菅沼久義
菅沼 久義(すがぬま ひさよし、1978年[5]9月30日[2] - )は、日本の男性声優。東京都出身[2]。青二プロダクション所属[3]。 略歴生い立ち子供の頃はテレビドラマ『あばれはっちゃく』が好きであり、主人公のあばれはっちゃくになろうとしていた[6]。 エンドロールを観ていたところクレジットに劇団名が書いてあり、「劇団に入団して、子役になれば、“あばれはっちゃく”になれる」と気が付いて、小学2 - 3年の時に親に「子役になりたい!」と言っていた[6]。しかしあくまでも主人公のあばれはっちゃく本人になりたかっただけであり、役者そのものになろうと思ったわけではなかった[7]。 親からは「劇団に入団したければ義務教育を終えて、高校卒業してから」と言われ、「それまでは勉強を頑張る!」と約束していた[6]。 デビュー前中学3年生の時に『機動戦士Vガンダム』を見たことがきっかけでアニメ雑誌を読んでいたところ、菅沼が子役が演じていると思っていた主人公のウッソ・エヴィン役の声が当時、20歳だった阪口大助が演じてることに衝撃を受け、声優という職業を志した[6][8][9]。2009年時点でも阪口を目標として挙げている[10]。 高校時代から観劇が好きになり、偶々父に演出家をしている友人ができ、彼が父のツテで色々な芝居のチケットをくれて来るため、一緒に観に行っていたという[7]。 一番よく連れていってくれたのは、演劇集団キャラメルボックス、渡辺えりが座長であった劇団3○○、後藤ひろひとが座長であった遊気舎[7]。このことは、もの凄く贅沢なラインナップであったが、その凄さが何もわからなかった[7]。蜷川幸雄の芝居に至っては、「つまんね~」と思い観ていたという[7]。 昔は「芝居」とはどういうものかはわかっていたが、声優の仕事とそれがイコールで結ばれておらず、高校時代も「僕は声優になるんだから、生の芝居のことは特に勉強しなくてもいいだろう」と、なんとなく思っていた[7]。その後、声優の仕事を初めてしていたところ、「なんて僕は愚かだったんだろう」、「声優もやっぱり役者なんだなぁ」と実感していたという[7]。 阪口と同じ事務所に所属しようと、のちに所属することになる青二プロダクションについて調べ、その養成所である青二塾について親に話したところ「ちゃんと高校に行きながら通うならいい」と言われ、高校在学中に日曜日にレッスンがあった日曜生を経て[6]、同塾東京校18期[2]として入塾[11]。同期に立花慎之介[12]、三浦祥朗がいる[11]。当時は目つきもギラギラしており、やる気は誰にも負けていなかったことから、日曜生時代から無遅刻・無欠席であったという[11]。 青二塾でも演技の勉強はしていたが、スタニスラフスキー・システムの習得は、ピンとはきていなかった[7]。その時はスタニスラフスキー・システムの基礎にある五感を意識したリアルな演技の訓練もして、演技論の本も読んでいたが「これは声優には必要ないんじゃないかな?」と思っていたという[7]。 デビュー後初仕事はテレビ番組の顔出しの仕事であり、青二に所属してからの19歳の時に三浦と一緒に出演した日本テレビ系列のクイズ番組・ゲームバラエティ番組『マジカル頭脳パワー!!』の問題に登場するワイプ画面の中の男だった[11]。テレビアニメ『ロードス島戦記-英雄騎士伝-』のダークエルフ役でアニメデビュー[11]。アフレコ時は、ガチガチだったため、スタジオがビルの地下にあったことくらいしか覚えていなかった[11]。ただし、台本はものすごく読み込み、主人公を演じていた野島健児の台詞まで生意気にも、「自分が主役だったらこんなふうに演じるなぁ」と思いながら練習したりしていた[11]。 デビューして間も無い頃、谷山紀章ら5人(途中でメンバー交代あり)で阪口が出演していた『卒業M』の弟分でもあるユニット「G.I.zoku」[13]を組んで活動していた[14]。 当時はキャラ表を見ていたところ、受けていた役は、『卒業M』で阪口が演じていたキャラと同じようなポジションで「これは、絶対に受かりたい! 僕がやらねば誰がやる!」という気持ちで、合格したという[14]。ユニットお披露目の時に初めて会い、「阪口さんに憧れてこの業界に入ったんです!」と伝えていた[14]。その時、石川英郎は「ついに大助に憧れるヤツが出てきたぜ~!」と大爆笑になり、阪口も、ずいぶん照れくさそうにしていたという[14]。当時は、20歳そこそこで、若い男性声優が大役を射止めるのは珍しかったため、「阪口 大助の再来」と言ってくれる人物もおり、とても嬉しかったという[14]。ただしその時に、同じ『卒業M』のメンバーであった草尾毅が、「この二人で潰し合いだな」とニヤニヤされていたという[14]。 