南十字星 (映画)
『南十字星』(みなみじゅうじせい The Southern Cross)は、1982年の映画。 東宝創立50周年を記念して制作された、初の日本・オーストラリア合作映画。海外では“The Highest Honor”(最高の栄誉)のタイトルで公開された。一方、オーストラリアでは劇場公開されず、テレビでミニシリーズとして放映された[1][2]。 概要太平洋戦争中、日本の統治下にあったシンガポールを舞台に、日本軍の通訳官と捕虜のオーストラリア兵の友情を描いた作品。また、撮影当時は宝塚歌劇団月組に在団中だった黒木瞳の映画初出演作品でもある。 劇団四季のミュージカル『南十字星』とは、太平洋戦争中の東南アジアが舞台であることや、日本兵が主人公であることで共通点を持つが、ストーリーはまったく異なるうえに関連もない。 西城秀樹が歌った主題歌「南十字星」のシングルは20万枚超の大ヒットとなった[要出典]が、映画は成功とはいかなかった。さらにその後、さまざまな事情からお蔵入りとなり、DVD化は実現していなかったが、2025年2月、東宝からBlu-rayが発売される。 監督の丸山誠治は本作品を最後に引退した。 あらすじ太平洋戦争中の1941年、日本軍占領下のシンガポールで、港に停泊していた7隻の日本軍の艦船が爆破された。憲兵隊は抗日ゲリラの破壊工作とみて、現地の中国系住民らを捕えて拷問するが、それはシンガポール奪還を目指す、“ジェイウィック作戦”(en:Operation Jaywick)と呼ばれる、英・豪連合軍の特殊部隊“Zフォース”の仕業だった。 “Zフォース”は翌年、再度作戦を決行するが、日本軍の反撃に遭い、指揮官のペイジ大尉ら10人が捕虜となった。ケンブリッジ出身[3]の通訳官・田宮は憲兵隊の訊問に協力することになったが、かねてから軍の中国系住民らに対する残虐行為に心を痛めていた彼は、安易に拷問に走ろうとする憲兵隊を何とか抑える。自白したペイジは田宮が自分たちを守ったことを知り、2人の間には敵味方を越えた友情が芽生えた。 そして、軍事裁判が始まる。立花検察官はペイジたちの行動を英雄的な行為と讃えたうえで、栄誉ある死刑を求刑、参謀部は斬首刑を宣告した。田宮はせめて銃殺刑にと嘆願するが、聞き入れられなかった。落胆する田宮にペイジは「君の手で天国に送ってくれ」と優しく語りかけ、ペイジは田宮の手で処刑された。 終戦後、連合軍の捕虜となった田宮は捕虜殺害の罪で軍事裁判にかけられ、死刑を求刑されるが、田宮とペイジの間の友情と、斬首がペイジの希望だったことが証明され、田宮は無罪となった。 時は流れ現在、オーストラリアを訪れた田宮は無名戦士の墓に花を供え、ペイジ達の冥福を祈った。 スタッフ
キャスト日本側
オーストラリア側
中国系住民
製作曰く因縁のあった幻の企画『あゝ野麦峠』を大ヒットさせた東北電子計算機専門学校理事長と新日本映画の社長を兼ねる持丸寛二は[4][5][6]、『あゝ野麦峠』の続編『あゝ野麦峠 新緑篇』の製作を2ヵ月進めていたところで急に中止させ[5]、代わりに本作を製作した[5]。日本・オーストラリア合作映画として[5]、1981年5月30日にオーストラリアで調印を済ませ[5]、総製作費は10億円[5]、オーストラリアロケを半分、東京とシンガポールで四分の一ずつを撮り、日本は日本のスタッフが、海外は海外のスタッフが撮ったものを繋ぎ合わる、撮影を1982年4月いっぱいまで行い、1982年5月中旬に東宝系で公開すると1981年の夏の終わり頃公表した[5]。 関連項目
脚注
外部リンク
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