今瀧寺 (掛川市)
今瀧寺(こんりゅうじ、英語: Konryū-ji)は、静岡県掛川市の寺院である。山号は如意輪山(にょいりんざん)。旧寺号は正瀧寺。 概要静岡県掛川市に所在する真言宗の寺院である[1][2]。小笠山丘陵に隣接して立地している。聖武天皇の勅願により[1][3]、行基が開山した[1][3]。かつては正瀧寺と呼ばれていたが[3]、のちに今瀧寺に改称した[3]。境内に「ぼけ封じ観音」が建立されており[4]、高齢者らの信仰を集めている[1]。遠江三十三観音霊場の第三十二番札所であると同時に[1][3]、遠州小笠郡南部新四国八十八ヶ所霊場の第七十四番札所でもある[3]。 本尊歴史今瀧寺の起源は奈良時代にまで遡る。聖武天皇の勅願により[1][3]、729年(旧暦天平元年)に行基が創建した[1][3]。行基は養老年間(717年~724年)の前よりこの地方で教化事業を展開したとされるが[3]、小笠山を挟んで法多山の反対側にあたるこの地に着目した[3]。山や水に縁のあるこの地を霊場に見立てて[3]、行基は精舎を設け説法に勤しんだという[3]。この精舎が今瀧寺の起源とされている。 当初は正瀧寺と称しており[3]、鎌倉時代に入って1204年(旧暦元久元年)になると十二坊観音堂が建立された[3]。戦国時代に入ると、遠江国は度々戦乱に巻き込まれるようになる。正瀧寺も高天神城の戦いに巻き込まれ[1]、堂宇伽藍は全て焼失した[1]。その際に文化財や記録などは全て失われた[1]。これまでは真言密教の道場として興隆を誇っていたが[1][3]、この戦渦により往時の輝きを失った。 江戸時代に入り、1615年(旧暦元和元年)に今瀧寺と改称された[3]。1622年(旧暦元和8年)、この地の住民により再興を果たした[1][3]。江戸時代の国学者である内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、今瀧寺には朱印地として5石が安堵されていた[2]。現在は高野山真言宗に属している[3]。 境内本尊である如意輪観世音菩薩像は、木造の座像であり[1]、729年(旧暦天平元年)に行基が制作したと伝えられている[1]。開帳は60年ごとである[1]。両脇に毘沙門天像や不動明王像を配して本堂に安置されている[3][4]。本堂は1622年(旧暦元和8年)に建てられたとされる[4]。 また、客殿には不動明王像が中心に安置され[3]、脇に弘法大師像と薬師如来像が配されている[3]。釣鐘堂の梵鐘は金属類回収令に基づき戦時に供出されたが[4]、1982年(昭和57年)10月に新たな梵鐘を吊るすことになった[4]。 また、境内にはぼけ封じ観音が祀られており[4]、高齢者の悩みの解消やぼけ封じが祈願されている[5]。 文化財境内の三門は、2本のイヌマキを利用して形作られている[4]。このイヌマキは樹齢400年ほどと推定されている[4][6]。1990年(平成2年)4月6日、「今瀧寺イヌマキ2本」[6]として大東町により天然記念物の文化財に指定された[6][† 1]。また、境内のソテツも樹齢400年ほどと推定されている[4][6]。こちらも1990年(平成2年)4月6日に「今瀧寺ソテツ2本」[6]として大東町により天然記念物の文化財に指定された[6][† 1]。 脚注註釈出典
関連人物関連項目外部リンク
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