かかずゆみ
かかず ゆみ(1973年6月18日[4][8][11] - )は、日本の女性声優。埼玉県入間市出身[2][3][4]。青二プロダクション所属[7]。 来歴声優になるまで子供の頃から声優を目指していたわけではなく、将来やりたいことは「コレ!」と決められないまま、家政系の短期大学に通い、就職先は「子ども服などアパレル関係もいいな」と漠然と思っていたという[12]。 当初は役者になりたいと考えており[13]、短大学在学中にアルバイトで接客やウグイス嬢、テレアポの仕事をしていた最中、自分を表現する楽しさに目覚める[12]。「本当にやりたい事は何だろう」と考えてサービス業の内定を断り、憧れであった俳優の世界に挑戦することを決めて、芝居の稽古、ワークショップに参加するようになった[10][12]。 その頃に出会った人物に事務所の関係者を紹介してもらい、その事務所に所属した[10]。テレビドラマ、映画などの仕事がしたかったため、オーディション雑誌で募集を見つけては相談、応募をして、エキストラを経験[10]。オーディションを色々と受けるなかで、その人物が偶々アニメ業界に精通しており、持って来てくれたオーディションのひとつに声の仕事があり、声優のオーディションを受けるきっかけをもらって、1996年4月、『機動新世紀ガンダムX』のサラ・タイレル役で声優デビュー[9][10][13][12]。 キャリア1997年、地方の旅番組などでレポーターを務めていた[8][14][15]。アニメのレギュラー収録は基本的に週1回であり、ロケとアニメレギュラーの両立は難しいということもあり、レポーターを選択し、1年間アニメから離れていた[15]。 将来を見据えた時に、「年齢を重ね、自分自身が前面に出ていく仕事は難しいのではないか」と思うようにもなった。1998年も「レポーターの仕事を続けてください」と声をかけてもらったが、その頃アニメのオーディションも受けて何本か合格し、「演じる魅力」もあり「頑張れば長く続けられるのでは」と思い、相当悩んだ末に声優の道を選ぶ[12][15]。その選択には、家族の支えも大きくラジオ好きだった母に相談しており、「声で表現していくことは素晴らしいことよ」と背中を押してくれたこともあったという[14]。 2009年8月まで元氣プロジェクト[4]に所属していた。フリーを経て、2011年10月1日よりアトミックモンキー所属後、2022年4月1日より青二プロダクションに所属[16]。 2004年6月1日に結婚。相手は一般人であり、詳細は公表されていない。 2005年4月より『ドラえもん』の新キャスト陣の一人として、野村道子に代わり源静香(以下「しずか」と表記)の声を担当[15]。オーディションの話は、当時所属していた事務所に来たという[17]。当初はドラえもん、スネ夫、ジャイアンも受けようとしたが、かかずがやると笑ってしまう出来であり、のび太もやったが、結局しずか一択で送ってもらったという[17]。その時は記念受験のような感覚であり、『ドラえもん』に関わることができただけで嬉しく楽しく、作品が大きすぎて選ばれるとは思っていなかったという[15][17]。最終審査の審査員からの質疑応答で、かかずだけ年齢を聞かれ、それまで声のオーディションで年齢を聞かれることはなかったため、疑問に思い、思わず「年齢は審査に関係あるんですか?」と聞き返してしまったという[15][17]。「その強気な部分が、しずかのイメージに合っていた」そうであり、年齢を聞いてくれた審査員には「感謝しかない」と語っている[17]。後に当時の監督が、「最終面接の時の態度も選んだ理由のひとつだった」、「しずかは少し気が強いところがあるから、そこが良かったんだ」と教えてくれたという[15][17]。抜擢された時は、これまで聞いてきたしずかの声とまったく同じ声は出せないため、「私の声で大丈夫だろうか」という不安はあったという[17]。 私生活2005年8月下旬に長男が誕生。長男の出産前、産休のことに関しては春頃にすでに本人は分かっていたものの、時期が春の改編期の新しい仕事が続々と決まり慌しくしていた関係で報告が遅れた[18]。このことは『超大和魂』で発表。9月2日配信分から神崎ちろと儀武ゆう子の2人を代理にして『超大和魂』を産休し、11月4日配信分から復帰した。またNHK-BS2で放送している『衛星アニメ劇場』の司会も新名彩乃(当時は松本彩乃)を代役にして産休に入った。『ドラえもん』は10月21日放送分で一旦出演を休止し、代役を立てずに12月3日の放送まではしずかが登場しない話、もしくは登場しても喋らない話が放送された。 子供は「自然のなかで育てたい」と思っていたため、結婚後は埼玉で暮らし始めたが、前述の通り、長寿番組の収録が決まり、東京都内に通う回数が増えたという[19]。 夫も都内で仕事をしていたため、子育てと通勤を含む仕事との両立が難しくなり、結局、東京に住むことにしたという[19]。 2008年に次男が誕生。次男が1歳の誕生日を迎えて間もない2009年10月8日[20]、夫が脳出血により42歳で急死[21]。突然の出来事に妻であるかかずは当時大きなショックを受けており、2013年6月にTwitterで告白するまでの約4年間公表していなかった[21]。次男は当時物心がついておらず、父親の記憶はほとんどないという[20]。 人物資格・免許はベビーマッサージタッチケアセラピスト、着付講師、普通自動車免許。趣味は折り紙、ドライブ、アウトドア。特技は読み聞かせ、アルトサックス[7]。 大原さやか、折笠富美子、菊池志穂、豊口めぐみ、浅野まゆみらと着物部(和服部)を結成している。美郷あきとは10年近く付き合っているほど仲がいい。佐藤ひろ美と交友関係がある。折笠富美子、豊口めぐみと共に演劇ユニット「R*L(ラフラフ)」を組んでいる。 手塚ちはるとTBSラジオで共演した公開録音番組『パキパキパラダイス』内でお笑いコンビ「暴れ船」を結成。当時、TBSラジオの人気番組であった『赤坂お笑いD・O・J・O』内の新人が段位獲得を目指すコーナーである「D・O・J・O破り」の予選を受け、2人はショートコントを披露した。 前述の通り、『ドラえもん』との関わりができた頃に長男が誕生したため、子供達が物心ついたころには、周囲はドラえもんであふれていたという[22]。漫画やグッズが増え、出演番組の確認も兼ねて一緒にアニメを見ていたが、『ドラえもん』を楽しんでほしかったことからしずかの声をしていることは伝えていなかったという[22]。 2013年頃に、『ドラえもん』の映画のプロモーションで取材を受け、ある雑誌で声優達が紹介されているのを見て「お母さんだ」と確信したようであり、台本は押し入れの奥にしまっていたが見つけていたようであり、長男は意外と冷静に受け止めていたという[22]。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
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