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この項目では、1992年に公開されたゴジラシリーズ第19作目の作品について説明しています。1964年に公開されたシリーズ第4作目の作品については「モスラ対ゴジラ」をご覧ください。 |
『ゴジラvsモスラ』(ゴジラたいモスラ[26])は1992年(平成4年)12月12日に公開された日本映画で[11]、「ゴジラシリーズ」の第19作である[出典 5]。キャッチコピーは「極彩色の大決戦」[28]。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ[出典 6]。略称は『VSモスラ』[29]。
概要
ゴジラVSシリーズ第3弾[出典 7]。モスラ成虫は『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)以来、26年ぶりの登場となった[30]。キャッチコピーにあるように美麗な特撮の映像表現が特徴である[出典 8]。
主要襲撃地点は、丹沢山地、横浜市横浜みなとみらい21、名古屋市。名古屋の襲撃シーンは『モスラ対ゴジラ』を[34]、東京の襲撃シーンは『モスラ』をそれぞれオマージュしている[出典 9]。公開当時、開業直前であった横浜ランドマークタワーが破壊されるシーンがあった[30]。これは東宝プロデューサーの田中友幸がタワーの建設・運営を行う三菱地所と懇意にしていたことから実現したものであった[37]。
丹沢でのゴジラ迎撃戦でメーサー攻撃機が初登場し、大規模な戦闘が繰り広げられる。
ファミリー層向けの対策として、人間ドラマは拓也と雅子の夫婦関係の復縁の物語を軸に展開し[38][39]、観客の反応も良好であった[2]。別所の主演も女性向け雑誌[要文献特定詳細情報]で特集が組まれるなど話題となった。また、平成ゴジラシリーズで初めて自然破壊を題材に取り上げ、「環境破壊」と「家族愛」をテーマとしている[出典 10]。同時に人類誕生以前の文明や地球の意志によって生み出された怪獣などファンタジー要素も本格的に取り入れた。
作品にはモスラと常にセットで登場してきた小美人も登場。本作品では先住民の末裔コスモスという名で、演じるのは今村恵子(第3回東宝シンデレラコンテスト・グランプリ)と大沢さやか(同・審査員特別賞)[出典 11]。映画出演後の一時期、今村・大沢の2人はアイドルユニット「コスモス」としても「モスラの歌」を歌うなどしてプロモーション活動した[6]。
前作に引き続き土橋竜三が登場した他、三枝未希も登場するが、他の登場作品に比べて出番は少ない。また自衛隊の各幕僚長らも前作に引き続き黒部進らが演じている。
アメリカでは長い間『モスラ対ゴジラ』が“Godzilla vs. Mothra”のタイトルであったため、差別化を図るため本作品のタイトルは“Godzilla and Mothra: The Battle for Earth”となった。
1994年12月9日には日本テレビ系の『金曜ロードショー』にて地上波初放送された[注釈 3]。
ストーリー
太平洋小笠原沖に巨大隕石が落下したことにより、メカキングギドラとの戦いで海底で眠りについていたゴジラが目覚めた[出典 12]。一方、南洋のインファント島では隕石衝突による津波と森林伐採の影響で、地中より巨大な謎の物体が出現した[43]。
トレジャーハンターの藤戸拓也はアユタヤでの盗掘と遺跡破壊行為の免罪を条件に、元妻の手塚雅子、島の開発を行なっている丸友観光の社員・安東健二とともにインファント島へ調査に赴く[43][44]。彼らが目にしたものはモスラの巨卵だった。丸友観光の社長である友兼は、宣伝目的でモスラの卵を日本へ輸送することを決定する[43]。
しかし、コスモスと名乗る島の2人の小美人は、バトラの復活による危機を警告する。そんな中、北極海の氷山からバトラが目覚め日本に侵入、名古屋に現れ街を破壊し地中へと消える[43][44]。一方、卵の輸送船「ありあけ丸」は太平洋フィリピン沖を曳航中にゴジラの襲撃を受ける[43][44]。卵からはモスラの幼虫が孵化し、口から糸を吐いて応戦する。そこにバトラも現れ、三つ巴の戦いが始まった[43][44]。ゴジラとバトラによる海中に沈んで続けられた戦いは、海底火山の噴火を誘発させる。両者は乱泥流に襲われ、フィリピン海溝のプレートの境目から噴き出したマグマの中に消える[43][44]。
コスモスは拓也たちと同行していたが、安東によって誘拐され、友兼は彼女らを社のイメージキャラクターにしようと画策するが、コスモスを密かに国外の研究機関へ売り渡そうとする拓也によってコスモスは拉致される[43]。一方、モスラはコスモスを追い、海上自衛隊の護衛艦隊の迎撃を突破して東京に上陸[43][44]。拓也たちやコスモスがいるホテルの寸前にまで到達するが、改心した拓也によって解放されたコスモスの説得によりおとなしくなると、出動した陸上自衛隊の攻撃をものともせずに国会議事堂に繭を作り、やがて成虫へと変態を遂げる[43]。時を同じくして富士山山麓ではフィリピン沖の海底火山が噴火し、噴出するマグマの中からマントルを通じてゴジラが出現する[43][44]。
飛び立つモスラの前に成虫となったバトラも出現。両者が横浜みなとみらい上空で激突しているところに丹沢山地での自衛隊迎撃ラインを突破して横浜港に誘導されたゴジラも現れ、再び三つ巴の戦いが始まる[出典 12]。感応しあったモスラとバトラは共闘し、ゴジラを太平洋上へと運ぶが、バトラは息絶えゴジラとともに海中へ沈む[43][44]。ゴジラを封印したモスラは、バトラに代わり地球へ迫る巨大隕石の軌道を変えるためコスモスとともに宇宙へ旅立つ[43][44]。
登場キャラクター
- ゴジラ
- モスラ(幼虫、成虫)
- バトラ(幼虫、成虫)
- コスモス
登場人物
- 藤戸 拓也()[45][46]
- 本編の主人公格。トレジャーハンター[47]、元東都大学・考古学教室助手[出典 13]。30歳[出典 14]。
- 知識を活かして世界中の遺跡で盗掘を行っていた[49]。タイ警察に逮捕され収監されていたところを、国家環境計画局からの依頼で、釈放を交換条件にインファント島への巨大物体調査に参加、一連の事件に関わる[49][50]。
- インファント島探索の先導役でありながら、いい加減な状況判断で同行者を危険に晒したり、別れた妻子とよりを戻すための資金を得ようと、コスモスを密かに国外の研究機関へ売り渡そうとするなど欠点も目立つ人物だが、決して良心に欠けているわけではなく、危機的状況に適さない言動や行動を取る者を激しくとがめたり拳を振るうなど、本質は熱血漢である[50]。
- 元妻の雅子と愛娘のみどりの説得で自らの過ちを改め、コスモスをモスラに返すことを決意。3大怪獣の決戦を最後まで見守る。
- 坂井版コミックスでは雅子は元恋人という設定で既婚者ではなく、娘も居ない。
- 手塚 雅子()[45][55]
