ジェームズ・ステュアート(James Stewart、1908年5月20日 - 1997年7月2日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州インディアナ出身の俳優。本名はジェームズ・メイトランド・ステュアート(James Maitland Stewart)。愛称はジミー(Jimmy Stewart)。
191cmの長身で、その誠実な人柄と、日々の生活で困難に立ち向かう「アベレージ・ジョー(英語版)」(平均的な中流階級のアメリカ人)の善良な役柄を多く演じた[1]ことによる印象から「アメリカの良心」と呼ばれた。米国ボーイスカウト連盟の功労賞シルバー・バッファロー章の数少ない受賞者の一人でもある。
アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が「AFIアメリカ映画100年シリーズ」の一環として選出した『アメリカ映画スターベスト100』では男性スター部門の3位にランク入りした[2]。また、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された映画10作品(『スミス都へ行く』、『砂塵』、『桃色の店』、『フィラデルフィア物語』、『素晴らしき哉、人生!』、『裸の拍車』、『裏窓』、『めまい』、『リバティ・バランスを射った男』、『西部開拓史』)に出演している。
来歴
1934年10月撮影
映画『甦る熱球』(1949年)より。モンティ・ストラットンを演じる
映画『裸の拍車』(1953年)より
映画『裏窓』(1954年)より
映画『夜の道』(1957年)より
軍服姿。1960年代に撮影
1973年撮影
1981年撮影
裕福な家庭に生まれ、プリンストン大学で建築学と都市工学を学ぶ。大学卒業後、ジョシュア・ローガン(後に映画監督となる)、ヘンリー・フォンダ、マーガレット・サラヴァンらが所属する学生演劇集団「ユニバーシティ・プレイハウス・グループ」に参加。俳優を志し、彼らと共にニューヨークで共同生活を送るが世界恐慌による不況のためにほとんど仕事はなく、俳優業を諦めることも考えていた。
ヘンリー・フォンダの誘いでハリウッドへ行き、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約。舞台で共演した女優でコラムニストのヘッダ・ホッパーの推薦により、『舗道の殺人』(1935年)に出演して映画デビュー。翌1936年には 『超スピード時代』 で初主演を果たした。フランク・キャプラが「彼の平凡な魅力は、どこにでもいそうでどこにもいない」と着目し、『我が家の楽園』(1938年)、『スミス都へ行く』(1939年)で主役に抜擢。作品が大ヒットしスターとなる。翌1940年の 『フィラデルフィア物語』 でアカデミー主演男優賞を獲得した[3]。1948年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』 に主演として起用された。ヒッチコックお気に入りの男優として計4本に主演している。
第二次世界大戦中は率先して軍隊に志願。陸軍航空軍のB-24爆撃機パイロットとして活躍した。出撃回数は20回、飛行時間は1800時間にも及び、1945年3月に大佐に昇進した。大戦後の1959年7月には空軍准将に昇進。1968年3月に空軍を退役し、その後少将に昇進している(ハリウッドの俳優としては最高位)[4]。親友のゲイリー・クーパーが『ヨーク軍曹』でアカデミー賞を受賞した際には、堂々と軍服姿でプレゼンターとして授賞式に出席し、クーパーにオスカーを手渡している。
戦後はハリウッドに英雄として凱旋。映画会社は彼を主演に戦争映画を作ろうと目論んだが、ジミーは「本物の戦争を見てきた人間が、戦争映画に出たいと思いますか?」とそれらを全て断り『素晴らしき哉、人生!』(1946年)、『ハーヴェイ』(1950年)といったヒューマン・コメディに主演した。
戦後は『ウィンチェスター銃'73』(1950年)、『怒りの河』(1952年)、『ララミーから来た男』(1955年)などの西部劇でも新境地を拓いた。なお『ウィンチェスター銃'73』 で、初めて作品の儲けから定率でギャラを支払う、いわゆる出来高払い制度で契約した[5]。このシステムは、現在まで長い間引き続き使われている[6]。
1984年、長年の映画界への功績を称え、アカデミー名誉賞が授与された[7]。
人物
私生活
第二次世界大戦後、41歳の時に元モデルのグロリア・マクリーンと結婚。双子の女児がいる。また2人の男児を養子に取り、その一人ロナルドは24歳の時にベトナム戦争に従軍して亡くなっている[8][9]。娘のケリーは人類学者となった[10]。
政治的には共和党を支持していた[11]。
エピソード
- 元悪党という場合を除き、基本的に悪役を演じたことはないが、『夕陽特急』(1936年)では悪役として出演している。
- 元悪党として『怒りの河』(1951年)の入植者を導く改心した元強盗、『遠い国』(1954年)の人間嫌いでエゴイストなカウボーイも終盤には正義感に目覚め街の人々の為に悪徳保安官一党と闘い、『バンドレロ!』(1968年)の元北軍将校で魔がさして銀行強盗をするが最後は保安官に金を返し息絶える役。
- 1947年赤狩りの時は体制側を支持した事から、無名時代からの親友であり革新派支持のヘンリー・フォンダと大喧嘩するが、フォンダが『ミスタア・ロバーツ』でハリウッドに凱旋復帰した頃に和解し『間違えられた男』のセットに表敬訪問、以後2人は政治の話を一切しなかった。
- 最後の西部劇『テキサス魂』(1970年)撮影中(1969年)に、グロリア夫人の連れ子をベトナム戦争で亡くし落ち込んだ彼を励ましたのは、やはり共演者で親友のフォンダだった。昼食後に必ずニンジンやスイカを持って厩に行き愛馬パイに食べさせる事に気づいたハンク(フォンダの愛称)は、パイの絵を描きクランクアップした時にプレゼントした。
- ジミー(スチュアートの愛称)は『ウィンチェスター銃'73』以来20年間愛馬パイに乗り続け、馬主もジミー以外のスターには貸さなかった。
- 自身が最も気に入っている作品のひとつは『ハーヴェイ』(1950年)であった。
- ゴシップと無縁な稀有なスターとして知られる。結婚も生涯一度きりであり、離婚歴はない。妻のグロリアは「夫は毎日のように美しい女優と共演しているのに、いつもきちんと家に帰ってきました」と語っている。
- キス・シーンが苦手で、アルフレッド・ヒッチコックは「彼はグレース・ケリーやキム・ノヴァクとキスできるというのに、ちっとも嬉しそうな顔をしない」とぼやいた。なおジミー本人は「僕がキス・シーンが苦手なのはたぶん、相手の女優と身長差がありすぎるせいだろう」と話している。
- 後年「あなたの演技(Act)の秘密は?」と聞かれた際に、「I don't act. I just react.(私は演じてはいません。ただ相手に合わせているだけです。)」と答えている。
- 第一回『東京国際映画祭』で『グレン・ミラー物語』(1954年)ステレオサウンド版の舞台挨拶で「好きな監督はフランク・キャプラとアルフレッド・ヒッチコックです」と明言している。
主な出演作品
受賞歴
アカデミー賞
- 受賞
- 1941年 アカデミー主演男優賞:『フィラデルフィア物語』
- 1985年 アカデミー名誉賞
- ノミネート
- 1940年 アカデミー主演男優賞:『スミス都へ行く』[12]
- 1947年 アカデミー主演男優賞:『素晴らしき哉、人生!』[13]
- 1951年 アカデミー主演男優賞:『ハーヴェイ』[14]
- 1960年 アカデミー主演男優賞:『或る殺人』[15]
ゴールデングローブ賞
- 受賞
- 1965年 セシル・B・デミル賞
- 1974年 男優賞 (テレビドラマ部門):『Hawkins』
- ノミネート
- 1951年 主演男優賞 (ドラマ部門):『ハーヴェイ』
- 1963年 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門):『H氏のバケーション』
ニューヨーク映画批評家協会賞
- 受賞
- 1939年 主演男優賞:『スミス都へ行く』
- 1959年 主演男優賞:『或る殺人』
日本語吹き替え
主に担当していたのは、以下の三人である。
- 浦野光
- 最も多く吹き替えており、スチュアートの専属(フィックス)として知られている[要出典]。
- NET(現:テレビ朝日)で1968年に担当して以来、『日曜洋画劇場』で主に担当し、70年代以降は他局でも起用される機会が多くなりスチュアートの声優として定着した[要出典]。
- 家弓家正
- スチュアートのもう一人のフィックスとして知られており[要出典]、浦野の次に多く吹き替えていた。
- フジテレビの『ゴールデン洋画劇場』を中心に主に担当していた。
- 小川真司
- 80年代以降のヒッチコック作品をテレビ朝日で主に担当していた。
参照
外部リンク
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