建安郡

建安郡(けんあん-ぐん)は、中国にかつて存在した三国時代から唐代にかけて、現在の福建省一帯に設置された。

概要

建安郡(564年)

260年永安3年)、三国のにより会稽郡南部を分割して建安郡が立てられた[1]。建安郡は揚州に属した。

のとき、建安郡は建安呉興東平建陽将楽邵武延平の7県を管轄した[2]291年元康元年)、揚州を分割して江州が立てられると、建安郡は江州に転属した。

南朝宋のとき、建安郡は建安・呉興・将楽・邵武・建陽・綏城沙村の7県を管轄した[3]

南朝斉のとき、建安郡は建安・呉興・将楽・邵武・建陽・綏城・沙村の7県を管轄した[4]

南朝陳のとき、閩州が置かれ、建安郡は閩州に属した。のちに閩州は豊州と改称された。

589年開皇9年)、が南朝陳を滅ぼすと、建安郡は廃止されて、泉州に編入された。606年大業2年)、泉州は閩州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、閩州は建安郡と改称された。建安郡は・建安・南安竜渓の4県を管轄した[5]

621年武徳4年)、唐により建安郡は泉州と改められ、建安郡建安県には建州が置かれた。742年天宝元年)、建州は建安郡と改称された。758年乾元元年)、建安郡は建州と改称され、建安郡の呼称は姿を消した[6]

脚注

  1. ^ 三国志』呉書三嗣主伝
  2. ^ 晋書』地理志下
  3. ^ 宋書』州郡志二
  4. ^ 南斉書』州郡志上
  5. ^ 隋書』地理志下
  6. ^ 旧唐書』地理志三