織田信序
織田 信序(おだ のぶつぐ)は、江戸時代中期の旗本。通称は老之助、左兵衛。 生涯旗本・織田信安の次男として誕生した。 安永3年(1774年)10月6日、信安の死去により家督を相続する。信序の系統の旗本織田家は、大和国宇陀松山藩主・織田高長の三男・長政の次男・信清を初代とし、大和宇陀郡内300石を支配していた。安永5年(1776年)12月22日、10代将軍・徳川家治に御目見する。天明2年(1782年)12月22日、西丸・書院番に加えられる。 寛政2年(1790年)4月3日、本丸勤務、寛政8年(1796年)12月10日、西丸勤務となる。享和2年(1802年)10月19日、高齢を理由に免職となり、小普請組所属となる。退職にあたって慰労金を賜る。 同家は子の老之助、孫の房之助へと相続されていったようである。房之助は高家旗本織田信存の息子で、養子であったと推測される。 系譜正室はなし。子女は4男。
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