ザッツ・エンターテインメント『ザッツ・エンタテインメント』(That's Entertainment!)はアメリカのミュージカル楽曲と同名の映画。 楽曲1953年に公開されたアメリカ・メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社のミュージカル映画『バンド・ワゴン』のために、ハワード・ディーツ(作詞)とアーサー・シュワルツ(作曲)が書下ろした歌曲。プロデューサーであったアーサー・フリードが、ショウ・ビジネスの世界を舞台とした同作には、『アニーよ銃をとれ』(1950年)の「ショウほど素敵な商売はない」のような曲が必要と考え、二人に依頼。30分あまりで一気呵成に書下ろしたのがこの曲であるという(ちなみに『バンド・ワゴン』における唯一の書下ろし曲でもある)。 映画では、フレッド・アステア扮する落ち目の映画俳優が、やり手の演出家(ジャック・ブキャナン)や友人の脚本家(ナネット・ファブレー、オスカー・レヴァント)に誘われて、斬新な舞台作品に挑戦する決意を固めるシーンで用いられ、上記の4人が歌って踊るほか、ラスト・シーンでもアステアの恋人役シド・チャリシーを交えて合唱し、まさしくショウ・ビジネスの賛歌といった観がある。『バンド・ワゴン』では主題歌とはならなかったが、後にジュディ・ガーランドが舞台で歌い、映画『ザッツ・エンタテインメント PART2』(歌詞は一部補綴がある)で主題歌としてアステアとジーン・ケリーが熱唱したこともあって、MGMミュージカルを代表する歌曲となった。 映画第一作(ザッツ・エンタテインメント)
概要かつてハリウッド最大手として知られ、ミュージカル映画では他社の追随を許さなかったメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(以下MGM)社が、創立50周年を記念して1974年に製作した、ミュージカル作品のアンソロジー映画。 当初、テレビ特番として放映する予定であったが、試写を見た幹部がそのできばえに感心し、自社映画として公開することを決定した。このことを知ったジーン・ケリーが、かつて同社に所属していたスターに声をかけ、プレゼンターとしてフレッド・アステア、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、エリザベス・テイラー、ミッキー・ルーニーなどの豪華な面々が出演。同年のヒット作となり、1960年代のヒッピー文化などの影響を受けて、1970年代中盤当時きわめて低調であったミュージカル映画にふたたび注目のあつまるきっかけとなった。 内容は『ブロードウェイ・メロディー』(1929年)にはじまるMGM社ミュージカルのなかから名シーンを抜粋し、プレゼンターのコメントを挟みつつ紹介してゆくというもの。モノクロやカラーの別にはこだわらず、通常サイズからシネマスコープまで画面の種類もさまざまな作品のなかから、ミュージカル・シーンにおいて優れたものだけを取出した作品であり、このため現在でもミュージカル映画の入門篇として高く推奨されることが多い。 またビデオ化やDVD化されなかった作品、国によっては未公開の作品も多く含まれるため、特にモノクロ時代のミュージカルに関する貴重な資料ともなっている。アンソロジー・ピースは時代順に配列することを原則としているが、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランド、エスター・ウィリアムズの4人については、特にそれぞれのフィルモグラフィが独立してまとめて紹介される。 映画化にあたっては、新たにプレゼンターの登場するシーンが、カリフォルニア州のMGMの野外セットやその跡地、MGM本社やスタジオ前などで撮影された。「天の星の数よりも多いスターを擁する」と言われた1930年代から1950年代の最盛期に比べると、1974年当時のMGMにかつての面影はほとんどなく、長年使用されず雨ざらしで荒れ果てた野外セットは観客に隔世の感を与えた。 登場するスターたちも、アステア、クロスビーをはじめほとんどが老境にあったが、アステアがケリーの、ケリーがアステアの、そしてライザ・ミネリが母親であるガーランドのフィルモグラフィのプレゼンターとなるなど、スターたちの変わらぬ友情や家族愛、次代に受け継がれるミュージカルへの情熱をスクリーンのなかに見ることのできる作品である。 使用楽曲
