西園寺実俊
西園寺 実俊(さいおんじ さねとし)は、南北朝時代の公卿。権大納言・西園寺公宗の長男、母は典侍日野名子[1]。官位は従一位・右大臣。 経歴初名は実名(さねかた)。父・公宗は建武2年(1335年)、北条氏と謀った後醍醐天皇の暗殺計画に失敗して同年8月2日に処刑されており、実俊はその後に生まれ、探索の眼を逃れて養育された。このとき、西園寺家の家督は暗殺計画を密告した叔父・公重に渡っている。実俊は北朝の許で建武4年(1337年)従五位下となり、暦応3年(1340年)、母・名子と共に西園寺家北山第に入った。康永3年(1344年)に従三位、貞和5年(1349年)正三位・権中納言となる。叔父・公重が文和2年(1353年)南朝に仕えたため、実俊が家督を相続し、同年権大納言となった。貞治3年(1364年)内大臣、貞治5年(1366年)右大臣。永和元年(1375年)従一位。康応元年(1389年)6月8日出家、同年7月6日に55歳で薨去した。 脚注参考文献
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