ダビデ・リゴン(Davide Rigon, 1986年8月26日 - )は、イタリア出身のレーシングドライバー。2014年から、スクーデリア・フェラーリのF1チームでテストドライバーを務めている[1]。
経歴
イタリア・ティエーネで誕生したリゴンは、フォーミュラ・BMW ADACで本格的なシングルシーターデビューを果たす。その後はイタリア・フォーミュラ・ルノー選手権やイタリア・フォーミュラ3選手権へステップアップする。2005年にはフォーミュラ・アズーラ(Formula Azzurra)でタイトルを獲得し、翌年にはイタリア・フォーミュラ3選手権で総合2位に入る。
2007年、リゴンはユーロ3000選手権で5度の優勝を決め年間タイトルを獲得する。2007-08年のA1グランプリにもエントリーをした。2008年は、GT2クラスのFIA GT選手権でBMSスクーデリア・イタリアから出場。また、インターナショナル・フォーミュラ・マスターや北京国安(Beijing Guoan)からスーパーリーグ・フォーミュラへ参戦を果たす。スーパーリーグでは開幕レースでトップチェッカーを受け、その後も好調の波に乗り413ポイントを獲得。チーム加入時には評価が分かれたが、最終的に新カテゴリー発足後の初代チャンピオンに輝く。
オフシーズンには、トライデント・レーシング(英語版)から2008-09年のGP2アジアシリーズへエントリーした。第4戦カタールラウンドから出走し、最終戦バーレーンラウンド・レース2で3位表彰台を獲得。総合17位で終える。
アジアシリーズ終了後は引き続き同チームから、GP2シリーズの本戦へ出場する。第5戦のみシートをロドルフォ・ゴンザレス(Rodolfo González)へ譲るが、それ以外は全戦出走した。入賞2回(最高位5位)を記録し、チームメイトのリカルド・テシェイラ(Ricardo Teixeira)を上回る総合22位でシーズンを終えた。2009年は再びスーパーリーグ・フォーミュラへ参戦し、チームを北京国安からオリンピアコスCFP(Olympiacos CFP)へ移籍して臨んだ。最高位フィニッシュは開幕戦のレース2で記録した2位で、チームは総合6位となる。翌年もチームを移り、R.S.C.アンデルレヒト(R.S.C. Anderlecht)でシーズンを戦った。優勝5回を含む16のレースで表彰台へ登壇し、2位のクレイグ・ドルビー(英語版)を僅か2ポイント差で振り切り自身2度目のタイトルを獲得した。
2011年は、2年ぶりにGP2シリーズへコローニ・チームから復帰する。しかし開幕戦トルコラウンドのレース2において、ジュリアン・リールとの接触事故で大クラッシュを喫してしまう[2]。メディカルチェックを受けた結果、膝下の脛骨と脛骨の数ヶ所を骨折する大怪我を負ったことが判明する[2]。第2戦以降のレースはケビン・セコン(英語版)とルカ・フィリッピへシートを譲り、怪我の治療のため残りのシーズンを全て欠場する事態となってしまった。
怪我から回復した2012年は、ブランパン耐久シリーズ(Blancpain Endurance Series)でケッセル・レーシング(Kessel Racing)からレース復帰を果たした。翌年は開幕戦モンツァで1勝し、チームメイトのダニエル・ザンピエーリ(英語版)とシーザー・ラモス(César Ramos)と共にチーム総合4位まで押し上げた。同年のFIA 世界耐久選手権で、4レースに出場した。8スター・モータースポーツ(8 Star Motorsports)からフェラーリ・458イタリアをドライブして臨んだ。チームはシーズン2勝を挙げ、LMGTE Amクラスのタイトルを獲得した。「インターナショナルGT・オープン(英語版)」ではスクーデリア・ヴィッロルバ・コルセから4レースに出場、2勝して総合10位となる。
2014年、リゴンはAFコルセに加入して2年目のFIA 世界耐久選手権へ参戦した。カテゴリーはLMGTE Proクラスへと変わり、再びフェラーリ・458イタリアのステアリングを握った。
レース戦績
略歴
フォーミュラ
フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ
イタリア・フォーミュラ3選手権
ユーロ3000選手権
スーパーリーグ・フォーミュラ
2008-2009
2009 スーパー・ファイナル
2010
GP2シリーズ
GP2アジアシリーズ
スポーツカー
FIA GT選手権
GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・耐久カップ
FIA 世界耐久選手権
ウェザーテック・スポーツカー選手権
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
スパ・フランコルシャン24時間レース
出典