- 東都大学環境情報センター所員[出典 15]。28歳[出典 16]。拓也の元妻で[50]、娘のみどりの親権を持つ。国家環境計画局に出向している[50]。
- インファント島の調査で拓也たちと同行することとなり、強気で勝気な性格から口ゲンカが絶えなかったが、お互いに未練があったため少しずつ関係を深め直すこととなる。
- 坂井版コミックスでは丸友観光の敏腕社員と設定され、登場しない安東の役割を兼ねている。当初は友兼を崇拝し会社への貢献に執着していたが、モスラを利用して街を破壊するという友兼の非道行為やモスラが傷つく姿に耐えられず離反した。終盤で錯乱した友兼に銃撃され、更にゴジラの攻撃から彼を庇って重傷を負うも、彼女の改心に心打たれたバトラが命を分け与えた事で生還。ラストシーンでは車椅子姿でモスラを見送っている。
- インファント島上陸時に水着で現れるシーンが撮影されていたが、尺の都合でカットされた[5]。
- 安東 健二()[45][57]
- 丸友観光社長秘書[出典 17]。28歳[出典 18]。社内研修でサバイバル訓練を受けている[50]。
- インファント島が自社の地所であるため、地権者を代表して調査に赴く拓也と雅子に同行する[48][50]。社長・友兼の命令に従順で、輸送中に孵化してしまったモスラの卵の代わりにコスモスを拉致し[50]、友兼の下へと差し出すが、拓也たちやコスモスとの交流を経て、会社や自分の行為に対して疑問も抱いていく。
- 最終的には手段も犠牲も厭わず会社の利益のみに固執する友兼の醜い本性に反発し、決別した。ラストシーンでは拓也たちと共に宇宙に旅立つモスラを見送る。
- 川石版コミックスでは、友兼の役割を担った悪役となっている[61]。
- 三枝 未希()[出典 19]
- 国家環境計画局Gルーム所属の超能力者[50][注釈 4]。21歳[出典 20]。
- Gルームでゴジラの監視を務める[49]。超能力により、コスモスとのテレパシー感応ができる[49][50]。テレパシーを使い、行方不明になったコスモスを雅子やみどりとともに探しあてる[50]。
- 川石てつやによる漫画版では、オリジナルキャラクターとして未希の弟である晃司が登場している[61]。
- 本作品の原型である『モスラVSバガン』では、ゴジラシリーズとのつながりを持たせるため未希が登場する予定となっていたものの、本作品では登場させる必然性が薄く一時は登場させない方向で話が進んでいたが、登場を要望する声が挙がったため出番が継続することとなった[63]。
- 手塚 みどり()[45][55]
- 拓也と雅子の娘[出典 21]。6歳[出典 22]。
- 両親の離婚後は雅子と共に暮らしている[45][50]。雅子からは拓也の職業を刑事だと伝えられていたが、実はトレジャーハンターであることを知っていた[49][50]。
- 土橋 竜三()[45][65]
- 内閣安全保障室室長[出典 23]。50歳[出典 24]。
- 本作品では未希と同様に国家環境計画局へ出向しており、南野の補佐を務める[49][50]。雅子とともにタイへ赴き、拓也へのインファント島調査を自ら依頼する[出典 25]。前作とは対照的に、うろたえたり声を荒らげたりすることが多い。
- 大河原は、分析室で土橋と南野がモニターを見ている場面が多いため、両者の反応を差別化するため土橋を人間味のある演出とした[53]。
- 深沢 真由美()[45][67]
- 雅子の姉で、深沢の妻[出典 26]。35歳[出典 27]。雅子がインファント島へモスラの卵を調査するため日本を離れていた際、みどりを預かっていた[67][50]。
- ラストでも宇宙へ旅立つモスラとコスモスを見送る。
- 友兼 剛志()[45][注釈 5]
- 丸友観光社長[出典 28]。35歳[出典 29]。
- 政界との強大なパイプを持ち、富士山麓やインファント島の乱開発を進めていた[49][50]。利己的な野心家で、安東が誘拐したコスモスを会社のイメージガールにしようと企てる[58][50]。やがてモスラに破壊される東京を前にしながらも「この街は俺が新しく造り直す!」と絶叫。その醜い本性を目の当たりにした安東の諫言と反発にも全く耳を貸さず、最後は安東から自らの破滅を冷たく示唆されながら見捨てられ、力なく崩れ落ちた。
- 坂井版コミックスでは美形の若社長という設定に変更。コスモスを探すモスラの習性を利用し、都市諸共ライバル企業を破壊させるなど非道かつ狂気を帯びた人物として描かれている。終盤では雅子を銃撃して重傷を負わせ、彼女が身を挺して自らをゴジラの攻撃から庇っても改心する事は無かった。最後は車で逃亡したが、ゴジラの足に激突して爆死した。
- 友兼のキャラクターは、『モスラ対ゴジラ』でのハッピー興行社の熊山を踏襲している[36]。
- 友兼が携帯電話を使用するシーンは、シリーズで初めて携帯電話が描写された場面である[69]。本作品当時はまだ一般には普及しておらず、上流階級を象徴するアイテムとして描かれている[69]。
- 大前 実()[45][70]
- 丸友観光常務取締役、富士山麓ゴルフ場開発プロジェクト主任[出典 30]。50歳[45][50]。非常に低姿勢な人物。
- 深沢 重樹()[45][67]
- 東都大学地質学教授で[71]、同大学環境情報センター主任[出典 31]。雅子の上司であり姉婿にもあたる[67][49]。45歳[出典 32]。
- 雅子と同様に国家環境計画局にゴジラ研究と環境破壊対策の両面で協力する。理知的で物静かな第一印象だが決断力に優れ、富士山からの避難途中、道で倒れていた母子を救出する場面もある[49]。
- 富士山麓で母子を救出するシーンは、『モスラ』での福田善一郎がダムで赤ん坊を救出するシーンをオマージュしている[53]。
- 南野 丈二()[45][72]
- 国家環境計画局局長[出典 33]。55歳[出典 34]。本業の環境問題と、今回の対ゴジラ作戦の責任を同時に請け負う高級官僚。温厚かつ冷静な人物。
- 次作『ゴジラvsメカゴジラ』では劇中には登場していないが、ゴジラの関西襲撃を受けて深沢と雅子を中心に調査チームを編成し、現地周辺の環境被害調査を務めていることが劇中の新聞記事で言及されている。
- 衣裳は演じる宝田明が選定しており、局長という立場から普通の綿のワイシャツではなくシルクのシャツを着用している[74]。
- 脚本では、指示を出すセリフは日本語であったが、宝田は専門性を出すため英語交じりのセリフに改めた[74]。
登場兵器・メカニック
架空
- 92式メーサー戦車
- 93式自走高射メーサー砲
- 93式メーサー攻撃機
- ありあけ丸[出典 35]
- 丸友がチャーターした、モスラの卵を乗せたフローティングドックを曳航する大型フェリー[77][78]。ドックはロシア海軍で用いられているものである[75]。
- 船上のシーンは、東京・沖縄航路フェリー「ありあけ」で撮影された[79][80]。「ありあけ」は奄美へキャストとスタッフを運んだフェリーであり、船のシーンは時間の節約もあって奄美の道中で撮影された[80]。
