ヴァーン・シュパン
ヴァーン・シュパン(Vern Schuppan、1943年3月19日 - )はオーストラリア出身[1]のレーシングドライバーである。1983年のル・マン24時間レース優勝者。バーン・シュパンと表記することもある。 略歴カートからイギリスのフォーミュラ・フォードでレースデビュー[1]。1971年イギリス フォーミュラ・アトランティックチャンピオンを獲得[1]した。1972年以降フォーミュラ1に9戦出場[1]。1981年にマクラーレン・M24でインディ500に出場し3位を獲得した[1]。 1981年のインディ500[1]でペンスキーのリック・メアーズ[1]が給油中の火災で火傷を負い、1981年のル・マン24時間レースに出場できなくなり、その代役としてヨッヘン・マス[1]/ハーレイ・ヘイウッド[1]との組でジュールズがスポンサード[1]するポルシェワークス[1]のポルシェ・936[1]で出場した。ただこの時はトラブルが多く、まず点火プラグが不調、次にトランスミッションが不調となり、どちらもすぐに2番手まで回復したがシュパンが運転中に燃料噴射装置が故障、応急処置を施し1時間程掛かったもののピットに戻り、12位で完走した。 1981年の実績から[1]レース部門責任者だったヘルムート・ボット[1]が1982年のWECとル・マン24時間レースへの出場を打診、1982年のル・マン24時間レースにはヨッヘン・マス[1]との組でポルシェ・956[1]を運転し2位入賞した[1]。 1983年のル・マン24時間レースではアル・ホルバートとの組[1]でポルシェ・956[1]に乗った。残り2時間で左側ドアが吹き飛び[1]冷却不足になりエンジンが過熱[1]、アル・ホルバートがエンジンから白煙を吐かせながらも[1]だましだましゴールまで走らせて優勝した[1]。 1983年から始まった全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に藤田直廣とのチームで参戦(トラストポルシェ・956)[1]、後に自らのチームを作ってポルシェ・962Cを走らせ[1]、シュパン・962CRを企画[1]した。 レース戦績マカオグランプリ
全日本フォーミュラ2000選手権
全日本耐久選手権
ル・マン24時間レース出典参考文献
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