西園寺実衡
西園寺 実衡(さいおんじ さねひら)は、鎌倉時代後期の公卿。左大臣・西園寺公衡の子。官位は正二位・内大臣。西園寺内大臣、又は今出河と号す。 経歴以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
関東申次西園寺家当主の世襲となっていた関東申次の職は、正和4年(1315年)の父公衡の没後に祖父実兼が復任した。しかし実兼が元亨2年(1322年)に没する及び、これに代わって就任した。 実衡邸での神楽『花園天皇宸記』によると、元亨3年(1323年)12月21日に後伏見院と花園院が実衡邸に行幸して神楽が行われた[7]。この時すでに父公衡と祖父実兼は薨去しており、実衡は西園寺家当主の立場にあった。しかし、『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』や『文机談』に実衡の名は見えず、琵琶秘曲伝授は叔父の公顕や兼季が祖父実兼の跡を継いで担っていく。 『徒然草』での実衡実衡は『徒然草』第152段に登場するが、この段は何とも皮肉めいた内容である。年老いた上人の様子をありがたがる実衡の態度はいかにも人を外見から判断していて、ただ単に年をとっているだけだと日野資朝は言う。後日、資朝は年老いた犬を連れて実衡邸を訪れ、ありがたい犬ですよと述べる。 系譜脚注参考文献 |