- 浮きドックのデザインは青井邦夫が担当[81][78]。造形は工房KIKOが担当[82][78]。
- 卵を浮きドックで運ぶ描写は、『キングコング対ゴジラ』でのキングコングを筏で運ぶ描写をオマージュしている[52]。準備稿では、気球で卵を吊るして運ぶという案であったが、これに納得しなかった川北により浮きドックが提案された[83][52]。卵をドックに乗せた方法は明らかになっていない[83]。
- はつゆき型護衛艦「もりゆき」[出典 36]
- 艦番号DD-134[78]。架空のはつゆき型護衛艦[出典 37]。モスラ(幼虫)の迎撃に参加するも、モスラの体当たり攻撃を受け撃沈される[85]。
- 遠景の護衛艦は、艦の形に切った板に絵を描いたものを立てている[86]。
実在
設定
- 国家環境計画局/地球環境分析室[78]
- 東京都内の超高層ビルを本拠とする国際的機関。二酸化炭素による温暖化・オゾン層の破壊、森林伐採、さらに隕石の激突で引き起こされた大気の異常、海水面の上昇、海底プレートへの影響など、地球全土の環境問題全般に関する業務を請け負う。
- メインルームには地球環境分析室が編成され、前作『ゴジラvsキングギドラ』のGルーム同様に有事の際には幕僚長らが出向し、自衛隊の指揮所となる[78]。また、自家発電による活動が可能であり、ゴジラが日本に現れた際などの厳戒態勢時には、大型のメインスクリーンを展開する[注釈 8]。このメインスクリーンには、探査衛星が捉えたデータを基に、あらゆる角度からの映像を表示できる「ゴジラ・サーチ・システム」を試験的に搭載している。
- 本作品では、インファント島の描写などプリミティブな要素が強いため、SF要素を分析室に集約している[53]。メインスクリーンの展開ギミックは、クライマックスへ向けてゴジラ出現のインパクトを強調したものである[53]。
- 冒頭のNASAのセットは、分析室の飾り換えである[53]。監督の大河原孝夫は分析室でモニタリングを行っているという案を出していたが、脚本ではNASAになっていて驚いたという[53]。
- 丸友観光
- 東京都内に本社屋を持つ観光会社。社員研修としてサバイバル訓練を設けている。日本政府から資金援助を受け、インファント島にリゾート地を、富士山麓にはゴルフコースをそれぞれ建設するために乱開発を行い、後者は地元の環境保護団体から猛抗議を受けている。
- しかし、最終的に隕石によって引き起こされたインドネシアの異常気象や富士山の火山噴火で、それぞれの開発現場が工場再開の目処が立たないほどの被害を受け、大損害を被る結果となる。
- アユタヤの遺跡
- 冒頭に登場した太古の地下式寺院。ここで拓也が深部の壁に隠されていた秘宝のガネーシャ像を盗むが、その直後に罠が作動。壁が崩れ、床が抜け落ち、寺院内部は完全に崩壊。拓也は命からがら脱出に成功したものの、同時に地元警察に逮捕されてしまう。
- ガネーシャ像のプロップは、雑貨店で購入した市販の像に金色のスプレーを施している[104]。この像は、2012年の時点で大河原が所有しており、自宅に飾っている[104]。
- インファント島
- インドネシア諸島にあり、先住民コスモスの末裔たちが住む島。現在は全島が丸友観光の所有地になっている。丸友のリゾート開発と隕石によって引き起こされた異常気象の影響で島の森林は大きく荒れ、岩山が崩れ、埋まっていたモスラの卵が露出してしまう。また、滝の奥に洞窟があり、モスラとバトラらしき壁画が描かれている。
- 12,000年前の伝説
- 地球の先住民であるコスモスは、モスラを守り神と崇め、差別も争いもない高度な文明社会を築き上げていた。しかし、一部の科学者が気象コントロール装置を開発し、気象を操ろうとしたことで、自身の危険を感じた地球生命は怒り、バトラを生み出してコスモスを攻撃させた。モスラはコスモスを守るためにバトラと戦い、北の氷の海に沈めたが、バトラが気象コントロール装置を破壊したため大洪水が発生し、モスラと高い山に避難した一部のコスモスたちのみが難を逃れ、彼らの大陸は滅亡してしまった。
キャスト
キャスト(ノンクレジット)
スタッフ
- 製作:田中友幸
- 脚本:大森一樹
- 音楽監督:伊福部昭
- プロデューサー:富山省吾
- 撮影:岸本正広
- 美術:酒井賢
- 録音:斉藤禎一
- 照明:望月英樹
- 編集:米田美保
- 助監督:三好邦夫
- サントラ盤:東芝EMI
- 音響効果:佐々木英世(東洋音響)
- 製作担当者:森知貴秀、前田光治
- 擬斗:森岡隆見
- 録音; 宮内一男
- 監督助手:手塚昌明、本間和彦、黒川礼人
- 撮影助手:脇屋隆司、青木洋史、宝田武久
- 録音助手:池田昇、影山修、渡辺宸彬
- 照明助手:蝶谷幸士、川井稔、川越和見、横道将昭、田部谷正俊、大沢暉男、鹿毛剛
- 照明機材:山崎惣一郎
- 特殊機械:宮川光男、鹿山和男
- 特殊操演:鳴海聡
- 美術助手:清水剛、新垣博人、田中俊広、小岩理絵
- 美術装置:丸山勝治、川口茂
- 組付:西田忠光
- 装飾:田代昭男、遠藤雄一郎、山内康裕
- 電飾:稲畑秀男、河原正高
- 衣裳:多勢美智子
- コスモスコスチューム:出川淳子
- コスモス振付:浦井典子
- ヘアー・メイク:下鍋良江
- スチール:石月美徳
- 音楽プロデューサー:岩瀬政雄
- 音楽エンジニア:大野映彦
- 音響効果:佐々木英世、丹雄二、小川広美、岡瀬晶彦
- 調音:多良政司
- 記録:石山久美子
- 編集助手:佐藤康雄、斉藤美津子
- ネガ編集:青木千恵
- 擬斗:森岡隆見
- キャスティング:田中忠雄
- 製作係:北山裕章、後藤弘樹
- 特殊技術
- 撮影:江口憲一、大根田俊光
- 特美:大澤哲三
- 照明:斉藤薫
- 操演:松本光司
- 特殊効果:渡辺忠昭
- 造型:小林知己、村瀬継蔵
- 助監督:鈴木健二
- 製作担当者 - 小島太郎
- 監督助手:千葉英樹、神谷誠、近藤孔明、秀平良忠
- 協力撮影:桜井景一
- 撮影助手:佐々木雅史、有田勝美、真塩隆英、大川藤雄、仲田眞二、香取泰浩
- 照明助手:入口正平、瀬尾伸幸、山本眞生、佐熊愼一、壱岐尾りつ子、川辺隆之
- 照明機材:棚網恒夫
- 操演助手:鈴木豊、白石雅彦、三池敏夫、三橋和夫、金子ゆう、大神亮
- 特効助手:久米攻、岩田安司、榎本浩士、宇田川幸夫、鉄谷大地
- 特美助手:寺井雄二、高橋勲、林谷和志、春日佳行
- 特美装置:野村安雄
- 組付:小笠原禎
- 背景塗装:小島耕司、長島章志、三輪智章
- 造型助手:村瀬継蔵、江久保暢宏、村瀬直人、小川正、棟方利幸、小松秀則、長峰圭介、村上修一、丸山真也
- スチール:中尾孝
- 記録:黒河由美
- 編集助手:児玉美納子
- ネガ編集:大朝和代
- デザインワークス:吉田穣、宮川英実、杉田篤彦、青井邦夫、西川伸司、隅谷和夫
- 製作係:柴田誠
- ゴジラ[出典 63]:薩摩剣八郎
- バトラ[出典 64]:破李拳竜
- バトラ[出典 65]:羽田一也[注釈 15]
