オリヴィエ・プラ
オリヴィエ・プラ(Olivier Pla, 1981年10月22日 - )は、フランス・トゥールーズ出身のフランス人のレーシングドライバー。 レース経歴フランス・フォーミュラ・カンピュスとフランスF3プラのレーシングドライバーとして本格的なスタートを切ったのは、2000年にフランス・フォーミュラ・カンピュス(後のフランスF4選手権)に参戦した時であり、翌年の2001年にはソルニエ・レーシングチームに所属してフランス・フォーミュラ3選手権に参戦している。同シーズン、ソルニエチームのチームメイトには日本人ドライバーの福田良がいた。プラは全11戦中9回入賞してポイントを獲得し、年間順位8位でシーズンを終えている[1]。ちなみにチームメイトの福田はこのシーズン、日本人として初となるフランスF3チャンピオンを戴冠している。 2002年、プラは引き続きフランスF3に参戦するが、移籍して所属チームをASMに変えている。クロワ=アン=テルノワ・サーキットとル・マンのブガッティ・サーキットで挙げた2勝を含め全14戦中9回表彰台に昇り、トリスタン・ゴマンディとルノー・デルロに次ぐ年間順位3位となった[2]。 2003年、プラはASMチームでフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦した。プラは全20戦中9回表彰台に昇り、ライアン・ブリスコーとクリスチャン・クリエンに次ぐ年間順位3位となった[3]。 ワールドシリーズ・バイ・ニッサン2004年、プラはワールドシリーズ・バイ・ニッサンに活躍の場を移した。最初の1戦目と2戦目はRC・モータースポーツに所属して参戦したが、3戦目以降はマイケル・コヘインとトレードする形でカーリン・モータースポーツに移籍して参戦を継続することになった。エストリル・サーキットで挙げた1勝を含め18戦中13回入賞してポイントを獲得し、年間順位9位でシーズンを終えている[4]。 GP22005年、国際F3000選手権が衣替えして新しくスタートしたフォーミュラカーによる選手権のGP2シリーズにプラはデイビッド・プライス・レーシングに所属して参戦した。シーズンの最初の頃、プラはたびたびグリッド上でエンジンストールしていた。あるレースでは、車の1速をバックに入れてしまい、後方のチームメイトの車に向かって発進するミスを犯した。しかし彼は、リバースグリッド(GP2ではレースは1週末毎に2回行われ、2レース目(レース2)の1位から8位までのスタート順は1レース目(レース1)の結果の逆順となる)システムの利点を生かしてレース1で8位で終わったレースでポールポジションの位置からスタートできた2度のレース2のレースでどちらも勝利し2勝を挙げ、年間順位11位でシーズンを終えている。2年目の2006年も同じチーム(ただしチーム名が日本企業のDirexivがスポンサーとなり、「DPR Direxiv」に変更となる)で参戦を継続したがポイントを全く獲得できず、モナコで手を負傷したことやスポンサーのDirexivがレース活動から撤退したことなども影響して、シーズン中盤でヴィタリー・ペトロフと入れ替わる形でチームを追われた。 2007年、プラはドイツ・ポルシェカップに参戦した。GP2に参戦中のクリスチャン・バッケルードが負傷した時、GP2の元のチームのデイビッド・プライス・レーシングに呼び戻されて、代わりのドライバーとして出走している。 プロトタイプレーシングカーでのレース2008年、プラは活躍の舞台を本格的にローラのプロトタイプレーシングカーによるル・マン・シリーズとル・マン24時間レースの参戦にシフトさせた。 2009年、プラはミゲル・アマラルとペアを組んで挑んだル・マン・シリーズのLMP2クラスでチャンピオンとなった。2011年もランキング2位でシーズンを終えるなど、総じてル・マン・シリーズでは好成績を残している。 2013年からは、それまでのル・マン・シリーズからFIA 世界耐久選手権に参戦の場を移している。2013年・2014年とランキング2位となり、2013年のル・マン24時間レースでもLMP2クラスで2位に入る成績を残している。 レースの記録経歴の概略
フォーミュラフランス・フォーミュラ3選手権
フォーミュラ3・ユーロシリーズ
ワールドシリーズ・バイ・ニッサン
(key) GP2シリーズ
スポーツカール・マン・シリーズ/ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
インターコンチネンタル・ル・マン・カップ
(key) FIA 世界耐久選手権
ユナイテッド・スポーツカー選手権
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
セブリング12時間レース
スパ・フランコルシャン24時間レース
脚注
外部リンク |
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