木村敏
木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年8月4日)は、日本の医学者・精神科医。位階は従四位。 専門は精神病理学。河合文化教育研究所所長。学位は、医学博士(京都大学・論文博士・1964年)[1][2]。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授。元日本精神病理学会理事長。 人間存在を探究し、「あいだ」を基軸とする独自の人間学を構築して、国内外に影響を与える。著書に『自己・あいだ・時間』(1981年)、『関係としての自己』(2005年)などがある。 来歴1931年、朝鮮慶尚南道生まれ。旧制岐阜県斐太中学校、三高を経て、1955年に京都大学医学部卒業。1964年、京都大学より医学博士の学位を取得。 ミュンヘン大学精神科(1961 - 1963)。 ハイデルベルク大学精神科(1969 - 1971)。 1974年、名古屋市立大学医学部教授。 1986年、京都大学医学部教授。 1994年に京都大学を定年退官、名誉教授。 その後は河合文化教育研究所主任研究員[2]、京都博愛会病院顧問、龍谷大学国際文化学部教授[3]を歴任し、2001年に龍谷大学を退任。 2004年立命館大学文学部客員教授、2006年退任。2008年に河合文化教育研究所所長となる。 2021年8月4日、老衰のため死去[4]。90歳没。死没日をもって従四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈される[5]。 人物笠原嘉、中井久夫、宮本忠雄、安永浩らと共に日本の精神病理学第2世代を代表する人物である。 処女論文「離人症の現象学」はミュンヘン留学中に書かれ、『ネルフェンアルツト』に掲載され、これによって木村の仕事はまずヨーロッパで注目を浴びた。 その後「あいだ」を軸にした独自の自己論を展開して国内外に大きな影響を与えてきたが、その後環境に相即する身体主体を唱えて生命論へとその研究の射程をのばした。 人間の心理的時間感覚を「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」の三つに分類し、現代思想界から注目された。 「祭りの前」が統合失調症的、「祭りの後」が躁うつ病的、「祭りの最中」がてんかん的と考察された。 2000年より2018年まで、木村が開催を提唱した河合臨床哲学シンポジウムが精神科医と哲学者を招いて開催されていた。 西洋音楽にも造詣が深く、ピアノを弾いた。学生時代に香川県の毎日新聞主催の音楽コンクールのピアノ部門で1位をとったこともある(『精神医学から臨床哲学へ』)[3]。 弟の木村淳は、京都大学名誉教授、アイオワ大学教授、国際臨床生理学会・世界神経学会理事長。 息子の木村元はクラシック音楽書編集者で、出版社アルテスパブリッシング代表取締役。 受賞歴
学会
著書
共編著
翻訳
ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカー
脚注
関連人物関連項目外部リンク |
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