- 特殊視覚効果
- オプチカルスーパーバイザー:小川利弘、小野寺浩、松本肇、大屋哲男
- オプチカルエフェクト:岸本義幸、佐藤高典、佐藤元
- フォトエフェクト:藤下忠男、泉谷修
- エフェクトアニメーション:橋本満明、吉沢一久、西山明宏、桜井文子、渡辺義治、田中貴志、佐藤明
- マットペイントカメラマン:三瓶一信
- マットペインター:木村俊幸
- モーションコントロール:木下良仁
- CGプロデューサー:大口孝之、清野一道、鈴木敬、井内要
- コンピューターグラフィックス:内海邦男、荒木史生、檜皮勝久、平岡一邦、細田伸明、大舘隆司、井上明美、水谷順子、庄司久美子、斉藤直宏、船江世志保、伊藤佳子、永井雄一
- ハイビジョン技術:鈴木昭男、原田睦弘
- ハイビジョン変換:尾又富雄、細井孝能、滝沢隆也、諏佐佳紀、石川智太郎
- ビデオエフェクト:萩原賢治
- タイミング:森吉隆
- コーディネーター:西山勝、麻生芳郎、斉藤吉光
- プロデューサー:山辺崇
- 協力:防衛庁、東海大学情報技術センター
- 協賛:日本衛星放送、ナムコ、西友、コニカ、東芝、大島運輸
- 制作協力:東宝映像美術、東宝サウンドスタジオ、東宝ミュージック、東宝コスチューム、東京現像所、東宝スタジオ
- 特技監督:川北紘一
- 監督:大河原孝夫
- 東宝映画作品
- 配給:東宝
劇中歌
主題歌
- モスラの歌
- 詩:田中友幸・関沢新一・本多猪四郎 / 曲:古関裕而 / 編曲:高田弘 / 唄:コスモス(今村恵子・大沢さやか)
挿入歌
- マハラ・モスラ
- 詩・曲・編曲:伊福部昭 / 唄:コスモス
- 聖なる泉
- 詩・曲・編曲:伊福部昭 / 唄:コスモス
- エンディングには女声スキャットによるインスト版が使用された。
制作
製作経緯
当初の企画案は『モスラVSバガン』というモスラが主役の映画だった[出典 66]。この企画は1990年を公開予定とし、大森一樹によって脚本が準備された[出典 67]。しかし『ゴジラvsビオランテ』の評判を見て、次企画はゴジラ主役の映画『ゴジラvsキングギドラ』となり[127]、その次回作として川北が中心となって企画したトンボをモチーフとした昆虫系の怪獣・ギガモスと対決し、ゴジラの体内にミクロ化した人間が潜入し、ゴジラの核反応を止めようとする『ミクロスーパーバトル ゴジラVSギガモス』[80]が企画されていた。その後、東宝本社は「平成ゴジラ」の4作目を正式に制作すること、そして、モスラが対戦キャラクターで行くことを決めた[80]。その決定に伴い、川北は『vsギガモス』の企画をモスラ寄りに調整し、ミクロ要素をなくした『ゴジラVSギガモス』[出典 68]を提案する。その後、先の田中が構想していた『モスラVSバガン』を原案に、大森が『VSバガン』の作品イメージを踏襲した世界観で、敵怪獣をバガンからゴジラに変更し、『ゴジラvsモスラ』に落ち着いた[出典 69]。このため、ストーリーはモスラとバトラの関係性が中心となっており、ゴジラは存在感が希薄となっている[出典 70]。『ギガモス』が制作されなかったのは、登場予定だったメカニコングが権利関係が東宝とRKOとの間で曖昧であったためこれを明確にしようという意図もあったが、RKO側から製作した場合トラブルが生じる可能性があるとの回答が出されたためである。東宝プロデューサーの富山省吾は、正月映画であるため新しい企画でのチャレンジよりも盤石の布陣とすることを選んだ旨を語っている[37]。ゴジラ委員会委員長の堀内實三は、前作の観客アンケートの分析から女性客を獲得すれば配給収入20億円に達することも可能だとの確信を得たという[131]。
別案には、前作の続編として宇宙超怪獣のキングギドラが登場する『キングギドラの逆襲』という企画も存在したが[80]、キングギドラが連続することを避け本作品に至った[132]。また、『VSギガモス』はアメリカを物語の舞台にして全米公開をも視野に入れ、メカニコングが軍の兵器として登場する展開も用意され、そちらをメインとする『マイクロユニバース イン ゴジラ』や『ゴジラvsメカニコング』という企画も存在した[80]。前作は「東宝創立60周年」であったことから、企画初期段階では、キングコングでいこうという声も存在していたほか、前述の川北の企画では、RKOとのキャラクター契約を明確にするためにも、メカニコングではなく、当初はあえてキングコングをもう一度登場させようという動きもあった[80]。
前作の東京国際映画祭での先行上映が好評であったことから1991年11月に本作品の制作が正式決定し[注釈 16]、前作公開時に一部劇場で特報が流された[出典 71]。特報の時点では監督・脚本は未定となっていた[134]。
監督は、前作までの大森一樹に替わり、前年に『超少女REIKO』で監督デビューした大河原孝夫が務めた[出典 72]。大河原の起用は東宝の自社監督に務めさせる意図によるもので[出典 73]、東宝全体での決定であった[37]。
大森は脚本を担当し[出典 74]、監督にも予定されていたが東映京都撮影所制作の『継承盃』との兼ね合いから実現には至らなかった[出典 75][注釈 17]。大森が本作品の制作を知ったのは、前作の初日舞台挨拶で特報を見たときであったといい、執筆依頼を受けたのは年明け後であった[52]。1月の時点でシノプシスは提出していたが、検討稿は3月10日[138]、準備稿は4月11日[139]、最終決定稿はクランクイン後の5月16日に印刷されるなど[140]、完成が遅れていた[130]。
大森は、前作を『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に着想をえたことから、本作品では『インディ・ジョーンズ』をやろうとしたといい[80]、初期には『モスラ』の影響も引きずっていたと述べている[136]。また、バトラには『トレマーズ』の要素も取り入れているという[52][136]。『モスラVSバガン』の執筆時には、東南アジアが舞台である山田正紀の小説『謀殺の弾丸特急』をイメージしていた[126]。冒頭の隕石は、ツングースカ大爆発をイメージしている[130]。東宝プロデューサーの田中友幸は、大森に対し『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』を一本にまとめるという要望を伝えており、他のスタッフにも主役はモスラであると述べていた[132]。ラストシーンについて大森は、テレビアニメ『鉄腕アトム』の最終回や『空の大怪獣 ラドン』のような悲壮感のある結末をイメージしていたが、完成作品では情緒的な描写になっていたことが不満点であったと語っている[141]。
脚本作業において、大森と大河原が直接意見を交わすことはなかった[54]。富山は、両者とも監督・脚本の経験があるため一方的に意見を受け入れることはないだろうと考え、互いに納得できるよう打ち合わせのタイミングを図っていた旨を語っている[54]。大森は、決定稿が完成したあとに大河原の方で変更を加えることを望んでいたが、大河原はスタッフに伝達させるためには印刷物としてあった方が良いと考え大森へ意見するかたちを選んだと述懐しており、この体制は次作『ゴジラvsメカゴジラ』でも同様であった[54]。