実家は東京都だったため、当初は実家暮らしをしていたが、社会人になってから途中で一人暮らしを始める[15]。 人物声優としては、多数のアニメ、テレビ、ゲームなどに出演している[16]。 これまでのゲーム出演作で思い出深いタイトルは『サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜』を挙げている[17]。子供の頃から『銀河お嬢様伝説ユナ』、『天外魔境』、『魔神英雄伝ワタル』などの広井王子とレッドカンパニーの作品が好きで、その好きであった人物の作品に出演すること自体、大感激であった[17]。広井に会っていた時に、「『銀河お嬢様伝説ユナ』が大好きで!」と言っていたが、「マニアックだねぇ。あれを好きとは、なかなか言われないんだよ」と、笑ってくれたという[17]。 周囲からは「飄々と生きてるように見える」とよく言われるが、そんなことはなく自分では十分、不器用だと語る[18]。例え辛くても、昔から「本音で生きていきたい」とは思っており、負けん気も強いという[18]。 趣味・嗜好剣道初段の資格を持っている[3]。趣味・特技は音楽鑑賞、読書[3]、バスケットボール[16]、ゲーム、DVDのコレクション[19]。好きな言葉は「だって、にんげんだもの」[9]。 趣味としては、アキバ系とサブカル系が両立しているという[20]。長く好きな趣味が続いており、雑誌もたくさん買い、音楽もよく聴き、ゲームとDVDと雑誌とCDを追い掛けてると、新しい趣味に熱中する暇がないという[20]。 洋画、邦画、アニメもコレクションしている[19]。特にアニメは、2009年時点ではブルーレイで再発されることが多いため、買い直すなどしているため、ギャラはほとんど趣味に消えていくという[19]。 ゲームは中々遊ぶ時間がなく、ほとんどが「積みゲー」になっている[19]。心のゲームはゲームボーイの『平安京エイリアン』と『魔界塔士Sa・Ga』を挙げている[19]。あとは、PCエンジンのCD-ROM2のゲーム『らんま1/2』、『銀河お嬢様伝説ユナ』、『魔物ハンター妖子』が好きで友人の間では、菅沼しかCD-ROM2を持ってなかった[19]。『天外魔境』を遊んでいたのも菅沼だけで『天外魔境II 卍MARU』には興奮していたという[19]。ファミコン、スーパーファミコンのゲームは、自分でも遊んではいたが、少し見下していた[19]。ただし、CD-ROMのゲームは振動に弱いため、母が横を歩くと「洗濯物を取り込む時は、ひと言言って通ってくれ」とROMを読み込まなくなり、いいシーンに限り母のせいでゲームが止まるという[19]。 菅沼のなかでエポックメイキングなゲームは、『ファイナルファンタジーVI』であるという。『ファイナルファンタジーシリーズ』はあらかたプレイしているが、坂口博信の作品が好きだという[19]。坂口がスクウェアを退社後もミストウォーカーの作品は、全部プレイしている[19]。声優になるきっかけになった『機動戦士Vガンダム』もそうだが、ボーイ・ミーツ・ガールといったストーリーが好きで、そこに惹かれていると語る[19]。 『ドラゴンクエストシリーズ』も全部遊んでおり、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が一番好きだという[19]。『魔界塔士Sa・Ga』以降も、『サガシリーズ』は好きだという[19]。 ゲームについては女性向け男性向け関係なく遊び、自分が出演していたゲームは必ずプレイしている[17]。乙女ゲームは主人公の女の子に感情移入がしにくいが、『VitaminX』、『乙女的恋革命★ラブレボ!!』も、自分が演じていたキャラは攻略していた[17]。 ゲームでは「贅沢プレイ」と呼んでいる遊び方で、ゲーム中に自分が演じていたキャラクターの声が出ないシーンを、自分で喋りながらプレイしている[17]。『サクラ大戦』で大神一郎を演じていた陶山章央にその話をしていたところ、「僕なんか、毎回そうやってるよ」と言われたという[17]。それを実際体験してる弟は「キモい!」と言っていたという[17]。『サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜』で主人公、大河新次郎を演じていた時に、弟がプレイしようとしていたため、「お兄ちゃんが、この場で声を充ててやろうか」と言っていたが、「黙れ、うるさい!」と邪険にされたという[17]。 雑誌のジャンルは雑多で、2009年時点では未だに『月刊コロコロコミック』も買っており、『BRUTUS』、『H』、『Quick Japan』、『CONTINUE』などのサブカル系の雑誌も毎月買っているという[20]。 