西園寺公晃
西園寺 公晃(さいおんじ きんあき)は、江戸時代中期の公卿。左大臣・西園寺致季の子。官位は従一位・内大臣。 経歴享保5年(1720年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、享保10年(1725年)には従三位となり公卿に列する。その後も踏歌節会外弁や権中納言を経て、享保17年(1732年)から元文3年(1738年)、寛延3年(1750年)から宝暦3年(1753年)までの二度にかけて権大納言を務めた。宝暦3年(1753年)に大歌所別当に補された。 宝暦5年(1755年)に右近衛大将に転じ、さらに内大臣となるも翌年に辞職した。宝暦10年(1760年)に従一位が授与される。 系譜関連項目 |