翼よ! あれが巴里の灯だ
『翼よ! あれが巴里の灯だ』(つばさよ! あれがパリのひだ、英: The Spirit of St. Louis)は、1957年のアメリカ合衆国の伝記映画。ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演。脚本はチャールズ・レデラー、ウェンデル・メイズおよびビリー・ワイルダーで、1954年にピューリッツァー賞を獲得した、チャールズ・リンドバーグの著作『The Spirit of St. Louis』を原作[注 1]とする。 映画はリンドバーグのライアンNYP単葉機スピリットオブセントルイス号による歴史的な大西洋横断飛行を、1927年5月20日のニューヨーク、ルーズベルト飛行場の離陸から、5月21日にパリのル・ブルジェ空港に着陸するまで描く。 ストーリー映画はリンドバーグの歴史的な飛行の前夜から始まり、いくつものフラッシュバックによって、1923年の初めての単独飛行で始まる彼の飛行キャリアを物語る。曲技飛行団での日々、陸軍での飛行訓練、飛行教官・郵便機パイロットとしての飛行、不調に終わったコロンビア航空社からのベランカ機購入交渉、セントルイス商工会議所からの資金援助の獲得、スピリットオブセントルイス号の設計と製作、等々である。 困難な離陸のあと、リンドバーグは睡眠不足や機体の着氷と戦い、推測航法で苦闘する。そこに、「バド」・ガーニーと組んでの愛機ジェニーによる旅回りや、ブルックス飛行場での陸軍飛行士としての訓練など、飛行士としての初期のエピソードが描かれる。飛行中に操縦席に入り込んだ蠅や、天井のコンパスを見るために見物の少女から貰い受けた鏡のエピソードも有名である。 そしてついにアイルランドのディングル湾で陸地にたどりつき、プリマス上空を飛んでイギリス海峡を横断、英雄の歓迎に沸くパリのル・ブルジェ空港に到着する。 キャスト
1955年8月に製作にかかったとき、ジャック・ワーナーはリンドバーク役をジョン・カーに打診したがカーはそれを断った[5][注 2][6]。 ジェームズ・ステュアートがその47歳という年齢にもかかわらず、すでに1954年という早い段階からリンドバーグの役を演じたいとワーナーブラザーズ経営陣に働きかけ、のみならず熱心なダイエットと節制をして1927年当時のリンドバーグ(その時リンドバーグは25歳だった)の外見に近づけようとしていたことは多くの情報源によって知られている。ステュアートには、年齢を重ねた当時にあっても変わらない、生涯を通じてのリンドバーグと飛行への情熱があり、それは、彼の若い頃の「ローンイーグル(リンドバーグの愛称)」のこの飛行が最大のきっかけとなっていたのだった。そしてそれこそが彼に飛行士としての道を歩ませていたのである[注 3]。ステュアートは結局リンドバーグの役を射止めたが、その年齢は製作後の批評の格好の標的となった。 製作大西洋横断飛行を忠実に再現するために、ヨーロッパやスタジオなど各所での撮影用としてスピリットオブセントルイス号の複製が3機製作された。そのうち2機はまだ飛行可能な状態で、1機はミシガン州ディアボーンのヘンリー・フォード博物館に展示されており、もう1機はウィスコンシン州オシュコシュのEAAエアベンチャー博物館にある。映画の撮影は、現在はアラン・ハンコックカレッジの敷地になっている、カリフォルニア州サンタマリアにあったサンタマリア・パブリック空港で行われた。 反響映画が20ヶ月にわたる製作期間の後1957年4月に公開されると、主に当初予算の2倍以上という莫大な制作費による興行上の失敗について、さまざまな評価を受けた。しかし、その特殊効果とジェームズ・ステュアートの優れた演技については賞賛された。『タイム』誌は1957年にこの映画についてこう書いている。
後にこの映画はその輝きを幾分回復することができた。そして現代ではリンドバーグの性格描写と、記録的な飛行の準備に関する秩序立った描写に再評価がなされている。スミソニアン協会はこの映画を古典シリーズの一部として最近上映し、「魅力的で」「緊迫感のある」ものとしてDVD化も行われた。 日本題名について1957年に日本初公開された時は『翼よ!あれが巴里の灯だ』であったが[7]、1966年にリバイバルされた際は『翼よ!あれがパリの灯だ』と「パリ」の部分がカタカナ表記に改題された[8]。そのため、1966年リバイバル時のポスターやパンフレットはカタカナ表記になっている。1980年代に日本ヘラルド配給でリバイバルされた際は再び『翼よ!あれが巴里の灯だ』の漢字表記になっている。 表彰1958年のアカデミー賞で、ルイス・リキテンフィールドは特殊効果賞にノミネートされた。また、AFIの「感動の映画ベスト100」にも69位にランクされた。 脚注注釈
出典
参考文献
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