織田信錦

 
織田信錦
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保14年(1729年
死没 文化11年9月2日1814年10月14日
改名 長安(初名)→信錦→春巌(号)
別名 通称:彦太郎、主馬
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家重家治
氏族 津田氏高家織田氏
父母 父:津田長邦、養父:織田長説
兄弟 信錦津田貞秀、宗弘[1]、宗忍[2]
正室:織田長説長女
養子:信由織田信由横瀬貞臣
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織田 信錦(おだ のぶつら)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本

略歴

高家旗本織田長迢の長男・長経は、病気のために嫡子の地位を弟の長能に譲った。長経は津田姓を称し、近江国神崎郡河合寺村に退隠した。信錦はその孫にあたる。

宝暦6年(1756年12月27日、家督を相続する。高家職に就くことはなかった。天明4年(1784年12月7日に隠居し、養子の信由に家督を譲った。

文化11年(1814年)9月2日死去、享年86。

系譜

脚注

  1. ^ 摠見寺7代住職
  2. ^ 長邦の六男、摠見寺6代住職