葵区
葵区(あおいく)は、2005年4月1日に誕生した静岡市の行政区の一つで、政令指定都市の行政区としては日本一の面積を誇る。 地理区域は、概ね2003年4月1日に旧清水市と合併する前の旧静岡市域の内、東海道本線以北から旧長田村域を除いたものである[注釈 3]。政令指定都市の行政区としては日本一の面積である。これは葵区の8割以上、静岡市全体の約60%の面積を占める山間部の旧安倍郡(面積849.36km2)を擁するためであり、市街地として利用しやすい低地や平地はきわめて狭小である。また静岡市内の最高地点(間ノ岳 標高3,189.5m)を有する。 葵区の人口のほとんどは区の南部の狭い平野部に集中し、駿河区とともに静岡市の中心市街地を形成している。静岡県の政治経済の中心地として、堅固な地震対策が施されている静岡県庁や静岡県警察本部の合同庁舎、各都市銀行の支店などが置かれている。南部は戦国期の今川時代から駿河地域の中枢であり、徳川時代には徳川家康が晩年に大御所政治を行った駿府城(現在の駿府城公園)が築かれ、紺屋町には陣屋が置かれた。徳川政権の事実上の副都として機能した駿府城南西面の一丁四方に整然と区画された町割りは、家康の行った当時のものとほとんど変わっていない。 区の北部は南アルプスの山々が連なり、人口は少ない。谷間には温泉が点在し、観光客を集めている。井川地区には区の支所が置かれているが、大井川鐵道井川線は川根本町方面に走っているため、区の中心との経済的結びつきはやや弱い。 広袤国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、葵区の面積は1,073.75平方キロメートルである[4]。 国土地理院によると葵区の東西南北それぞれの端は以下の位置[5][6]。東端は弥生緑地、西端は光岳の南約1.5km百股沢の頭付近 、南端は新東名静岡SAの南約2.1km、北端は間ノ岳である。また、2010年国勢調査結果に基く人口重心は大岩4丁目32付近にある[7]。 安倍奥・井川安倍川上流の安倍奥地区(旧梅ヶ島村・大河内村・玉川村。静岡駅から梅ヶ島までは45km)、藁科川上流の旧清沢村・旧大川村、大井川上流の旧井川村は、1969年1月1日に旧静岡市と合併した。 2005年4月1日、静岡市の政令指定都市移行に伴い、安倍奥と井川は、静岡市街地と共に葵区に含まれている。行政機関は、井川は「葵区役所井川支所」という扱いであり、安倍奥に至っては行政機関は設置されていない[注釈 4]。安倍奥、奥大井では川に沿った標高の低い所に細く長く集落が点在している程度であり、最も大きい集落である井川本村ですら人口が500人に満たない規模なのでコスト面で行政機関を設置することが難しいのがその理由である。 井川は鉄道では島田・川根本町と通じているが、路線バスや乗用車で静岡市の市街地へ向かうことが多い。市街地に向かう県道は3本あるが、どの県道も山間部を縫うようにして通り狭い上、標高1000m超の富士見峠や大日峠を越える長いワインディング路であるため静岡市街地から井川ダムまで2時間近い所要時間がかかる。近年では長島ダム建設のおかげで大井川鐵道井川線閑蔵駅より大井川下流側の県道が非常によく整備されたため、スーパーマーケットやホームセンター程度の日用品の調達には川根本町、島田市川根町方面へ行くことが若干増えているようである。大井川鐵道井川線は本数も少なく、運賃もバスで静岡市街地に行くより高いので、生活の足としては向いていない。紅葉の時期などハイシーズンは多くの観光客で賑わいを見せるが、閑散期(特に冬)はほとんど乗客がおらず、その名の通り「閑散」としている。 井川・安倍奥地区は、富士川沿いのルートが開かれるまでは、山伏峠などを介しての甲州との交通の要衝であり、駿河侵攻の後、永禄年間末期には梅ヶ島金山は武田氏の直領となったことから、甲州と関係の深い地域であった。 エリア別
葵区役所まちづくり振興課によるブロック分けに基づく分類とする。
人口
歴史災害
治安・風紀の維持
隣接する自治体・行政区交通鉄道バス
道路
観光
公共機関役所
生涯学習センター
市立図書館警察消防
郵便
教育大学専門学校私立高等専修学校高等学校
中学校小中一貫校小学校
幼稚園(私立幼稚園は、静岡県私立幼稚園振興協会加盟の園のみ掲載)
学校教育以外の施設認定こども園(幼保連携型)
保育所(認可保育所のみ掲載)
区内の町町名の後の☆は全域住居表示済、☆†は一部住居表示済、◇は地番整理済 第1ブロック
第2ブロック
第3ブロック
第4ブロック
第5ブロック
第6ブロック
第7ブロック
出身者
脚注注釈
出典
外部リンク
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