インファント島(インファントとう)は、映画『モスラ』などに登場する架空の島。
概要
各作品とも、太平洋上の南洋諸島に存在する島で、そこに怪獣モスラが生息するという設定で共通する。
『モスラ』(1961年)の公開以降、ゴジラシリーズや1960年代の東宝特撮作品ではインファント島以外にも南海の孤島が多く登場している[1][注釈 1]。これらは、南海のユートピアというイメージのほか、人間社会から離れた文明批判の象徴や異形の存在のひしめく場所としても描かれている[1]。
『モスラ』をはじめとする東宝特撮映画の脚本を多く手掛けた関沢新一は、『空の大怪獣 ラドン』や『大怪獣バラン』など山中から怪獣が出現する作品が暗い雰囲気であったのに対し、ファンタジックで華やかな南の島は自身のネアカな性格に合っていたと述べており、自身が太平洋戦争中に訪れた南方や自身が愛好するムー大陸などの雰囲気などを反映している[2]。一方、舞台設定は思いつきで浮かぶことが多いといい、具体的な位置などを示さず「南海の孤島」という漠然としたイメージに留めることで、お伽話における「昔々」や「あるところ」などのようなストーリーを展開させるための雰囲気作りを目的としていたことも語っている[2]。
登場作品
公開順。
『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)では『モスラ』のライブラリー映像が使用されている。
各作品でのインファント島
- 『モスラ』
- カロリン諸島ミクロネシア南部の孤島という設定[3][4]。「ロリシカ国」の委任統治下で長い間無人島と認識されており、付近の海域が原水爆の核実験場として使用され、放射能による汚染地帯となっていたが[出典 1]、実際には住民が住んでいた。発見のきっかけは、嵐による難破でロリシカの水爆実験海域に入り込んでしまった日本の商船員たちに、放射能障害が見られなかったことである。商船員たちの話によると、島民に飲まされた赤いジュースのおかげだという。それがきっかけで調査隊が派遣され、小美人や島民が発見された。島の密林地帯には動くツタのような吸血植物が生えているほか、同じく島の洞窟に生息している巨大な赤いカビをすり潰し、短期間に耐性が身に付き、放射能から身を守る赤いジュースを作っている[出典 2]。
- 昭和ゴジラシリーズ
- 『モスラ対ゴジラ』では緑が極端に減少し、小美人が「聖なる泉(みどりの泉[11])」と呼ぶ唯一の水源である場所にだけ残っているに過ぎない[3]。これは、ロリシカ国がこの海域で原水爆実験を続けたためで[11]、海岸には動物の白骨(怪骨)が散乱し、島民は赤いジュースを全身に塗って行動しなければならないほど、環境が悪化している[8]。島民は「悪魔の火」(=水爆)を憎んでおり、島外から来る者に敵意を持っている。
- 『三大怪獣 地球最大の決戦』ではテレビ中継が行われるなど、日本では有名な存在になっており、「平和の島」と呼ばれている。また、同作ではキングギドラに蹂躙されていく日本の危機に際し、小美人によってモスラ幼虫が日本へ召喚され、富士山麓に到着している。
- 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』では島の自然が回復している[注釈 2]。同作の主な舞台であるレッチ島とは距離が近く、島民がレッチ島に基地を持つ赤イ竹の軍隊に拉致されていたが、この情報を知ったモスラ成虫が救出に飛び立った[7]。
- 『モスゴジ』の脚本第1稿では、一面緑の地と描写されていたが、第2稿で核実験の影響を受けた設定に改められた[13]。
- 『三大怪獣』では、モスラが旅立つシーンの海岸セットが東宝撮影所大プールに組まれた[14]。
- 『ゴジラvsモスラ』
- 世界観を一新した『ゴジラvsモスラ』ではインドネシア諸島[出典 4](ジャワ海[12])に位置する、さほど大きくない孤島という設定。全島が日本の「丸友観光」の所有地になっており[7]、同社のリゾート地開発と隕石によって引き起こされた異常気象の影響で、島の森林が大きく荒れてしまっている。島内にはコスモスの高度な文明とその大陸の痕跡があり[15]、モスラとバトラらしき壁画が描かれている[3]。
- 全景はタヒチ島の山の写真を加工して海と合成している[9]。
- 本編の撮影は奄美大島で行われた[16]。助監督の手塚昌明によれば、船のロケハンを行ったスタッフが船内に貼ってあった奄美大島のポスターを見て同島に決定した[17]。吊り橋のシーンのみ福島県でロケを行い、橋が崩れる描写はミニチュアや東宝スタジオ小プールでの映像を組み合わせている[16][17]。
- 平成モスラシリーズ
- 世界観が別になる平成モスラシリーズでは島の種族エリアス以外の住人は存在せず、彼らに不似合いなほどの祭壇などの大きさから、過去に島民が存在していたことを暗示するにとどまっている。また、宝物殿なども存在し、作中で重要な役割を示す「エリアスの盾」のメダルなどが納められている。正確な位置は不明だが、幼虫は一晩で北海道へ到着している。
- 全景はマットアートをデジタル合成している[18]。
- 第1作での火口の中に泉や花畑があるというイメージを発展させ、地球空洞説のように外界から隔離された世界をイメージしている[19]。泉の周りに咲く花には造花を用いており、エリアスの衣装に合わせた派手な色彩としている[20]。
- 『モスラ3 キングギドラ来襲』では、タイムトラベルを象徴する存在として日時計が登場しているが、監督の米田興弘はインファント島が赤道直下ならば描写としてはおかしいものである[注釈 3]ことを承知のうえで制作したとの旨を述べている[21]。
- 『ゴジラ FINAL WARS』
- 正確な位置は不明。1万2千年前のモスラとガイガンの戦いが壁画に描かれている[22]。
島民
昭和の作品のみ登場。モスラを守護神として崇めており、伝承や神話を独自の文字で石碑に残している。歌や舞踊を好むが、生殖の舞いなど呪術的な儀式としても歌舞を行う。言語体系はポリネシア諸語との共通点が多い[6]。少なくとも族長や一部の島民が日本語を解する(小美人はテレパシーで会話し、日本語を会得した)。
基本的に争いを好まない。『モスラ』では調査隊やネルソン一行に対して太鼓や石を叩いて威嚇したが、総じて無抵抗であり、ネルソン一行がマシンガンを乱射しても一方的に虐殺されるがままであったほか、『モスラ対ゴジラ』では核実験に怒ってよそ者を嫌っていたものの、訪ねて来た主人公一行に放射能への耐性をつける赤いジュースを出してくれたりはしている。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』では秘密結社「赤イ竹」によってレッチ島に拉致され、エビラよけの液体を強制的に作らされていた。
劇中設定における人口の推移は不明だが、画面に出てくる島民はモブを含めて後の作品になるほど少人数になっていく。
平成モスラシリーズではインファント島の存在について語られることはないが、モスラの神殿を建造したのは、かつて存在した島民であるとされている。『モスラ3』では、島民が遺した宝物殿が登場している[21]。
- 『モスラ』の監督を務めた本多猪四郎は、島民の踊りは生殖をイメージしており、振付師に生命の原点を表現することを発注していた[26]。
- 『ゴジラvsモスラ』の脚本を手掛けた大森一樹は、過去の作品のようなモブの島民を撮影することは難しかったことから、小美人であるコスモス自体が先住民族であるという設定としたことを述べている[27]。
- 『モスラ』(1996年版)および『モスラ3』の監督を務めた米田興弘は、インファント島をきちんと描いていないからエリアスがわかりにくいという意見があるとしつつも、モスラの巫女的存在を描くのに島民を登場させる必要性はないとの考えを述べている[21]。
モスラの故郷の宣言
1996年12月の『モスラ』公開に合わせ、まったく無関係の沖縄県八重山郡竹富町が町おこしのために東宝や日本旅行とタイアップし、同年11月16日には竹富町長により「モスラの故郷は竹富町の島である」との宣言が行われた。また、同日には小浜島で試写会も開催された[28][29]。ただし、この映画のインファント島を想定したシーンのロケが竹富町で行われたわけではなく、実際は鹿児島県の奄美大島などで行なわれた。
なお、1997年12月公開の『モスラ2 海底の大決戦』では、石垣島や竹富町内の竹富島でロケが行われている[30]。ただし、モスラの故郷あるいはインファント島としてのロケではない。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 196–197, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
- ^ a b 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 161–162, 「関沢新一 長編インタビュー」
- ^ a b c d e f 大辞典 2014, p. 40, 「ゴジラ大辞典 い インファント島(旧)/インファント島(新)」
- ^ a b c GTOM vol.27 2024, pp. 6–7, 「Character of the wonder 摂理と平和を希求する生命の再生 小美人」
- ^ a b ゴジラ大百科 1990, p. 116, 構成・文 池田憲章・杉田篤彦・岸川靖「決定版ゴジラ大辞典」、最新ゴジラ大百科 1991, p. 116, 構成・文 池田憲章・杉田篤彦・岸川靖・佐々木優「決定版ゴジラ大辞典」
- ^ a b c ゴジラ大百科 1992, p. 134, 構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 39 インファント島」
- ^ a b c d ゴジラ1954-1999超全集 2000, p. 197, 「怪獣たちの棲む島々」
- ^ a b 超常識 2016, pp. 42–46, 「平和の使者モスラがゴジラを討つ モスラ対ゴジラ」
- ^ a b 平成ゴジラクロニクル 2009, p. 128, 「川北紘一監督による総括」
- ^ a b モスラ映画大全 2011, pp. 82–83, 聞き手・友井健人 中村哲「インタビュー 合成 飯塚定雄」
- ^ a b c GTOM vol.02 2023, p. 13, 「ゴジラに立ち向かうモスラ」
- ^ a b VSモスラ超全集 1992, pp. 52–55, 「インファント島大研究」
- ^ モスゴジコンプリーション 2022, p. 127, 「シナリオ全文掲載」
- ^ 三大怪獣コンプリーション 2023, p. 75, 「井上泰幸美術資料」
- ^ a b GTOM vol.11 2023, p. 22, 「秩序を護る「地球生命」の代弁者 コスモス」
- ^ a b 東宝SF特撮映画シリーズ7 1993, pp. 74–79, 「インタビュー 大河原孝夫」
- ^ a b ゴジラ大百科 1992, pp. 74–77, 文 手塚昌明「『ゴジラVSモスラ』本編撮影エピソード」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズ11 1996, pp. 97–100, 「『モスラ』に新たな映像イメージをもたらしたCG」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズ11 1996, pp. 46–49, 「インタビュー 川北紘一」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズ11 1996, p. 57, 「スタッフが語る LDKバトルはいかに作られたか 僕の居間は戦場だった」
- ^ a b c 東宝SF特撮映画シリーズ13 1998, pp. 36–39, 「MAIN STAFF INTERVIEW 監督:米田興弘」
- ^ 大辞典 2014, p. 371, 「ゴジラ大辞典 追補篇 い インファント島(GFW版)」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2005, p. 14, 「[インタビュー] 三村渉」
- ^ a b 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2005, pp. 37–38, 「[インタビュー] 瀬下幸治」
- ^ a b c FWコンプリーション 2023, p. 21, 「デザインワークス」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 152–153, 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(1)」
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズ7 1993, p. 71, 「インタビュー 大森一樹」
- ^ 「モスラ」の故郷を宣言 竹富町 - 琉球新報、1996年11月19日
- ^ 沖縄タイムス、1996年11月2日
- ^ 映画「モスラ2」撮影始まる - 琉球新報、1997年6月28日
出典(リンク)
参考文献
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