織田長宇
織田 長宇(おだ ながのき)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。大和国芝村藩9代藩主。通称は徳三郎。官位は従五位下・左衛門佐。長政流織田家9代。 生涯8代藩主・織田長教の長男(次男とも)として芝村にて誕生。 寛政7年(1795年)2月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年4月26日、長教の隠居により家督を相続する。同年12月17日、従五位下左衛門佐に叙任する。文化2年(1805年)、駿府加番を命じられる。文政9年(1826年)3月27日に隠居し、三男の長恭に家督を譲る。 天保10年(1839年)5月25日、芝村において死去、享年74。墓所は奈良県の慶田寺。蹴鞠の名手であったという。 系譜子女は7男6女。なお、竹尾善筑は、その著書『即事考』に長宇の娘が家来と駆け落ちした事件を記している。 |