西園寺実輔
西園寺 実輔(さいおんじ さねすけ)は、江戸時代前期の公卿。関白・鷹司房輔の子。官位は従三位・中宮権大夫・権中納言。 経歴当主の死去により西園寺家に相続人がいなくなっていたため、実輔が鷹司家から西園寺公宣娘の婿養子になり、西園寺家を相続した。 天和元年(1681年)に権中納言となり、天和3年(1683年)に霊元天皇の中宮鷹司房子の中宮権大夫に就任しているが、貞享2年(1685年)1月1日、にわかに発狂し、妻を刺し殺し、御傍の女房三人を負傷させたのち自害した。25歳。 系譜 |
西園寺実輔
西園寺 実輔(さいおんじ さねすけ)は、江戸時代前期の公卿。関白・鷹司房輔の子。官位は従三位・中宮権大夫・権中納言。 経歴当主の死去により西園寺家に相続人がいなくなっていたため、実輔が鷹司家から西園寺公宣娘の婿養子になり、西園寺家を相続した。 天和元年(1681年)に権中納言となり、天和3年(1683年)に霊元天皇の中宮鷹司房子の中宮権大夫に就任しているが、貞享2年(1685年)1月1日、にわかに発狂し、妻を刺し殺し、御傍の女房三人を負傷させたのち自害した。25歳。 系譜 |