西園寺公潔
西園寺 公潔(さいおんじ きんずみ)は、江戸時代後期の公卿。官位は従三位右近衛権中将。 経歴もともとは皇族であったが、西園寺寛季の子の治季が早世したために、臣籍降下して寛季の養子となり、西園寺公潔として西園寺家を相続した。天保3年(1832年)に叙爵し、侍従・左近衛権少将・右近衛権中将をへて、天保7年(1836年)には従三位となり公卿に列したが、同年に19歳にして薨去した。西園寺家は治季の子の師季が相続した。 系譜関連項目 |
西園寺公潔
西園寺 公潔(さいおんじ きんずみ)は、江戸時代後期の公卿。官位は従三位右近衛権中将。 経歴もともとは皇族であったが、西園寺寛季の子の治季が早世したために、臣籍降下して寛季の養子となり、西園寺公潔として西園寺家を相続した。天保3年(1832年)に叙爵し、侍従・左近衛権少将・右近衛権中将をへて、天保7年(1836年)には従三位となり公卿に列したが、同年に19歳にして薨去した。西園寺家は治季の子の師季が相続した。 系譜関連項目 |