加藤定吉 (衆議院議員)加藤 定吉(かとう さだきち、1871年2月1日(明治3年12月12日[1]) - 1934年(昭和9年)4月14日[2])は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 経歴のちの静岡県城東郡土方村(小笠郡土方村、城東村、大東町を経て現掛川市)に生まれる[3][4]。土方嶺小学校、韮山の伊豆学校を経て、1891年(明治24年)慶應義塾大学部を卒業する[4]。ドイツ人の経営するイリス商会、横浜貿易商会、兜町金万商会と転じた[4]。日清戦争後の1895年(明治28年)に台湾に渡り、さらに義和団の乱が勃発すると中国に渡り、天津や北京で請負雑貨商を営み巨万の富を築いた[4]。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から出馬し当選[2]。つづく第13回、第14回総選挙でも当選し、衆議院議員を3期務めた[2]。憲政静岡県支部長を務めた[4]。 脚注
参考文献
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