特技監督の川北紘一によれば、「極彩色の大決戦」というキャッチコピーは東宝宣伝部の若手社員が考案したもので[32]、東宝怪獣では単色のものが多いことからカラフルなモスラ成虫の体色そのものを売りにしようという意図であったという[31][32]。
宣伝部出身であった富山は、宣伝部や営業部とも密に連携することでその意見を吸い上げ、制作現場だけでなく東宝全社を挙げての映画製作を図った[142]。これにより、系列映画館と連動したエキストラ募集やCMタイアップなど、パブリシティを積極的に活用した制作体制が構築されていった[142]。コスモスを中心に、出演者らもパブリシティ活動へ積極的に協力していた[143]。タイアップ業務に携わった鈴木律子は、当時は広告代理店がゴジラを扱うことに消極的であったため、直接クライアントの元に赴き隠れゴジラファンの担当者に売り込むという方法をとり、5本のCM契約を取り付けた[144]。名古屋が舞台の1つとなったのは、中京地区での興行成績が弱かったことも理由の1つであった[145]。
配役
『ゴジラ』(1984年)、『vsビオランテ』(1989年)では東宝芸能の新人を起用していたが、前作ではいなかったため、プロデューサーの富山省吾によれば東宝サイドでは本作品でなんとしても使おうという思いがあったという[146]。前身企画『モスラVSバガン』では小美人のイメージキャストとしてWinkが挙がっており所属事務所との交渉も行われていたが、富山によれば本作品では企画が決定した段階で今村と大沢の起用も決まっていたため、Winkとの交渉は行わなかったと述べている[146]
別所哲也、村田雄浩らは、キャスティングの田中忠雄からの推薦で起用された[146]。
手塚雅子役の小林聡美は、大河原の推薦によるもので[出典 76]、大森が監督した映画『恋する女たち』に出演していた縁から富山も賛同していたという[146][147]。
子役の米澤史織の撮影は夏休み期間中に行われたため学業への影響はなかったが、夜間の撮影が多かった[148]。
『ゴジラvsビオランテ』以来の出演となった田中好子は、自身がモスラを愛好していたことから出演を熱望し実現に至った[出典 77]。
前作での土屋嘉男に続き、昭和期での東宝特撮の常連俳優であった宝田明が南野丈二役役で出演している[出典 78]。宝田は、本作品への出演が決まる前に『モスラ対ゴジラ』を観て感激したという中学生から「ぜひ出演してほしい」と懇願する手紙を受けていた[74][149]。撮影現場では、第1作からプロデューサーを務めてきた田中友幸が病身をおして宝田を訪ねており、対面した際にはともに涙していたという[149][150]。大森によれば、友兼役に『モスラ』に出演したフランキー堺を起用するという案もあったという[52]。
作曲家の本多俊之が自衛隊員役で特別出演している。大河原孝夫によると、本多が伊福部昭とゴジラ映画の大ファンだったことから依頼されてのことだという。
撮影
東宝特撮作品としては初めてハイビジョン合成を採用しており、コスモスの登場場面などに使用された[出典 79]。コスモスの撮影はすべて本編班で行われた[38]。特技監督の川北紘一は、ハイビジョン撮影には専用の中継車などが必要で予算もかさむため、最小限の部分にしか用いなかったと証言している[154]。
本編班は1992年6月18日にクランクインし[79][155]、成田空港のシーンから撮影が行われた[79]。クランクアップは8月15日。
冒頭の遺跡が崩壊するシーンは、脚本では抜けていく床から逃れるという描写であったが、横のストロークしかないため、大河原は階段にすることで縦のストロークを演出している[出典 80]。中規模のNo.1ステージで撮影され、大河原は遺跡の広さよりも高さを出すために2日に撮影を分け、石段を別に組んで撮影された[80]。拓也役の別所は出口までよじ登るシーンなどのアクション場面は別所自身が演じており、ハーネスを付けてワイヤーで引っ張り、後処理でワイヤーを消しているという[157]。結果として、撮影には3日かかったという[79][38]。
インファント島探検シーンのロケは亜熱帯広葉樹や木生シダの原生林が広がる奄美大島で行われ[出典 81]、地主の好意で地滑りのカットなどが撮影できたという。ただし吊り橋のカットは、福島県[157]の飯坂の摺上川[80]の渓谷で撮影された[79][53]。吊り橋には、蔦や丸太などの造形物で装飾している[79]。吊り橋から落下するシーンは東宝スタジオの小プールで撮影され、崩れる吊り橋はミニチュアで表現している[79]。吊り橋から落下するシーンも別所と村田本人が全カットを演じており、上から東宝の大プールを捉えている[157]。
コスモスの描写には、トラベリングマットと大道具が大きく作ってある拡大セットによる合成処理が多用されている[80]。
ゴジラが放射熱線を吐くシーンでは、本編班の大河原は人間側のリアクションのため、光のエフェクトを過剰気味に演出している[出典 82]。川北からは「オーバーじゃないか」と言われたが、大河原は成功したと自負している[53][38]。また、本編と特撮パートが分離しないよう地球環境分析室の面々が怪獣たちの戦いをモニターで観ながら一喜一憂するという描写も取り入れた[158]。一方で、クライマックスでは登場人物が戦いの傍観者になってしまったことを反省点に挙げており、次作『ゴジラvsメカゴジラ』では登場人物がメカゴジラのクルーとして乗り込む形となった[38]。
ラストのモスラ着陸シーンの舞台は、脚本では大黒埠頭であったが、実際にモスラが留まれるような広い場所がなく、草のある場所ではコスモスの合成やセットが大変になるためコンクリートのある場所で再検討された[53]。横浜スタジアムも候補にあがったが、モスラが羽根を立てなければならないため、近郊の飛行場が最終候補となったが羽田空港や成田空港では許可が下りず[53]、立川飛行場(立川駐屯地)で撮影は行われた[注釈 18]。
赤坂のロケでは、劇用車とエキストラが走るシーンが撮影されたが、本番に赤坂プリンスホテルから車が出てきてしまいNGになることが多く、助監督の手塚昌明は制作部とホテル側とで揉めていたと証言している[79]。同シーンでは、エキストラに混じって白衣と眼帯をつけた小道具係が第1作『ゴジラ』で用いられたオキシジェン・デストロイヤーのミニチュアを抱えて走っている[79]。
国会議事堂周辺の戦車隊は、陸上自衛隊富士学校でエキストラ200人を動員して撮影された[79]。山下公園の撮影では、相鉄ムービル主導のエキストライベントとして200人が集められた[142]。
特撮
