織田成純
織田 成純(おだ なりとし/しげずみ/しげとし)は、江戸時代中期の大名。大和国柳本藩5代藩主。通称は源三郎、右京、左京。官位は従五位下・豊後守、播磨守。尚長流織田家5代。 生涯3代藩主・織田秀一の次男として誕生。初名は秀将、長教、秀俊、成純、信紀。 貞享5年(1688年)7月28日、異母兄・秀親の養子となる。同年9月18日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。宝永6年(1709年)4月12日、秀親が前田利昌に殺害されたため、家督を相続した。同年4月15日、従五位下豊後守に叙任する。公家接待役や京都火消役などを務めた。享保9年(1724年)12月3日に隠居し、兄の子で養嗣子の秀行に家督を譲った。 享保14年(1729年)11月2日もしくは12月3日に死去。享年54。法号は竜徳院殿円厳宗澄大居士。麻布の天真寺に葬られた。以後、同寺は柳本藩織田家の当主の墓地の一つとなった。 系譜子女はなし。 |