織田輔宜
織田 輔宜(おだ すけよし)は、江戸時代中期の大名。大和国芝村藩7代藩主。通称は幸次郎。官位は従五位下・丹後守。長政流織田家7代。 生涯6代藩主・織田長亮の長男として江戸にて誕生。生母が父の正室であることから系図上は長男とされるが、実際は次男または三男であった可能性もある。 享保18年(1733年)8月2日、父・長亮の死去に伴い家督を相続する。延享2年(1745年)12月12日、陣屋を戒重から芝村に移転する。延享4年(1747年)11月1日、9代将軍・徳川家重に御目見する。同年12月19日、従五位下丹後守に叙任する。 元文2年(1737年)5月25日、幕府から幕府領13000石を預けられる。後に93430石にまで加増される。ただし、宝暦3年(1753年)、預地の農民が重税を京都町奉行所に箱訴に及び、芝村騒動が発生した。明和4年(1767年)5月9日、駿府加番を命じられる。 安永7年(1778年)2月25日に隠居し、異母弟で養嗣子の長教に家督を譲る。寛政11年(1799年)8月29日、江戸において死去、享年68。墓所は泉岳寺。 系譜 |