ケビン・エストレ
ケビン・エストレ(Kévin Estre, 1988年10月28日 - )は、フランス・リヨン出身のレーシングドライバー。ポルシェのワークスドライバーとして活躍しており、現在はポルシェ・ペンスキー・モータースポーツからFIA 世界耐久選手権のハイパーカークラスに参戦している。2018-19年のGT FIA 世界耐久ドライバーズ選手権チャンピオン。 ファミリーネームは「エストーレ」と表記されることもある。 経歴初期の経歴![]() 2001年にカートを始めたエストレは、2006年にフォーミュラ・ルノー・キャンパス・フランスに参戦し、四輪レースデビューを果たした。この年、トリスタン・ボーティエとのタイトル争いを制してチャンピオンに輝いた。翌年は、グラフ・レーシングからフランス・フォーミュラ・ルノー 2.0に参戦し、年間ランキングは8位となった。 2008年にエストレはスポーツカーレースへの転向を果たした。前年から引き続きグラフ・レーシングに所属したものの、参戦シリーズをポルシェ・カレラカップ・フランスに切り替え、最終ラウンドであるマニクールでの勝利を含む5度の表彰台を獲得してランキング5位となった。 2009年からはSofrev ASPに移籍してポルシェ・カレラカップ・フランスに参戦した。2010年にはフレデリック・マコヴィッキィとタイトル争いを展開し、2ポイント差のランキング2位となった。 ASイベントに移籍した2011年には12戦中10勝という成績で念願のポルシェ・カレラカップ・フランスのタイトルを獲得した。また、この年にはアテンプト・レーシングからポルシェ・スーパーカップにも参戦を始めている。翌年以降は同チームから、ポルシェ・スーパーカップに加えてポルシェ・カレラカップ・ドイツにも参戦し、2013年には8勝を挙げてカレラカップ・ドイツの王者に輝いている。 同じく2013年にはFFSA GT選手権へのスポット参戦に加え、バクー市街地コースで行われたバクー・ワールドチャレンジにもヘクシス・レーシングから参戦した。予選レースで3位を獲得し、決勝レースではロブ・ベルのドライブ中にタイヤトラブルで大幅に後退したものの、エストレの追い上げで最終的に2位でフィニッシュした(接触に対するタイムペナルティをレース後に受け、3位に降格)[1]。 グランドツーリングマクラーレン(2014-16)2014年1月、マクラーレンはエストレをファクトリードライバーとして起用することを発表した[2]。エストレはアンディ・ソウセック、ケビン・コリュスと共にARTグランプリの99号車からブランパン耐久シリーズに参戦し[3]、2度の表彰台を獲得してランキング8位となった。ドーア・モータースポーツより参戦したニュルブルクリンク24時間レースでは当時のレコードとなるタイムでポールポジションを獲得した[4]。また、この年、パーク・プレイス・モータースポーツからポルシェ・911 GTアメリカを駆ってユナイテッド・スポーツカー選手権のGTDクラスにも参戦し、選手権でクラス31位となった。 2015年も引き続きブランパン耐久シリーズに参戦したが、ARTグランプリからフォン・ライアン・レーシングに移籍し、マシンも新投入されたマクラーレン・650Sへと変わった。ブランパン・スプリントシリーズにもロブ・ベルとのコンビでアテンプト・レーシングから参戦した。このうち、耐久シリーズでは第2戦シルバーストーンと第5戦ニュルブルクリンクで優勝し、ランキング4位となった。 同年にはオーク・レーシングのLMP2マシンを駆ってル・マン24時間レースにも初挑戦したほか[5]、FIA 世界耐久選手権(WEC)のスパラウンドに、レギュラードライバーの代役としてポルシェ・チーム・マンタイから出走し、3位入賞を果たしている[6]。 ポルシェ(2016-)エストレは2016年にマクラーレンを離れ、ポルシェのファクトリードライバーとなった[7]。この年、エストレは主にKÜS TEAM75 ベルンハルトからADAC GTマスターズの後半戦に参戦し、デビッド・ヤーンのタイトル争いをサポートしたほか、ル・マンやデイトナといった長距離レースにおいてポルシェのワークスチームの第三ドライバーを務めた。 ![]() 2017年、エストレは当初、ローレンス・ヴァントールと共にユナイテッド・スポーツカー選手権に参戦することとなっていたが、フェラーリから移ったジャンマリア・ブルーニが移籍に伴い設けられた契約条項のために同年のWEC参戦が不可能となったため、その代役として3月にマンタイ・レーシングがオペレーションを行うポルシェ・GTチームからの参戦が発表された[8]。この年、エストレはミカエル・クリステンセンと共に92号車をドライブした。随所で速さを見せたものの、新投入されたポルシェ・911 RSRのトラブルに悩まされることも多く、表彰台を3度獲得するにとどまった。 2018年も同様の体制でWECに参戦した[9]。同年のル・マン24時間レースではポルシェの創業70周年を記念し、1971年のル・マン24時間レースに参戦したポルシェ・917/20「ピンク・ピッグ」を模したカラーリングのマシンをクリステンセン、ヴァントールとドライブした[10]。決勝では予選2番手からスタートし、序盤のセーフティカー導入で得たマージンを活かしてそのままクラス優勝を達成した[11]。ル・マンと第4戦富士での勝利を含め、92号車は5連続を含む6度の表彰台を獲得し、変則的なスケジュールとなった2018-19年シーズンのGTE Proクラスのチャンピオンに輝いた。 2019年にはマンタイ・レーシングから参戦したニュルブルクリンク24時間レースでヴァントール、クリステンセン、アール・バンバーと共に911号車に乗り込み、レースの大半に渡って首位争いを展開した[12](2位でレースを終えた後、技術規定違反で失格[13])。GPXレーシングから参戦したスパ24時間レースではクリステンセン、リヒャルト・リーツと共に雨で波乱が続いたレースを制した[14]。 2021年、クリステンセンがフォクトリードライバーから外れたことに伴い、WECでのチームメイトがフォーミュラEに参戦していたニール・ジャニに変更になった[15]。ニュルブルクリンク24時間レースでは11番手スタートから自身のドライブで4周目に首位に浮上し、悪天候のため史上最短となったレースを制した[16]。 レース戦績ポルシェカップポルシェ・スーパーカップ
ポルシェ・カレラカップ・ドイツ
グランドツーリングADAC GTマスターズ
FIA GTシリーズ/ブランパンGTシリーズ・スプリントカップ
GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・耐久カップ
(key) ピレリ・ワールドチャレンジ
インターコンチネンタルGTチャレンジ
スパ・フランコルシャン24時間レース
ニュルブルクリンク24時間レース
バサースト12時間レース
スポーツカーユナイテッド・スポーツカー選手権
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia