『必読書150』(ひつどくしょひゃくごじゅう)は、2002年(平成14年)に太田出版から出版された書籍[1]。柄谷行人(文芸評論家・哲学者)・浅田彰(批評家)・岡崎乾二郎(造形作家・批評家)・奥泉光(小説家)・島田雅彦(小説家)・絓秀実(文芸評論家)・渡部直己(文芸評論家)の共著であり、「必読書」150冊と「参考テクスト」70冊を紹介する、「現実に立ち向かう知性回復のために本当に必要なカノン(正典)を提出し、読まなくてもいい本を抑圧する、反時代的、強制的ブックガイド」(出版社ホームページより引用)とされる[2]。なお、序文によれば150冊の中に本書の出版社である太田出版の本は一冊も含まれていない。
構成
- 序文:柄谷行人が執筆。「われわれは今、教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうために「教養」がいるのだ」と主張する。
- 反時代的「教養」宣言:浅田を除く著者六名による座談会。「疑い解体すべきカノンそのものをまず提示することが重要」、「それまでわかっていたつもりのものが、このリストのうちの、とくに人文系の一冊でも本気で読めば、地雷を間違って踏んでしまったように、よい方向にわけがわからなくなる。それでいい」、「(リストの本を)最後まで読む必要はない。読んでダメならすぐやめろ、その代わり、即その次の本を読みなさい〔...〕。そのうちに自分にピタッと合う本があるから、それを深く読めばいい」、「批判すべき対象を免疫形成のためにあえて(リストに)入れておく。聖書ばかりだと、町に出て、すぐ風邪を引いてしまう」、などの論点が提示された。
- 必読書150:「必読書」150冊のリスト。人文社会科学・海外文学・日本文学からそれぞれ50冊づつ選ばれている。一ページにつき一冊が紹介されており、七名の著者のうち一人によるその本の解説、およびその本の著者の略歴と他の主要著作が掲載されている。
- 参考テクスト70:「参考テクスト」70冊のリスト。人文社会科学に関する28冊・文学に関する18冊・芸術に関する24冊の紹介。一冊につき一行ないし二行の簡潔な紹介文が掲載されている。紹介文が誰の手によって書かれたものかは明らかにされていない。
- リストを見て呆然としている人々のために――あとがきに代えて:奥泉光が執筆。「リストを見て呆然となった人はサルではない。〔...〕サルは反省はしても、呆然となったりはしないのである。呆然となれたということは、少なくとも呆然となれるだけの素養がすでにして備わっているということだ。大丈夫、見込みはある。あとは読むだけだ」と読者を励ます内容。
「必読書150」一覧
副題がある場合は全て『主題:副題』のようにコロンで繋いだ。著者名・著作名は原則『必読書150』の表記に従った。明らかに特定の出版社が指定されている場合(『西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』など)、特定の書籍を指していない選書の場合(『ランボー詩集』など)のみ出版社を併記し、後者の場合は、その書籍を出している、と『必読書150』で紹介されている出版社を全て列挙した。
「参考テクスト70」一覧
副題がある場合は全て『主題:副題』のようにコロンで繋いだ。著者名・著作名は原則『必読書150』の表記に従った。明らかに特定の出版社が指定されている場合(『メルロ=ポンティ・コレクション』など)のみ出版社を併記した。
脚注
- ^ 『必読書150』(柄谷行人・浅田彰・岡崎乾二郎・奥泉光・島田雅彦・絓秀美・渡部直己、太田出版、2002)
- ^ 必読書150|太田出版(2022年6月22日閲覧)
- ^ 『旧約聖書』ではモーセが著述したとされているが、聖書を単なるテクストとして研究する高等批評の立場ではそのことは疑われている。『必読書150』においては、「物語への批評性の観点からすると、高度に「小説」的である」「幾人もの天才がテクストの形成にはかかわっている」と、あくまで著者不詳の小説として扱われている。
- ^ 李攀竜が編纂したとされているが、彼が編纂したものかどうか疑われている。
- ^ 『必読書150』には出版社として青木書店が記載されているが、『必読書150』が出版された後にちくま学芸文庫に収録されたので入手のしやすさを考慮し後者の出版社をこのページに記載することとした。
- ^ 厳密には著者ではなく選者である。