1972年モナコグランプリ座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度
1972年モナコグランプリ (英: 1972 Monaco Grand Prix) は、1972年のF1世界選手権第4戦として、1972年5月14日にモンテカルロ市街地コースで開催された。 ジャン=ピエール・ベルトワーズがF1世界選手権で唯一の勝利を挙げ、BRMにとっては最後の勝利となった。 背景安全性向上のため、ピットをシケインとタバコの間にある港の正面に移設させ、新しいシケインをタバコの近くに設置した[2]。 エントリーマリオ・アンドレッティとピーター・レブソンはインディ500に出場するため、本レースを欠場した。フェラーリはジャッキー・イクスとクレイ・レガツォーニの2台で、マクラーレンはレブソンの代走としてブライアン・レッドマンを起用した。ブラバムは負傷が癒えないカルロス・ロイテマンに代わり、引き続きウィルソン・フィッティパルディを起用した[3]。 ジャッキー・スチュワートは本レースからティレル・004を走らせる。004は従来の002及び003よりホイールベースを伸ばしたティレルの第1世代[注 1]の最後となるマシンである。スチュワートは既に南アフリカGPとスペインGPで004をテストカーとして使用していた。デニス・ハルムはマクラーレン・M19Aの改良型M19Cを使用する。BRMは新車P180をハウデン・ガンレイに与え、ジャン=ピエール・ベルトワーズ、ピーター・ゲシン、レイネ・ウィセルがP160B、ヘルムート・マルコがP153Bを使用する[4]。 エントリーリスト
予選この年からブラバムのオーナーを務めるバーニー・エクレストンの庇護のもと、F1CA[注 2]は小規模なチームの出走を可能にするため、決勝には25台出走できるようにレース主催者と契約を結んでいた[4]。しかし、この年モナコ自動車クラブ(ACM)の会長に就任したばかりのミシェル・ボエリ[7]は、安全上の理由から20台しか認めなかった[注 3]。前戦スペインGPの期間中にF1CAとACMとの交渉が行われたが結論は出なかった[4]。 各チームがモンテカルロに到着すると、ボエリは決勝出走台数を22台に緩和することを提案したが、エクレストンとマックス・モズレー(マーチの共同創設者)は拒否した。ACMはガレージのドアに南京錠をかけて抵抗するも、チームはそれを破った。結局、ボエリはチームの圧力に屈し、25台を決勝に出走させることを認めた[4][注 4]。 木曜日と金曜日はドライコンディションで行われたが、土曜日は雨が降ったため、金曜日の夕方までのベストタイムでスターティンググリッドが決定した[4]。 エマーソン・フィッティパルディ(ロータス)が自身初のポールポジションを獲得した[4]。E.フィッティパルディから0.2秒差で2番手のジャッキー・イクスがフロントローに並び、2列目はクレイ・レガツォーニ(フェラーリ)とジャン=ピエール・ベルトワーズ(BRM)、ピーター・ゲシン(BRM)とクリス・エイモン(マトラ)が3列目に並ぶ。以下、デニス・ハルム(マクラーレン)、ジャッキー・スチュワート(ティレル)、アンリ・ペスカロロ(ウィリアムズ/マーチ)、ブライアン・レッドマン(マクラーレン)がトップ10に入った[3]。 予選結果
決勝日曜日も朝から雨が降り出した。路面は濡れてコースコンディションも悪く、全車レインタイヤでスタートする[4]。 ジャン=ピエール・ベルトワーズとクレイ・レガツォーニが2列目から好スタートを切り、ベルトワーズがトップに立った。フロントローのエマーソン・フィッティパルディとジャッキー・イクスは3-4位に後退した[3]。 コンディションが悪かったため、首位のベルトワーズは大きなアドバンテージを得て、すぐに引き離すことができた。5周目にはレガツォーニがシケインでエスケープロードに入ったことで助けられ、フィッティパルディとイクスを引き離した。さらに後方では多くのドライバーがミスをしたり、バリアにぶつかったりしたが、ベルトワーズはそのまま走り続けて自身初の勝利を手にした[3]。ベルトワーズと同一周回でフィニッシュできたのは雨の名手と呼ばれていた2位のイクスのみで、30秒以上の大差が付いていた[10]。レガツォーニはレース中盤でジャッキー・スチュワートに遅れを取り4位に後退するも、スチュワートのスピンによりレガツォーニが前に出た。その後、レガツォーニはオイルに乗ってスピンし、バリアにヒットしたため、スチュワートは3位に戻った。スチュワートはエンジンがミスファイアしていたにもかかわらず3位をキープしたが、終盤にE.フィッティパルディがスチュワートを抜いて3位表彰台を獲得した。ブライアン・レッドマンは5位でチェッカーを受けた[3]。 BRMはベルトワーズの勝利により、今季初のポイントを獲得した[4]。そしてこの年からBRMのタイトルスポンサーに付いたマールボロにとっても絶妙なタイミングでの勝利であった[11]。しかし、ベルトワーズにとってはこれがF1唯一の勝利で[12][注 5]、BRMにとってもこれが最後の勝利となった[13][14]。ドライバーズチャンピオン争いはE.フィッティパルディがポイントを19点とし、イクス(16点)、ハルム(15点)、スチュワート(12点)を上回りランキング首位に躍り出た。コンストラクターズチャンピオン争いはロータス、マクラーレン、フェラーリが19点で並び、ティレルが12点で4位に付けている[4]。 レース結果
第4戦終了時点のランキング
脚注注釈出典
参照文献
外部リンク
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