BRM・P153
BRM・P153 は、ブリティッシュ・レーシング・モータースが1970年、1971年および1972年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。トニー・サウスゲートによって設計された。エンジンは自社製の3リッターV12エンジンを搭載した。P153の最高成績は1970年ベルギーグランプリにおける勝利で、ペドロ・ロドリゲスがクリス・エイモンのマーチを1.1秒の差で打ち破って達成した[1]。マシンは当初伝統的なブリティッシュグリーンで塗装されていたが、実戦にはメインスポンサーであるヤードレー・オブ・ロンドンのカラーリングで登場した。 開発数年の低迷したシーズンの後、オーナーのアルフレッド・オーウェン卿は他チームとのギャップを埋めるため抜本的な対策を取ることにした。チームはデザイナーとしてトニー・サウスゲートを獲得した。1970年シーズンにある程度の成功を収め、1971年シーズンは新型のP160が投入されたが、開発の遅れでP153も引き続いて投入された。1972年シーズンもP160Bの数が揃うまでの繋ぎとして使用され、最後の登場となったのは1972年ベルギーグランプリであった。 技術P153はそれまで主流であった葉巻型の車体形状を放棄し、コークボトルシェイプの形状を採用した。新設計のモノコックフレームに、2つのプラスチック製タンクがサイドポッドに配置された。フロントサスペンションはダブルウィッシュボーン式が採用された。ブレーキは4輪ともベンチレーテッドディスクブレーキを装備した。エンジンは自社製のBRM P142、V型12気筒エンジンを搭載し,440馬力を発揮した。ギアボックスも自社製の5速マニュアルが装着された。冷却装置はフロントノーズに装備され、エアインテイクの横には小さなウィングが装着された。フロントセクションには調節可能なスポイラーが装備された。 レース戦績1970年、P153はメインスポンサーのヤードレー・オブ・ロンドンのカラーである白地に金と黒のラインで塗装された。ドライバーはジャッキー・オリバーとペドロ・ロドリゲス、ジョージ・イートンが起用された。ロドリゲスは第4戦のベルギーで勝利を遂げ、チームはこの年コンストラクターズランキング6位となった。 1971年、チームはロドリゲス、ジョー・シフェールとハウデン・ガンレイを起用した。シフェールはオーストリアグランプリでP160をドライブし優勝している。ロドリゲスはシーズン途中に参戦したインターセリエで事故死し、代わってピーター・ゲシンが起用された。チームはこの年36ポイントを獲得してランキング2位となった。 1972年は前年に比べ大きく成績を落とす。新型マシンのP180が重量配分の不具合で思ったようなパフォーマンスを出せず、チーム体制も拡大したためP160やP153も使用された。P153は序盤の2戦に参戦している。 F1における全成績(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
参照
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