹿島槍ヶ岳と並んで氷河が存在する4つ目の山となった[6]。
地質地質は、石英斑岩、流紋岩で、その中に輝緑玢岩や安山岩質の岩脈が貫入して頂稜部を形成している[4]。八方尾根は標高1,680 - 2,100 mまでの大部分が蛇紋岩(超塩基性岩)からなり、それより上部は砂岩や泥岩などの堆積岩や花崗岩が見られる。第3ケルン(八方池)より下方は風化しやすい蛇紋岩で形成されている[25]。鎌池と第2ケルンでは風化した蛇紋岩が粘土層となり、池塘がある湿原が形成されている[25]。 周辺の山周辺の主な山を以下に示す[1]。
源流の河川以下の河川の源流となる山で日本海側へ流れる[1]。北東斜面の唐松沢では雪渓が見られる[5]。
唐松岳の風景南側の主稜線の大黒岳方面からはピラミッド型の大きな山容を望むことができる[3]。
唐松岳からの眺望山頂や唐松岳頂上山荘からは剱岳を望める[3]。八方尾根から鹿島槍ヶ岳と五竜岳が望める[28]。村営八方池山荘からは、白馬岳三山、不帰嶮、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、妙高山や戸隠山などの頸城山塊が望める[16]。澄んだ空気の日には八方尾根の第1ケルンから富士山が望める[17]。 ウィキメディア・コモンズには、唐松岳から眺望に関するカテゴリがあります。
環境気候日本海側にあり、山域は特別豪雪地帯の指定区域にある。八方池へのトレッキングコースでは7月中旬まで残雪がある[17]。 1996年(平成8年)12月から、八方尾根南斜面(標高870-1,970 m、斜面長2.7 km)から映像解析観測で雪崩の観測が行われ、213の事例の中で、表層雪崩が132、全層雪崩が81あり、到達距離が2,500 mを超える規模の面発生乾雪表層雪崩も観測された[29]。2013年(平成25年)度、長野県による山岳環境緊急総点検事業で中部山岳国立公園の北アルプス北部地区にある八方尾根の黒菱唐松岳線の登山道の調査が行われた[30]。 1990年代前半に行われた大気中の浮遊粒子状物質(SPM)の調査では、清浄地域と考えられる唐松岳八方尾根(標高1,850 m地点)が地方都市である長野市(長野県衛生研究所大気局舎屋上、標高360 m)の半分以下であった[31]。 植物相山頂部の高山帯では、ハイマツやコマクサなどの高山植物が見られる[4]。八方尾根の標高1,600 m付近の比較的平坦地ではミズバショウなどの湿性植物が見られ、その上部の稜線部ではダケカンバが見られ、斜面には低木や草木が覆っている[4]。八方池山荘付近の研究路(標高1,850 m)や兎平より下部の(標高1,400 m付近)でも高山帯に生育するハイマツが生育していて、植生の垂直逆分布といわれている[25][32]。 八方尾根の固有種としてハッポウアザミ(八方薊、学名:Cirsium happoense Kadota[33])[34]、ハッポウウスユキソウ(八方薄雪草、学名:Leontopodium japonicum Miq. f. happoense Hid.Takah. ex T.Shimizu[35])[36]、ハッポウタカネセンブリ(八方高嶺千振、学名:Swertia tetrapetala Pall. subsp. micrantha (Takeda) Kitam. var. happoensis Hid.Takah. ex T.Shimizu[37])[38]、カライトソウとワレモコウとの雑種と考えられているハッポウワレモコウ(八方吾木香、学名:Sanguisorba x takahashihideoi Naruh.[39])[40] が分布している。 ハッポウアザミは八方尾根の山地帯から亜高山帯にかけての蛇紋岩の礫まじりの草地に生育し、八方尾根の上部の非蛇紋岩地域には飛騨山脈をする代表する高山性アザミであるタテヤマアザミ(立山薊、学名:Cirsium otayae Kitam.[41])[42] が分布していて、明瞭な棲み分けが見られる[34]。ハッポウウスユキソウは八方尾根の高山帯の蛇紋岩崩落地の草地に生育する[36]。ハッポウタカネセンブリは、八方尾根の高山帯の蛇紋岩地に生育する[38]。 自然研究路沿いでは、シモツケソウ、ミヤマダイコンソウ、タカネマツムシソウ、ミヤマムラサキなどが見られる[43]。八方アルペンラインのリフト下部では、クガイソウ、ヤマブキショウマ、ハクサンタイゲキ、コバイケイソウ、タテヤマウツボグサ、クモマニガナなどが見られる[32]。