村田智弘

 村田智弘 七段
名前 村田智弘
生年月日 (1981-04-02) 1981年4月2日(43歳)
プロ入り年月日 2001年10月1日(20歳)
棋士番号 242
出身地 兵庫県高砂市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 淡路仁茂九段
段位 七段
棋士DB 村田智弘
2019年12月19日現在
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村田 智弘(むらた ともひろ、1981年4月2日 - )は、将棋棋士。棋士番号242。兵庫県高砂市出身。淡路仁茂門下。妹は女流棋士村田智穂

人物

  • 1994年、第19回小学生将棋名人戦で優勝[1]
  • 2002年4月1日に妹の智穂が女流棋士となる。史上初の兄妹棋士の誕生であった[要出典]
  • かつて週刊ポストで連載されていた「トップ棋士が指導する将棋三番勝負」の中で、当時竜王だった羽生善治を相手に飛車落ちで勝ったことがある。また、その棋譜は「プロに勝った!駒落ち将棋必勝法」(1994年小学館出版)の中で詳細に採り上げられている。
  • C級1組への3人の昇級枠を争う第65期(2006年度)C級2組順位戦は、残り1局の時点で、村田、片上大輔広瀬章人上野裕和の4人が8勝1敗で並ぶ展開となった。村田は4人の中でリーグ表順位が最も上で、しかも、村田より順位が上の7勝2敗は佐々木慎しかいなかったため、極めて有利な状況であった、しかし最終10回戦の結果は、村田が負け、ほかは揃って勝利。村田は惜しくも昇級を逃した。
  • 2008年10月23日に竜王戦4組の3位決定戦を制して3組昇級(前年度と合わせて連続2回昇級)を決め、六段に昇段[2]
  • 2017年7月6日に一般女性と入籍[3]
  • 2021年3月5日、順位戦C級2組最終戦で敗れ、2勝8敗で3度目の降級点を喫し、フリークラスへの降級が決定した。

昇段履歴

主な成績

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[5]
(出典)竜王戦
出典[6]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
2001 60 昇段前 15 6組 --
2002 61 C243 16 6組 --
2003 62 C215 17 6組 --
2004 63 C225 18 6組 --
2005 64 C220 19 5組 --
2006 65 C210 20 5組 --
2007 66 C203 21 4組 --
2008 67 C209 22 3組 --
2009 68 C218 23 4組 --
2010 69 C231 24 5組 --
2011 70 C235 25 4組 --
2012 71 C231 26 4組 --
2013 72 C232 27 4組 --
2014 73 C206 28 4組 --
2015 74 C240 29 4組 --
2016 75 C228 30 4組 --
2017 76 C219 31 4組 --
2018 77 C229 32 4組 --
2019 78 C247 33 5組 --
2020 79 C228 34 5組 --
2021 80 F編 35 5組 --
2022 81 F編 36 5組 --
2023 82 F編 37 5組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

著書

共著

脚注

  1. ^ 小学生将棋名人戦歴代優勝者一覧”. www.shogi.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
  2. ^ 村田智弘五段が六段に昇段(2008年10月23日付)|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2008年10月23日). 2019年6月10日閲覧。
  3. ^ 村田智弘六段が結婚|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2007年7月13日). 2019年6月10日閲覧。
  4. ^ 村田智弘六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年12月19日). 2019年12月26日閲覧。
  5. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  6. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

外部リンク