本作品では特撮シーンが47分あり[80]、そのうちみなとみらいのシーンが20分ほどとなっている[31]。川北は、作品全体のバランスとしてはいいとしつつも、大河原と同様に人物側が傍観者になってしまったことが残念であったと述べている[31]。一部では、横浜上空での光線の打ち合いを藤戸親子が見上げる構図に対して「花火大会」と称する声もあったという[31]。
前作では大森の要望により戦闘シーンは昼間が中心となったが、本作品では再び最終決戦がナイトシーンとなった[126]。川北は、ナイトシーンの方がみなとみらいの街並みが映えるという考えであったと述べている[32]。大森は、ゴジラはナイトシーンが似合うが、モスラ成虫は青空が似合うと考えており、この点が不満であったと語っている[126]。
特撮班は1992年5月8日にクランクイン[出典 83][注釈 19]。5月8日から13日には名古屋や東京、横浜の実景・空撮などのロケーション撮影が行われた[出典 84]。川北は、『モスラ対ゴジラ』でも名古屋のロケハンに参加していたが、本作品ロケ時には整備されるなどして当時の撮影場所の面影はなかったという[32]。一方で、名古屋城や名古屋テレビ塔など象徴的な場所は変わらなかったため、バトラの進行ルートは『モスゴジ』でのゴジラのルートを逆行するものとなった[31]。川北は、同じく『モスゴジ』にも登場した四日市市でもロケハンを行ったが本作品では用いられず[31][32]、同市の登場は次作『ゴジラvsメカゴジラ』へ持ち越された[32][34]。群衆が逃げるシーンの撮影では、前作同様雨天となったが、雨が止むのを2時間半待って撮影を強行した[162]。
東宝スタジオでの撮影は5月19日から開始された[出典 84]。同日から28日にかけて特撮用大プールを使用し、フィリピン沖のゴジラとモスラ幼虫、バトラ幼虫の戦い、東京港でのモスラ幼虫と自衛隊の戦い[注釈 20]、海上のゴジラなどを撮影した[出典 85]。東京港の空撮は、クレーンの先端にカメラマンを吊るして撮影している[165]。
5月29日から6月6日には、東宝スタジオ第9ステージにて国会議事堂でのモスラの羽化シーンが撮影された[159][160][注釈 21]。国会議事堂での羽化は1961年の『モスラ』の初期案を復活させたものである[35][24]。国会議事堂のミニチュアは、モスラとの対比から1/60スケールで制作された[166]。当初の脚本では、昼間のシーンからすぐ夜に切り替わっていたが、照明の斉藤薫からの要望により決定稿で夕景の描写が追加された[167]。このシーンの本番では、幼虫の頭がミニチュアに挟まって動けなくなるアクシデントもあった[168]。成虫の羽化シーンにはCG画像も製作されたが、これは未使用となった[出典 86][注釈 22]。川北は、CGではまだ感情表現がうまくいっていなかったと述べている[31][154]。
6月9日にはオープンセットでのバトラ幼虫の名古屋城などの侵攻シーン、6月10日から16日には第6ステージの疑似海底でのゴジラとバトラ幼虫の対決シーンが撮影された[出典 87]。ゴジラとバトラ幼虫が海底火山に沈むシーンは、フォークリフトの上にセットを組み、これを引くことで地割れを表現している[171]。
6月17日から22日には、第9ステージでバトラ幼虫の名古屋市街侵攻シーンが撮影された[159][170][注釈 23]。さらに並行して、ミニチュアの一部を流用し赤坂でのモスラ幼虫とメーサー部隊の戦闘シーンの撮影も行われた[出典 88]。前者は縦移動、後者は横移動の構図に配置を変えている[86]。前者では、大通りとテレビ塔という要素が前作での札幌のシーンと類似していたため、戦車を増やして市街戦の要素を強調している[31]。後者では、幼虫が東京タワーの下を進む描写も合成により用意されていたが、カットされた[31]。
6月24日から26日には、第9ステージでゴジラが丹沢山中でメーサー部隊と対決するシーンを撮影[159][170][注釈 24]。これに並行して、オープンセットでのゴジラが富士山から出現するシーンや、インファント島の嵐のシーンなども撮影された[159][170][注釈 25]。前者の撮影では、ナイターで大量の火薬を使用するため消防署や近隣住民へ事前に通達していたが、それでも通報が入ってしまい、消防車が出動し注意を受けることとなった[171]。後者でのモスラの卵が土砂崩れで露出するシーンの撮影では、水落しや床の支柱をはずす通称「ばたんこ」などの仕掛けが用意されていたが、撮影が遅れたためセッティングした状態で放置されてしまい、その間に降った雨を土砂が吸収したことにより重みで支柱が外れなくなり、仕掛けをやり直すこととなった[172][170]。
7月1日から9日には、大プールでモスラの卵を乗せた浮きドックやバトラ幼虫の戦闘シーンなどの撮影が行われ、合間を縫って海中のゴジラや氷山でのバトラ幼虫のシーンなどが第10ステージで撮影された[159][170][注釈 26]。
7月18日から23日には、第9ステージでみなとみらい地区の撮影が行われた[173][注釈 27]。ラストのみなとみらい21のセットは3,000個以上の電飾を使用し、製作費8,000万円、製作日数1か月をかけて製作された[174][30]。前作まではミニチュア内部の電飾は美術班が外部に依頼していたが、本作品では建物の数が少ないことから特技照明班が手掛けた[167][175][注釈 28]。美術の大澤哲三は、ビルのミニチュアが足りず、前作のビルを3分割して用いたと証言している[167]。セット自体は広くなく、カメラの手前にミニチュアのビル群を置いているが、『vsビオランテ』のようにミニチュアのスケールを変えて遠近感を出すのではなく、1/50スケールで統一しており、画面内で立体的に見える疑似立体として表現している[176]。
ランドマークタワーのミニチュアは高さ6メートルにおよぶ[出典 89][注釈 29]。総重量は200キログラム近いためそのままでは自重で崩壊することから、美術の大澤哲三は内部に鉄骨を組んで段階的に組み立てるという手法で作り上げた[177]。特殊効果の渡辺忠昭や助監督の鈴木健二は、ランドマークタワーの倒壊シーンはうまくいった忘れられない撮影に挙げており、現場で唯一拍手が起こったと述懐している[出典 90]。
コスモクロック21の位置がずれていたり[173]、横浜赤レンガ倉庫がある新港地区が設置されていないなど現実とは異なる部分がある[注釈 30]。コスモクロックの電飾は本物と同様に時計となっており、助監督を務めた神谷誠はカットごとに時間を調整したり、秒針の光る速さをカメラの撮影速度に合わせるなど、苦労した旨を語っている[181]。川北も、照明の動きによってはカットがつながらなくなってしまうため、編集の順番に気を使ったと述べている[32]。
横浜中華街上空をモスラが飛ぶシーンは、平台2枚程度のミニチュアで撮影された[173]。大澤によれば、中華街のシーンは当初の予定にはなく、撮影の1週間前にコンテに追加されていたといい、1/10サイズの門だけが制作され、周囲のビルは寄せ集めであった[167]。遊び心として特撮スタッフの行きつけである中華料理店の看板も作られている[182]。