黒菱平の鎌池湿地では、ニッコウキスゲ、ショウジョウバカマ、キンコウカ、マイヅルソウ、イワイチョウ、コイワカガミ、チングルマ、クロマメノキ、コメツツジ、イワナシ、サワラン、ワタスゲなどが見られる[44]。 八方尾根の北尾根高原には八方牧場があり、牧草地として利用されている[17]。 動物相周辺山域の上部の高山帯には、国の特別天然記念物のライチョウ[45] やニホンカモシカが生息する[17]。八方尾根の八方池から黒菱平にかけて、ウグイス、ウソ、ノジコ、ビンズイ、ホトトギス、ホシガラス、クロツグミ、コマドリ、カヤクグリ、ルリビタキなど、黒菱平から山麓にかけてヤブサメ、センダイムシクイ、ツツドリ、キビタキ、オオルリ、シメなどの鳥類が見られる[44]。八方池にはクロサンショウウオが生息している[4]。八方尾根では、イチモンジセセリ、ギフチョウ、キアゲハ、モンキチョウ、ゴマシジミ、アサギマダラ、コヒョウモンモドキ、コヒョウモン、エルタテハ、ベニヒカゲ、クモマベニヒカゲ、クロヒカゲ、ミヤマシジミ、ヒメシジミなどの蝶類が見られる[44][46]。八方池ではルリボシヤンマ[4]、黒菱平周辺では、オオイトトンボ、カオジロトンボなどのトンボが見られる[44]。 自然保護八方尾根は山岳スキー場として知られていて[5]、日本でも屈指の白馬八方尾根スキー場があり、高山植物の宝庫として知られていて[32]、1964年(昭和39年)8月20日に「八方尾根高山植物帯」(所在地:北安曇郡白馬村北城西山4487-1)が長野県により天然記念物の指定を受けた[47]。登山道沿いでは訪問者による土地の荒廃が見られ[43]、八方尾根自然環境保全協議会などにより、植生が踏み荒らされないにするためのパトロール活動やマットを敷いて裸地化した場所の植生回復の作業が行われている[25]。植物観察のための自然研究路が開設されている[47]。 人間とのかかわり江戸時代に周辺の餓鬼山や五竜岳の東谷山に、猟師がニホンカモシカ猟に足を踏み入れた話が残されている[4]。 1904年(明治37年)に唐松岳山頂に二等三角点が選定された[48]。
1906年(明治39年)、白馬山麓の探鉱師である中村兼松が、唐松岳の南側に隣接する大黒岳の西面の富山県側で、良質な銅鉱脈を発見した[49]。1907年(明治40年)[注釈 3]には、銅鉱石を採掘する大黒銅山(大黒鉱山)が操業した[49]。 当時は、採掘した鉱石をその場で精錬し、これを牛に背負わせて運んだ[11][15]。この輸送路は、西麓から唐松岳を越え、八方尾根を伝って白馬村へ降りるものであり、現在の登山道のもとになったものである[11][15]。下ノ樺にはその時に中継地として使用された石室跡がある[4]。 ところが1915年(大正4年)、山中で冬を越していた労働者のあいだで奇病が流行、4名の死者を出した[11]。1918年(大正7年)に鉱脈が切れて、銅山は閉山となった[50][注釈 4]。現在も鉱山跡には鉱石を精錬した際の鉱滓がみられる[11]。
大正時代にスキーが普及するにつれて、入山者が増えた。1958年(昭和33年)に八方尾根に空中ケーブルが架けられてからは、山スキーでも賑わうようになった[4]。1989年(平成元年)度には、八方尾根スキー場は約130万人のスキーヤーで賑わっていた[43]。 1998年(平成10年)に開催された長野オリンピックで、アルペンスキー(滑降)、アルペンスキー(スーパー大回転)とアルペンスキー複合の競技が白馬八方尾根スキー場で、ノルディックスキー(ジャンプ)とノルディック複合(ジャンプ)の競技が白馬ジャンプ競技場で開催された[4]。ふるさと納税(ふるさと白馬村を応援する寄付)の返礼品の一つに、八方アルペンラインのグリーンシーズン券(白馬観光開発株式会社が提供)が選定された[51]。 登山2015年(平成27年)12月17日に「長野県登山安全条例」が施行され、唐松岳はその対象となる山に指定され、2016年(平成28年)7月1日から登山計画書の届出が必要となった[52]。八方アルペンラインのグラートクワッドリフトの終点駅から八方池までの登山道には、多くの観光客も訪問する[53]。八方アルペンラインは朝は8時からだが夏の最盛期には早朝5時半(2012現在)から営業する。もっとも楽なアプローチといえど高山であるので十分な装備のないまま安易に登ると事故の可能性はある。八方尾根から雪山登山が行われることがあるが、尾根が広いためケルンがあっても視界が悪いとルートが分かりにくくなる[54]。
