小夜の中山(さよのなかやま)または佐夜の中山(読みは同じ)は、静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)に位置する峠。最高点の標高は252m。古くは遠江国の東部に属し、宿場では金谷宿と日坂宿の間に当たる。頂上には真言宗の久延寺、西側の麓の日坂宿の入口には事任八幡宮があり、多くの人々が旅の安全を願って立ち寄ったと伝わるほか、遠州七不思議の一つで、赤ん坊の泣き声を発したとの伝説を持つ夜泣き石がある。
歴史
古くから、箱根峠や鈴鹿峠と列んで、東海道の三大難所として知られる。また歌枕として古今集などで歌われ、鎌倉時代初期に西行法師が詠み新古今和歌集に入れられた「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」の歌碑や、この歌を受けて松尾芭蕉が詠んだ「命なりわづかの笠の下涼み」の句碑などが存在する。
建武2年(1335年)の中先代の乱では、北条時行と足利尊氏双方の軍が衝突し、同年8月12日(1335年9月7日)に小夜中山合戦を行ない、今川頼国により名越高邦が討ち取られた。頼国の手による高邦の墓、とされる鎧塚が今も残る。戦国時代にもしばしば合戦場となっている。
1880年(明治13年)には、小夜の中山を越えるルートではなく、現在の北側の沢伝いを開削した峠を越える中山新道(現在の国道1号および静岡県道381号島田岡部線の旧金谷宿までの区間)が建設された。当初は有料道路だったが、東海道本線[1]の開通により利用者が減少したことなどから、1902年(明治35年)に静岡県に買い取られて無料化、1905年(明治38年)に国道となり[2]、1932年(昭和7年)に小夜の中山トンネルが建設された。
脚注
- ^ 建設当時の技術的な限界から、小夜の中山越えの線路の敷設を断念して菊川伝いに下って迂回する経路をとることとなった。
- ^ “中山新道開通と御林開拓『杉本権蔵』”. お茶街道. カワサキ機工. 2012年5月14日閲覧。
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