駒越町(こまごしまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8366。2017年6月1日現在の人口は195人、世帯数は91世帯[1]。
地理
青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線沿いに位置し、西北から南東にかけて斜めに伸びる町。町域の北部は平岡町、北東部から東部にかけて西大工町、南東部は新町・西大工町、南部は藤代、南西部は河原町、西部は樋の口町に接する。
歴史
- 延宝5年 - まだ町名は無く、岩木川に至る賀田道が設けられて、屋敷割りが50軒される(弘前惣御絵図)。
- 貞享元年 - 延宝2年・天和2年に岩木川で掘替え工事が行われ、岩木川まで町割りが行われる(津軽歴代記類)。
- 享保4年頃 - 町屋62軒、武家屋敷4軒(町屋数円)
- 寛政12年 - 当地の南部に百姓町(現:河原町)があり、町屋67軒(分間弘前大絵図)
- 岩木川越しの村々に通じる町として、当地は江戸期から酒造店・雑貨店・餅屋・魚屋のほかに鍛冶屋・大工などの職人も居住していた。
- 岩木川の対岸に位置する駒越村(通称「向駒越」現:駒越)との間に岩木川の渡し場があった。
- 寛政8年3月に菅江真澄が乗ったとされ、舟の形状は将棋の駒型で、綱を引いて渡しているのに乗ったとされる(津可呂の奥)。
- 舟賃は廃藩置県まで1人2厘、馬牛1疋4厘、御用人馬は無賃。取り扱ったのは船守(弘前明治統一志)。
- 明治初年 - 戸数124(国誌)
- 1883年(明治16年) - 岩木橋が架かる(弘前明治統一志)。
- 明治以降 - 岩木川対岸へ通じる町として、江戸期と変わらず雑貨店・食料品などの商店街として栄える。造酒店もあり、現在も2軒が現存。しかし自動車交通が発達すると、商店街は振るわなくなっていく。
- 1966年(昭和41年) - 城西団地が造成され、町の様相が変化する。
沿革
- 江戸期 - 弘前城下の一町。
- 明治初年〜明治22年 - 弘前を冠称。
- 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。
- 1967年(昭和42年) - 一部が城西一丁目になる。
施設
医療
福祉
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
駒越(弘前駅 - 城西大橋・工業高校経由 - 藤代営業所線、他)停留所。
脚注
参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
|
---|
※地域区分(弘前市国勢調査報告書p.14で使用されているもの)ごとに表示する。 |
旧弘前市 |
新市街地域 |
---|
桜ヶ丘・緑ヶ丘地区 | |
---|
向外瀬・青山地区 | |
---|
城東・外崎地区 | |
---|
松原・取上地区 | |
---|
中野・城南地区 | |
---|
浜の町・石渡地区 | |
---|
田園地域 |
---|
清水地区 | |
---|
和徳地区 | |
---|
豊田地区 | |
---|
堀越地区 | |
---|
千年地区 | |
---|
藤代地区 | |
---|
東目屋地区 | |
---|
船沢地区 | |
---|
高杉地区 | |
---|
裾野地区 | |
---|
新和地区 | |
---|
石川地区 | |
---|
|
---|
|
|
カテゴリ |