2009年時点でも芝居は暇さえあれば、知り合いの役者が出る芝居に行き、それ以外の作品もチケット情報を調べて通って観に行っている[21]。小劇場の劇団が好きで、自分と年の近い人物たちが劇団を旗揚げし、大きくなったところが多いため、そういう劇団は見逃せないという。一番好きなのはポツドール[21]。 元々は高校時代からの前述の友人に連れて行ってもらい、大人計画などを観ていた[21]。その後は下北沢の駅前劇場、ザ・スズナリ、OFF・OFFシアター、「劇」小劇場あたりでしている芝居を教わり、小劇場系の劇団を熱心に追い掛けるようになったという[21]。 キャラクターものが好きで、特に見た目がゆるいキャラ(いわゆる「ゆるキャラ」)を好む。自身のブログなどで街で見つけたゆるキャラの絵やぬいぐるみの写真などを頻繁に載せている。 音楽好きでもあり、自身が気に入ったCDがあるとブログなどでよく紹介している。音楽についても演劇と一緒で、ディープなアーティストが多く、デビュー以来10年来ずっと同い年の椎名林檎を聴き続けている[20]。映画監督でもアーティストでも同い年の人物は好きであり、「自分と同じ年数を生きる中で、どうしてそういう価値観を持つようになったのか」と考えるのが好きだという[20]。 音楽の趣味でもロック通好みのサブカル系バンドが多く、2009年時点でブログでディープなネタをどんどん書いてしまい、それを読んでいた人物から、「意外です!」、「実は私も」というコメントを貰うという[20]。友人の小野大輔とも、伊集院光やみうらじゅんの話で盛り上がったりしており、仕事でたまにアイドルの女の子に会ったりしても、ポカーンとしてしまうという[20]。 交友関係野島健児と親交があり、「のじさん」と呼んで慕っている。また、野島とはユニット「COCO」を組んで音楽活動を行っている[22][23]。 前述の『ロードス島戦記-英雄騎士伝-』のエピソードを野島に話したことはなく、当時の野島は青二のホープで羨ましく思いながら台本を読んでいた[11]。その時はのちにユニットを組むことになるとは思いもしなかったという[11]。青二塾の卒業公演の時、手伝いに来てくれた先輩の中に野島がおり、後から聞いたところ、「イキのいいあの子は、ジュニアに残るだろうな」と思ってくれたという[11]。 野島によると、菅沼と仲良くなったきっかけは、野島が神楽坂にあった青二ミュージアムで1人でトークショーをやろうと考えていたものの、野島はトークが苦手で、当時はまだ歌の仕事もしていなかったため、1人で2時間は無理であった[23]。その時、ポッと頭に浮かんだのが「肌が合いそうだ」と菅沼であった[23]。特に菅沼とは共演もしてなかったが、一緒にやってみたところ、バランスがよかったという[23]。菅沼とは、深いところにはお互い立ち入らないいい友人だが、プライベートで会うことはほとんどないと語る[23]。 同期の立花慎之介、三浦祥朗とは家も近所のため、2009年時点でもゲーセンに行ったり、飲みに行ったりしているという[12]。 立花、三浦のほかにも、よく気のあうゲーム仲間同士で、仕事帰りにゲーセン集合で遊んでいた[12]。数年くらい前までは、暇で、毎日のようにゲーセンに行き、酒を飲み、ほろ酔い気分でゲーセンに行きチャリンコで帰ったという[12]。その後は、引っ越しをしたり仕事が忙しかったりで集まりにくくなっているが、2009年時点でも続くゲーム仲間だという[12]。 青二の先輩である神谷浩史とも、ゲームを通じてすぐに仲良くなったという[12]。 親しくさせてくれる人物はほとんどがゲーム友達で、仕事ではあまり一緒になる機会がなかったりする人物でも、ゲームを通じて友人付き合いをさせてくれる人物は多かったという[12]。 2009年時点でもゲーム仲間とは仲良く付き合っているが、不器用な人物が多いという[18]。 同じ1978年生まれの声優である小野大輔、近藤孝行、立花慎之介、日野聡、福山潤、間島淳司らと自主的に「DABA」というユニットを組んでいる[24]。DABA内での名は「はちみつ」[25]。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメゲーム
ドラマCD
BLCD
ラジオドラマ
吹き替え映画
ドラマ人形劇
ラジオ※はインターネット配信。
ラジオCDラジオ・トーク・朗読CD
ナレーション
テレビ番組※はインターネット配信。
Webドラマ舞台・ミュージカル
映像商品
その他コンテンツ
ディスコグラフィキャラクターソング
その他参加作品
脚注シリーズ一覧
ユニットメンバー出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia