上土方嶺向
上土方嶺向(かみひじかたみねむかい、英語: Kamihijikataminemukai)は、静岡県掛川市にある大字。 地理静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。西は山地であり楞厳寺山、高天神山といった山々が聳えている。中央には平地が広がり田畑として利用されている。東の平地には人家も多い。東端を下小笠川が流れている。 集落としては隣接する大字とともにまとめて「嶺向」[2][3]との名で呼ばれているが、大字としての住所表記では「上土方嶺向」[4]と記される。なお、集落としての嶺向は、掛川市の自治区においては上土方区ではなく土方区に属している[5]。 山岳
河川
湖沼
歴史古くより要衝として知られており、西に聳える高天神山には高天神城が築かれていた。この城が築城された正確な時期は不明であるが、少なくとも16世紀には既に城があったとみられている。戦国時代の末期には、この城をめぐって武田勝頼と徳川家康との間で高天神城の戦いが繰り広げられてきた。 1581年(旧暦天正9年3月)の第二次高天神城の戦いにより高天神城は落城し、その後は再建されることもなく廃城となった。江戸時代に入ると静かな農村として発展する。 上土方嶺向と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡上土方村の一部であった[6][7][8]。正保郷帳には上土方村として記載されている[8]。その後、上土方村は落合村、向村、嶺村の3村に分割された[6][8]。元禄郷帳には落合村、向村、嶺村はそれぞれ別々の村として記載されている[8]。そのうち向村の村域の一部[7]、および、嶺村の村域の全てが[6]、のちの上土方嶺向に該当する[6][7]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば当時の石高は向村が446石7斗7升6合、嶺村が266石3斗6升であったとされている[8]。1868年(明治元年)に嶺村と向村が合併することになり、新たに嶺向村が発足した。 明治維新を経て町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後の度重なる市町村合併を経て、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。 地名の由来「上土方嶺向」と呼ばれている地は、かつては土形郷の一部であり、時代が下ると「上土方村」の一部となっていた[8]。その後、上土方村は落合村、「向村」、「嶺村」に分割されたが[6][8]、そのうち嶺村と向村が1868年(明治元年)に合併して「嶺向村」と命名された。そのため「嶺向」は合成地名の一つである。 沿革
世帯数と人口2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
事業所2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[9]。
小・中学校の学区
施設史跡その他郵便
警察警察の管轄区域は以下の通りである[20]。
消防消防の管轄区域は以下の通りである[21]。
ギャラリー脚注
関連項目外部リンク
|