登山道各方面から以下の登山道が開設されている[4]。後立山連峰縦走時に登頂されることがある。西側の黒部峡谷と祖母谷温泉からのルートは難路であったが、1986年に大黒鉱山跡まで尾根上をたどる新道に切り替えられた[3]。代表的な八方池山荘からの八方尾根のルート(無雪期・天候良好時)は初級コースとされていて[55]、長野県山岳総合センターによる「信州 山のグレーディング」で、技術的難易度が「ランクB/(A-E)」(低い-中程度)、体力度が「3/1-10」(中程度、1泊以上が適当)とされている[56]。山頂を経由して南の五竜岳方面、白馬鑓ヶ岳方面の縦走路もあるが、いずれも岩場や鎖場が多く八方尾根よりは難易度が高い[57]。特に白馬鑓ヶ岳に至る縦走路は不帰嶮と呼ばれるキレットを通過する難コースで[58]、要所には鎖や梯子が設置されている[23]。この難所は白馬岳から向かうと登ることになるので、白馬岳から唐松岳へ向かうルートが人気となっている。[59]
北側の主稜線からのルート
南側の主稜線からのルート
周辺の山小屋周辺の主な山小屋をとキャンプ指定地を以下に示す[60]。西山麓の黒部峡谷にある山小屋祖母谷温泉があり、江戸時代には既に知られていた温泉で湯浴み客が訪れていた[61]。河原には露天風呂があり、立ち寄り湯として利用できる[61]。リフト終点にある村営八方池山荘のみが通年営業されていて、風呂がある[62]。村営八方池山荘は小学校や中学校の集団登山などの宿泊にも利用されている[16]。
唐松岳頂上山荘
八方尾根のケルン夏には霧が発生し、冬には吹雪となるこが多い八方尾根では、主に遭難者の遺族や仲間たちが犠牲者の霊を慰め、登山者の目印として高さ3-5 mの6個のケルンが設置されている[43]。最初1937年(昭和12年)10月に、八方尾根で毎年のようにスキーを楽しんでいた寺田健一・松江夫妻が銀婚式の記念に、第3ケルン(標高2,080 m、八方池付近)が建立[43]。1938年(昭和13年)7月に、1937年(昭和12年)12月26日[16] に吹雪でルートを見失って遭難死した大阪の西阪息(やすむ)の父親らが、第1ケルン(標高1,830 m)と第2ケルン(標高2,005 m、別名:息ケルン)を建立[43]。牧師だった父親は、第2ケルンの銘板に「我道也真理也」と聖書の言葉を刻んでいる[43]。1962年(昭和37年)に国鉄大宮工場山岳部(前年に遭難)が丸山ケルン(標高2,360 m)を建立した[43]。1963年(昭和38年)に東京都立石神井高等学校山岳部が創立10周辺記念に、石神井ケルン(標高1,974 m)を建立した[43]。1984年(昭和59年)に、1980年(昭和55年)12月に吹雪で道に迷った生徒5人と引率教諭1人が凍死した神奈川県の逗子開成高校が八方ケルンを建立した[43]。 山岳ガイドの死亡事故他
観光東山腹には白馬八方尾根スキー場と白馬ジャンプ競技場があり、長野オリンピックの会場として利用された。東斜面の八方尾根には八方ゴンドラリフト「アダム」、アルペンクワッドリフト、グラートクワッドリフトの3つからなる八方アルペンライン(総延は3,445 m、標高差1,060 m、中継駅が兎平と黒菱平)があり、八方池周辺のハイキングや唐松岳方面の登山に利用されている[77]。東山麓にはホテル、ペンションや別荘が多数あり、避暑地やスキー場の宿泊施設として利用されている。1989年頃には、白馬八方尾根スキー場の麓には、スキー客18,700人を収容する372軒の宿泊施設が密集し、10を超えるタレントショップがあった[78]。2012年から2016年までの八方尾根スキー場の月別の利用者数は下表であった[79]。
交通・アクセス東山麓に国道148号と長野県道322号白馬岳線が通る。東山麓には長野県道33号白馬美麻線が通じ、1998年(平成10年)2月7日に開催された長野オリンピック時に、長野会場や選手村と白馬会場を結ぶ動脈としてする路線として活用された。長野県道31号長野大町線と併せてオリンピック道路と呼ばれている。
長野オリンピック1998年(平成10年)に行われた長野オリンピックでは、東側の「八方尾根」はアルペンスキー競技の会場、ふもとの長野県北安曇郡白馬村はスキージャンプ競技会場である。長野五輪で使用された施設は、少なからずの不法滞在を含む外国人が施設や道路造りをしたとされる。しかし、オリンピック終了とともに、多くが入管法違反(不法残留・入国など)で摘発されたと地元紙の信濃毎日新聞は報じていた。 脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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