房陵郡房陵郡(ぼうりょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。後漢末および隋唐の一時期に、現在の湖北省十堰市一帯に設置された。 後漢の房陵郡後漢末に房陵郡が立てられ、蒯祺がその太守に任命された[1]。220年(黄初元年)、蒯祺を攻め滅ぼした孟達が魏に降ると、魏の文帝により房陵郡・上庸郡・西城郡の3郡を合わせて新城郡が置かれ、孟達が新城太守に任じられた[2]。 隋の房陵郡西魏のとき、新城郡は光遷国と改められた。563年(保定3年)、北周により光遷国は光遷郡と改められ、遷州が置かれた[3]。 606年(大業2年)、隋により遷州は房州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、房州は房陵郡と改称された。房陵郡は光遷・永清・竹山・上庸の4県を管轄した[4]。 618年(武徳元年)、唐により房陵郡は遷州と改められた。636年(貞観10年)、遷州は房州と改称された。742年(天宝元年)、房州は房陵郡と改称された。758年(乾元元年)、房陵郡は房州と改称され、房陵郡の呼称は姿を消した[5]。 脚注 |