横浜ベイブリッジのみ、オープンセットに建てられた[183]。川北は、500坪のセットでみなとみらいからベイブリッジまで入れるのは無理であったと述べている[31]。
8月1日から細かい撮影を行った後、特撮班は12日にクランクアップした[出典 91]。
モスラやバトラの飛行シーンは、前作でもワンカットだけ用いられた空撮した実景への合成が大々的に行われた[176]。みなとみらいシーンの冒頭での、実景からモスラとバトラのセット撮影での単独カットを経て、ミニチュアでのみなとみらいの俯瞰カットを繋いだ編集がスタッフ内で高い評価を得ている[176]。
オープニングの嵐のシーンは一部『モスラ対ゴジラ』の映像を流用している[31][34]。このオープニングの特撮の撮影日(7月2日)に、映画『バットマン・リターンズ』の宣伝で来日していた映画監督のティム・バートンが特撮の川北組を表敬訪問している[出典 92][注釈 31]。
バトラが眠っている氷塊が溶けるシーンに『ノストラダムスの大予言』の映像の一カットが使われている[188]。また、名古屋城の石垣破壊シーンには、テレビドラマ『日本沈没』第4話の姫路城倒壊シーンを流用している[188]。
オープニングの隕石、ゴジラのシミュレーション画像のCG製作はナムコによる[53]。川北によれば、当時は特撮班にCGのノウハウがなく、試作してみたもののうまくいかず、外部に依頼したという[32]。ナムコとのタイアップにより、ナムコ・ワンダーエッグにて『モスラ』の公開日である7月30日にエキストラを一般公募しての撮影が行われた[189]。
名古屋タワーのミニチュアの頭頂部は、1999年の時点で現存が確認されている[11]。このミニチュアは、映画『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998年)でキングギドラの名古屋襲撃シーンにも用いられた[191]。
音楽
音楽は前作に引き続き伊福部昭が担当[192][193]。伊福部は、以前に手掛けた『モスラ対ゴジラ』と構成が似通わないよう事前にビデオで見返したが、まったく違う作品であったので影響はなかったという[192]。
コスモスの歌唱曲は、伊福部が『モスラ対ゴジラ』で作曲した「マハラ・モスラ」「聖なる泉」のほか、古関裕而が『モスラ』で作曲した「モスラの歌」が用いられている[出典 93]。旧作では、太鼓など民族音楽風であったが、本作品では宗教音楽風にアレンジして曲に統一性を持たせている[192][195]。また、コスモスの2人は、ザ・ピーナッツのような低音が出せなかったため、音程を2度高くしている[194][192]。2人の歌について伊福部は、最初のプレスコでは不十分な仕上がりであったが、練習熱心であったため後日撮り直した際にはうまくいったと述べている[194]。
インファント島のシーンでは、アフリカの民族楽器であるカリンバを用いており、アユタヤ遺跡でのBGMや「マハラ・モスラ」の伴奏などにも取り入れられている[192]。遺跡の周囲にはエスニックバンドがいるというイメージから、アユタヤ遺跡では雲鑼とバイオリンの低音を用いた曲も用意していたが、遺跡を映す尺が短くなり、実音を重視したことから未使用となった[192]。
バトラのテーマは新規に作曲されたが、モスラと同様に変態するが幼虫と成虫のどちらも硬く勇ましいイメージであったり、悪役のような姿でありながら途中で立ち位置が変わるなど、伊福部はイメージを捉えることに苦労した旨を語っている[194][192]。楽器はトロンボーンを主体とし、フラッターを汚い音で出すなどして怪獣らしさを表現している[192][195]。
バトラのテーマのほか、モスラの卵が露出するシーンなどにコンポオルガンを用いている[192]。冒頭の隕石のシーンでは、コンポオルガンのほか、「天空」を意味する名のチェレスタも用いている[192]。
ゴジラと自衛隊との戦闘シーンでのBGMは、元々はバトラと自衛隊との戦闘シーンを想定して録音していたが、伊福部は実際に合わせると画から浮いてしまうと感じ、使用箇所を変更した[192]。ほかに『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)の「L作戦マーチ」も用いられた[196]。
伊福部は、ゴジラにも新曲をつけることを提案したが、従来の曲を使用することを要望されたことを述懐している[194]。
クライマックスの戦闘シーンは、作曲時には映像を見ることができなかったため、画に合わせることは無理だと判断し、3者のテーマを交互に出すかたちとした[194]。音楽プロデューサーの岩瀬政雄は、録音時に完成した映像を観た伊福部がイメージと異なっていた旨を語っていたことを証言している[193]。
本作品で制作された未使用曲の1つは、次作『ゴジラvsメカゴジラ』で「Gフォースマーチ」として流用された[197]。
1992年9月2日に、伊福部指揮によるマスコミ公開録音が行われた。
その他の関係者
本作品のシノプシス制作には脚本家の三村渉も参加しており、三村のプロットは採用には至らなかったが田中友幸の好感触を得て、次作『ゴジラvsメカゴジラ』や映画『ヤマトタケル』などの脚本に起用された[199][200]。三村のプロットにあった「卵を育てる女性科学者」などの要素は『vsメカゴジラ』へ引き継がれた[201]。
幼少期から『モスラ』に思い入れがあるという映画監督の金子修介は、本作品の制作が発表された際に、特報に監督名が記載されていなかったことから、富山へ自身の監督への起用を要望する年賀状を送っていた[出典 94]。これは実現に至らなかったが、富山はいずれ金子を起用することを心に決め、後に『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の監督に金子を起用した[202][203]。また、このとき金子が構想していた地上のゴジラを空中からモスラが攻撃するというイメージは、後に金子が手掛けた『ガメラ 大怪獣空中決戦』でのガメラとギャオスの戦いに継承された[出典 95]。
映像ソフト
- VHS 品番 TG4470S[208]
- LD 品番 TLL2454[208]
- DVDは2002年3月21日にジュエルケース版が発売[209]。オーディオコメンタリーは大河原孝夫[209]。
- 2005年4月22日発売の「GODZILLA FINAL BOX」に収録されている[210]。
- 2008年5月23日発売のトールケース版「ゴジラ DVDコレクションV」に収録されており、単品版も同時発売[211]。
- 2014年5月14日には「ゴジラ60周年記念版」として期間限定の廉価版が発売[212]。
- 2016年6月15日、東宝DVD名作セレクション版発売[213]。
- Blu-rayディスクは2010年1月22日発売。
