1972年スペイングランプリ
1972年スペイングランプリ (英: 1972 Spanish Grand Prix) は、1972年のF1世界選手権第3戦として、1972年5月1日にハラマ・サーキットで開催された。 レースは90周で行われ、3番グリッドからスタートしたロータスのエマーソン・フィッティパルディが優勝した。フェラーリのジャッキー・イクスが2位、チームメイトのクレイ・レガツォーニが3位となった。 エマーソン・フィッティパルディの兄ウィルソン・フィッティパルディがブラバムからF1デビューを果たし、F1史上初めて兄弟が同時に出走したレースとなった[2][注 1]。 レース前前戦南アフリカGPから2ヶ月空き、その間に非選手権レースが3戦行われた。3月19日にブランズ・ハッチで開催されたレース・オブ・チャンピオンズ(F5000と混走)は、ロータスのエマーソン・フィッティパルディが優勝した。3月30日にインテルラゴス・サーキットで開催された第1回ブラジルグランプリ[注 2]は、ブラバムのカルロス・ロイテマンが優勝した。4月23日にシルバーストン・サーキットで開催されたBRDCインターナショナル・トロフィー(F5000と混走)は、ロータスのエマーソン・フィッティパルディが優勝した。ティレルとフェラーリはこの3戦には参加しなかった[3]。フェラーリはこの間、312B2のテスト走行と改良を試行錯誤しながら進め、リアウィングが大きくなりエンジンオイルの冷却装置が移設された[4]。 ロイテマンは4月3日にスラクストン・サーキットで行われたF2レースでクラッシュし、手首を骨折した[1][5][6]。 エントリーブラバムはカルロス・ロイテマンが負傷のため、ウィルソン・フィッティパルディが代走を務める。グラハム・ヒルはBT34のフロント部分をラルフ・ベラミーが改造した新車BT37[7]をドライブする[1]。 ヨーロッパラウンド初戦を迎え、ブラバム以外にも新車を投入したチームがあった。マーチはアルファロメオ/マーチ製のギアボックス[注 3]をエンジンとディファレンシャルの間に置き、できるだけ重量物を中央に集めた721Xを投入した。一方、プライベートチームから参加するマイク・ボイトラーは721Gを走らせたが、これはF2マシンの722にDFVエンジンを搭載し、F1用のリアアクスルを装備したものであった[8][1]。BRMは後方に重量の大半をかけたP180を投入したが[9]、ジャン=ピエール・ベルトワーズはP180を気に入らず、ピーター・ゲシンのみがP180を使用し、ベルトワーズ、ハウデン・ガンレイ、レイネ・ウィセル、そして地元出身のアレックス・ソラー=ロイグは従来型のP160Bを使用する[1]。 エントリーリスト
予選金曜日から日曜日までテスト走行及び予選が行われた[1]。 フェラーリ・312B2の改良が功を奏し[4]、ジャッキー・イクスがポールポジションを獲得した。2番手のデニス・ハルム(マクラーレン)、3番手のエマーソン・フィッティパルディ(ロータス)までの3人がフロントローに並ぶ[注 4]。ジャッキー・スチュワート(ティレル)は4番手で、マリオ・アンドレッティ(フェラーリ)とともに2列目で並び、3列目はクリス・エイモン(マトラ)、ジャン=ピエール・ベルトワーズ(BRM)、クレイ・レガツォーニ(フェラーリ)で構成された[3]。 予選結果
決勝レースが行われる月曜日の朝に雨が降り、レース開始直前も霧雨が降っていた。しかし、レインタイヤを使用するほどではなく、全車スリックタイヤを選択した[1]。 スタートでデニス・ハルムがジャッキー・スチュワートとクレイ・レガツォーニを抑えてトップに立ち、ジャッキー・イクスとエマーソン・フィッティパルディが続いた。その後、ハルムはギアボックスにトラブルを抱え始め、スチュワート、レガツォーニを抜いていたイクスとE.フィッティパルディ、そしてレガツォーニにも抜かれてしまった。イクスはハルムを抜く際にE.フィッティパルディに追い越された。3周後、E.フィッティパルディはスチュワートを抜いてトップに立った。スタート前にコックピットから燃料漏れがあり、2周目には消火器が不意に作動してしまったため、E.フィッティパルディは苦戦していた。その数周後にスチュワートはイクスにも抜かれて、しばらくの間上位3台の順位は変わらなかった[3]。 40周目には雨脚が強くなったがレインタイヤに変えるまでには至らず、50周目には雨が止み路面が乾いていった[1]。48周目に4位のハルムがエンジントラブルでリタイアしたことでレガツォーニは順位を上げ、70周目にはスチュワートがミスをしてバリアにスピンしてリタイアした[3]。 本格的なシーズンインを前にした非選手権レースで勝ちぐせを身に着けたE.フィッティパルディは[14]、自身及び前年未勝利に終わったロータスに1970年アメリカGP以来1年半ぶりの優勝をもたらした[15][16]。イクスは力及ばず2位[4]、レガツォーニは3位で、フェラーリ勢が表彰台の2つを占めた。アンドレア・デ・アダミッチ(サーティース)は4位で初ポイントを獲得した。ここまでの4台は全てファイアストン勢で、目まぐるしい気象条件でグッドイヤーより優れたパフォーマンスを示した。グッドイヤー勢の最上位は5位のピーター・レブソン(マクラーレン)で[1]、ウィリアムズの新鋭カルロス・パーチェはF1参戦2戦目で6位に入賞し、初ポイントを獲得した[3]。 E.フィッティパルディはこの勝利でドライバーズポイントを15点とし、ハルムに並んだ[1]。 レース結果
第3戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
参照文献
外部リンク
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