出演者(姓のアルファベット順、括弧内は日本語吹替) ※日本語吹替:テレビ放送用に作られたもの。DVDに収録。初回放送1979年12月21日『ゴールデン洋画劇場』 映画第二作(ザッツ・エンタテインメント PART2)
概要第一作の成功により、翌1975年続編として『ザッツ・エンタテインメント PART2』が企画された。本作では、前作で紹介しきれなかったミュージカル映画のほか、コメディ(マルクス兄弟やアボットとコステロ、レッド・スケルトンなど)、ストレート・プレイ(スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンの競演作品)などが紹介され、編集の方法も単純な時代順ではなく、ミュージカル・シークエンスの内容に沿った「意識の流れ」の手法によるものとなった。 また、前作にプレゼンターとして登場し、当時歌手として比肩するもののない地位を築いていたフランク・シナトラのフィルモグラフィも加えられている。 本作において特筆されるべきは、プレゼンターのフレッド・アステアとジーン・ケリーが、アンソロジー・ピースをつなぐ場面で「ザッツ・エンタテインメント」や「ビー・ア・クラウン」(コール・ポーター)をスタジオ内に作られたセットの中で歌い、踊り、ミュージカルによってミュージカルを紹介するという枠組みをとったことである。 アステアはジーンのつよい慫慂によって出演を決めたものの、当初は「ソング&ダンスだけは勘弁してほしい」と主張していた。ところがBGMとなる「ザッツ・エンタテインメント」に関する打ち合わせ中に、突然、「ここで16小節くらい踊ってみたらどうだろう?」、「立ってしゃべっているだけでは、われわれはもう動けないと思われてしまうよ」と言いはじめ、最終的に上記二曲に歌詞の補綴を加え、歌によってアンソロジー・ピースを紹介しつつ、踊ってシーンをつなぐことが決まった。 これらのミュージカル・シークエンスはジーン・ケリーが振付と監督を行い、2人は『ジーグフェルド・フォリーズ』以来の競演を果たしたのであった。当時ケリーは64歳、アステアは76歳となっており、ミュージカル・シークエンスの撮影には「成功したが、ずいぶん奮闘した」(アステア)。 特に本作は、ミュージカル映画時代を代表するスターであったアステアにとって最後のミュージカル映画出演となり、映画、テレビを通してアステアのラスト・ダンスとなった。 使用映画(公開年度順) 出演者(姓のアルファベット順) ※日本語ナレーション:羽佐間道夫(テレビ放送用に作られたもの。DVDに収録。) 映画第三作(ザッツ・エンタテインメント PART3)
概要第1作の公開から20年後、前作の公開から19年後の1994年に、MGM創立70周年を記念して『ザッツ・エンタテインメント PART3』が製作された。 今作は第一作の手法に立ち戻って、アンソロジー・ピースをミュージカル映画に絞り、複数のプレゼンターがMGMの映画製作に関する各部署(背景部、衣装部、保管庫など)を紹介しつつ、なつかしの名作を振り返る内容となった。 編集はほぼ時代順だが、第一作と同じく、アステア、ケリー、ガーランド、ウィリアムズの4人について特別に個人のフィルモグラフィが編集されている。 前二作とは異なり、MGMに保管されていたアウト・テイクが数多く紹介されている点に特色があり、エレノア・パウエルが『魅惑のリズム』を踊るシーンの撮影風景(『レディ、ビー・グッド』)、フレッド・アステアが『アイ・ワナ・ビー・ア・ダンシング・マン』の本編とアウト・テイクで寸分たがわぬダンスを披露するシーン(『ベル・オブ・ニューヨーク』)、ジュディ・ガーランドが『サマー・ストック』に先立ってハーフタキシード姿を披露するはずだった『ミスター・モノトニー』(『イースター・パレード』のアウト・テイク)や撮影中に降板した『アニーよ銃をとれ』のナンバーなど、貴重な場面が収録されている。 プレゼンターとしては、三作すべてに出演したジーン・ケリーをはじめ、第一作以来のデビー・レイノルズ、ミッキー・ルーニーのほか、エスター・ウィリアムズやレナ・ホーンが久々で公の場に姿をあらわした。ケリーにとっては本作が最後の映画出演となり、まさにハリウッドのミュージカル史を記念する作品であるといえよう。 使用楽曲
出演者(姓のアルファベット順) 脚注注釈
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