- 2014年6月18日には「ゴジラ60周年記念版」として期間限定の廉価版が発売。
コミカライズ
- 講談社版
- ストーリー構成:安井尚志、作画:川石てつや。講談社『コミックボンボン』1992年10月号より連載[215]。ワイドKCボンボン で単行本化。
- オリジナルキャラクターとして三枝未希の弟、三枝晃司が登場する。
- 小学館版
- 脚本:大森一樹、作画:坂井孝行。小学館『別冊コロコロコミックスペシャル』第48号から第50号にかけて連載[215]。てんとう虫コミックススペシャルで単行本化[215]。
- 小学館版は藤戸拓也と手塚雅子が未婚の元カップルとなっており、安東健二や手塚みどり、三枝未希は登場しない。終盤は3大怪獣の決戦と同時に、コスモスを奪った友兼剛志と拓也・雅子の対峙が描かれる。また、モスラ幼虫迎撃にあたる指揮官として『ゴジラVSビオランテ』の黒木特佐が登場する。
関連グッズ
- 組立式SDゴジラ
- ゴジラシリーズの歴代怪獣をディフォルメした組立式ミニフィギュア。全15種に各4色のカラーバリエーションが存在する[216]。
- 入場者プレゼントとして配布されたほか、バンダイのガシャポン商品としても販売された[216]。
評価
観客動員数は平成(VS)ゴジラシリーズ中最多の420万人[出典 96]、配給収入は22億2,000万円(1993年邦画配収第1位)を記録[141][6]。正月興行の東宝配給邦画としては、1973年(昭和48年)末公開の『日本沈没』が保持していた配収記録を19年ぶりに更新した[121][141]。2016年公開の『シン・ゴジラ』(観客動員数550万人)が更新するまで、平成以降制作のゴジラ作品の動員数トップの座を維持していた[21][219]。
富山は、ヒットした要因として同年に公立学校の週休2日制が導入された影響によりファミリー層の客足が伸びたと分析している[141]。
主な受賞歴
脚注
注釈
- ^ 資料によっては、「103分」[3][13]、「106分」[15]と記述している。
- ^ 書籍『平成ゴジラクロニクル』では、興行収入と記述している[14]。
- ^ 番組中では翌日公開の『ゴジラvsスペースゴジラ』、および翌春公開の『ガメラ 大怪獣空中決戦』のPRも行われた。
- ^ 資料によっては、前作と同じ国立超科学センター職員と記述している[48][49]。
- ^ 書籍『ゴジラ大辞典』では、名字の読みを「ともがね」と記述している[65]。
- ^ ミニチュアの一部は、61式戦車の足回りを使用している[75][92]。
- ^ 資料によっては、MD 500と記述している[75]。
- ^ 起動時には、円形デスクとその周辺が同時に回転する[78]。
- ^ 役名は小道具の名札には高岡冬樹記載[108]。
- ^ 役名は小道具の名札には志村武雄記載[108]。資料によっては、こちらを約名として記述している。
- ^ 役名は小道具の名札には平田大輔記載[108]。
- ^ 資料によっては、役名を隊長[105]、自衛隊員[13]、戦車隊指揮官[8]、戦車隊隊長[14]と記述している。
- ^ 書籍『モスラ映画大全』では、富士火山観測所員の配役を「?」と記述している[8]。
- ^ 資料によっては、役名を大前常務と記述している[105]。
- ^ ノンクレジット。オープンセット撮影の初登場シーンのみ担当[86][23]。
- ^ 書籍『平成ゴジラ大全』では、前作の前売り券が好調であったためと記述している[131]。
- ^ 大森は、『vsビオランテ』の時のスケジュールであれば充分に参加できたが、前作から東京国際映画祭での上映にあわせた制作体制となり、撮影後も作業があるため1年間ゴジラで終わってしまうと述べている[134]。
- ^ 1作目の『モスラ』と同じ場所である。
- ^ 資料によっては、スタジオでの撮影を開始した5月19日をクランクインとしている[162][163]。
- ^ 『モスラ』での同様のシーンのオマージュとされる[163]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科 [新モスラ編]』では、「5月29日から6月2日」にモスラ幼虫が赤坂のホテルに侵攻するシーンを撮影し、羽化のシーンは「6月4日から6月8日」と記述している[165]。書籍『平成ゴジラ大全』では、赤坂のシーンから羽化のシーンまでを一連の撮影として記述している[166]。
- ^ 宣伝ではCGの使用が謳われていた[27]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科 [新モスラ編]』では、「6月17日から20日」と記述している[171]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科 [新モスラ編]』では、「6月24日から27日」と記述している[171]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科 [新モスラ編]』では、前者の撮影を「6月29日」、後者を「7月1日から3日」と記述している[171]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科 [新モスラ編]』では、「7月9日から13日」にゴジラとバトラ幼虫の海上シーン、「7月15日から17日」にバトラ幼虫とF-15の戦いを撮影したと記述している[172]。
- ^ 資料によっては、「7月18日から8月1日」と記述している[172][159]。
- ^ 特技照明の斉藤薫は、ビルが4つだけと言われて引き受けたが、実際には破壊するビルの数であり、ミニチュアの総数は従来と変わらなかったと証言している[175]。
- ^ 書籍『平成ゴジラ大全』では、4995ミリメートルと記述している[168]。
- ^ 資料によってはゴジラが横浜そごうを破壊したとあるが[179][180]、実際は全く空想の建物である。
- ^ 同時期に東宝とトライスター ピクチャーズとの間でハリウッド版ゴジラの契約が進んでいたことから、バートンがその監督とも噂されたが、富山はこの時点では監督は決まっていなかったと証言している[186]。
出典
- ^ ゴジラ大百科 1992, p. 2, 「GODZILLA VS MOTHRA FILM STORY」
- ^ a b 大ゴジラ図鑑 1995, p. 20, 「ゴジラVSモスラ」
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- ^ 平成ゴジラ大全 2003, pp. 23–25, 「プロローグ・誕生から終焉へ ゴジラ“シリーズ”」
- ^ a b VSデストロイアコンプリーション 2017, p. 65, 「平成vsシリーズ最終作完成までのプロセス」
出典(リンク)
参考文献
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