城東村 (静岡県小笠郡)
城東村(きとうむら、英語: Kitō Village)は、日本にかつて存在した村である。静岡県小笠郡に属した。 概要1955年(昭和30年)に静岡県小笠郡にて佐束村と土方村の2村が合併し、城東村が設置された。翌年には小笠郡中村を編入した。その後、村域の一部が小笠郡小笠町や小笠郡大浜町に編入されている。1973年(昭和48年)に城東村は大浜町と合併し、大東町が新設された。 地理地勢静岡県の西に位置していた。北に小笠山や佐束山が、西には高天神山が位置していた。村内を下小笠川や佐束川が南北に縦断していた。全域が現在の静岡県掛川市に含まれる。 隣接していた自治体歴史沿革1955年(昭和30年)1月1日に静岡県小笠郡の佐束村と土方村が合併して、城東村が発足した。同年2月に山崎金一が初代村長に就任した[5]。1956年(昭和31年)9月30日には中村を編入した。1957年(昭和32年)9月1日には、城東村の大石の一部が小笠町に編入されるとともに、城東村の中の一部が大浜町に編入された。1958年(昭和33年)1月1日には城東村の大石の一部が小笠町に編入された。同年4月1日には城東村の海戸の一部が小笠町に編入された。 山崎金一は1958年(昭和33年)4月に村長を退任し[5]、同年4月に岡本善夫が後任の村長に就任した[5]。岡本善夫は1962年(昭和37年)4月に村長を退任し[5]、同年4月に赤堀孫平が後任の村長に就任した[5]。1973年(昭和48年)4月1日、城東村と大浜町が合併して大東町が発足した。それに伴い、同年4月1日に城東村は廃止された。 →後身の町の詳細については「大東町 (静岡県)」を参照
年表
行政歴代村長
経済産業城東村では農業が盛んであり、主産品として茶が重要視されていた。城東村立佐束小学校の校章にはチャノキの花と葉があしらわれるほどであった。 また、菊川照明の本社が設立されるなど、著名な企業の創業の地としても知られている。日本酒を醸造し品評会で入賞を繰り返した土井酒造場や、ソケットレンチで高いシェアを占める山下工業研究所なども操業しており、両社はかつての城東村の村域に現在でも本社を設置している。 主な企業教育
神社仏閣村内には多数の神社が鎮座しており、人々の信仰を集めていた。かつての郷社としては、高天神社が鎮座していた[6]。高天神社は高天神城を守護する神社として知られている。かつての村社としては、春日神社[7][8]、二宮神社[7][8]、八幡神社[8]、小笠神社[8]、素我神社[8]、比奈多乃神社[8]、津島神社[8]、小谷神社[8]、八坂神社[8]、八幡神社[8]、神明神社[8]、赤山神社[8]、津島神社[8]、が鎮座していた。かつての無格社としては、白山神社[7][9]、猿田彦神社[7][9]、山王神社[9]、などが知られている。なお、小笠神社は1919年(大正8年)に郷社に昇格し[10]、1945年(昭和20年)には県社に昇格した[10]。小笠神社は大須賀町に鎮座する三熊野神社や浜岡町に鎮座する高松神社とともに文武天皇の命により熊野三山から勧請されたため「遠州の熊野三山」と称される。 なお、城東村の中でも旧中村に鎮座する神社のほとんどは、村に満勝寺が創建された後に建てられた[11]。また、高天神城の戦いの直後に創建や再興されたものが多いが[11]、これは戦乱により避難を余儀なくされていた住民が帰村し祭祀を再興したためとみられる[11]。具体的には、1086年に素我神社が創建され[11]、同年(旧暦応徳2年)に天王社が勧請された[11]。1447年には八幡社が[11]、1491年には神明社が[11]、それぞれ創建された[11]。1586年には赤山神社が創建され[11]、1587年には八坂社・八幡社が修築されるとともに[11]、同年には諏訪神社も創建された[11]。1649年には白山神社が創建された[11]。 一方、村内には多数の寺院や堂宇も創建され、人々の信仰を集めていた。八相寺[7]、宗禅寺[7]、意正院[7][12]、弘法堂[7]、浮島堂[7]、地蔵堂[7]、などが知られている。
交通村内に鉄道は敷設されておらず、駅も設置されていない。主要な道路は下記のとおりである。道路の呼称は現在のものである。 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事著名な祭事としては、小笠神社の矢矧祭、高天神社の例大祭、八坂神社の祇園祭などが挙げられる。 1086年(旧暦応徳2年)に始まった八坂神社の祇園祭は[13]、1984年(昭和59年)に「大東町八坂神社の祇園囃子と祭礼行事」[14][† 1]として静岡県指定無形民俗文化財に指定されている[13]。 出身の人物
脚注註釈出典
参考文献
関連項目 |