ロバート・フリップ
ロバート・フリップ(Robert Fripp、1946年5月16日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト、作曲家。プログレッシブ・ロックを代表するバンドであるキング・クリムゾンのギタリスト兼リーダーである。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第42位、2011年の改訂版では第62位。 来歴幼少の頃から地元のクラシックギター教室に通った。13歳の時には、ドン・ストライクという指導者に学んだ[1][注釈 1]。 18歳の時、アンディ・サマーズ[2][3]の後任としてボーンマスのマジェスティック・ホテルのジャズバンドの専属ギタリストになり、3年間ステージをこなす。 1967年、ジャイルズ兄弟(マイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズ)とジャイルズ・ジャイルズ&フリップを結成して、アルバム1枚を発表する。このバンドにイアン・マクドナルド、グレッグ・レイク、ピート・シンフィールド(作詞)が参加して、キング・クリムゾンへと発展した。 →詳細は「キング・クリムゾン § 来歴」を参照 フリップは1969年の結成から現在に至るまで、キング・クリムゾンにおける主導権を握り続けてきた。本人は否定しているが時に強権的なまでのリーダーシップを執ることがあり、それがバンド内に亀裂を生み出すことがあった。メンバー・チェンジなどの人事的な決定権も握っており、シンフィールドやデヴィッド・クロス(ヴァイオリン)の脱退も実質的には彼による解雇だと言われている。 そのリーダーシップと厳格な音楽への取り組みによって1960年代から1970年代のプログレッシブ・ロック・ムーブメントを支え、その語義どおりの音楽スタイルから多くのアーティストに影響を与えてきた。特にインプロヴィゼーションを主体とした演奏で人気を博した。デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』(1969年)や『レッド』(1974年)におけるギター・プレイは非常に高く評価されている。しかし彼はプログレッシブ・ロックのイメージを刷新するごとく音楽的な変化を求め続け、キング・クリムゾンのサウンドも時代時代によって大胆な変遷をたどった。 キング・クリムゾンでの活動以外に、デヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、ピーター・ガブリエル、ダリル・ホール、デヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、アンディ・サマーズ(ポリス)、デヴィッド・シルヴィアン(ジャパン)など、錚々たる個性派の面々と音楽活動を共にしてきた。1974年のキング・クリムゾン解散後、「もうギターは弾かない」と決心して半ば音楽業界から引退した状態にあったが、ボウイとイーノの呼び掛けで音楽活動に復帰した。自ら開発した「フリッパートロニクス」や「サウンドスケイプ」と呼ばれる機材のライブ音源などを収録したソロ作品や、リーグ・オブ・ジェントルメン、プロジェクトといった外部ユニットの作品も多数発表している。イーノと同じく、Microsoft Windowsの起動音の製作も手がけた[注釈 2]。 2012年のフィナンシャル・タイムズとのインタビューで、「ユニバーサル・ミュージック社との版権を巡る係争に集中するため」ミュージシャン活動からは引退したと明かした。しかし翌年9月に係争が決着する目処が立ったとして、ミュージシャン活動への復帰とキング・クリムゾンの再始動を発表した。 音楽的ルーツビートルズとジミ・ヘンドリックスのファンで、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に感銘を受けてミュージシャンを志したという[注釈 3]。ジミ・ヘンドリックスに対しては「天才だ」と称している。因みにヘンドリックスも彼のライブを観てギター・プレイに感銘を受け、楽屋を訪れて「心臓に近いほうの左手で握手してくれ」と頼んだという[注釈 4]。 その他、20世紀前半に活躍したクラシック音楽の作曲家バルトークも好んでおり、緻密な構造や旋律主体の楽曲など、作風にも影響が見られると言われる。 プレイスタイルロックのギタリストとしては珍しく、常に椅子に腰掛けてプレイすることでも知られる[4][5][注釈 5]。 いわゆるリードギター的な主張には乏しいものの、バッキングとするにも強烈なパッセージや複雑なリックを機械的正確さで弾きこなす、シーケンシャルなプレイが持ち味である。「Fracture(邦題:「突破口」)」などに代表される激しいアルペジオや、エイドリアン・ブリューのバックに徹する時の独特のエフェクト遣い、ライブにおける奔放なインプロヴィゼーションでも知られている。クロマチックスケールの多用も特徴。 使用機材ギブソン、フェルナンデス、東海楽器製造などのレスポール・タイプギター。ギターシンセとしての機能とサスティナーがついたものも使用。80年代はGRギターシンセサイザーを使用していた。レコーディングではストラトキャスター等使い分けている。 使用しているアンプに付いてはアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』の時期にはローランド社製のトランジスタアンプJC-120、デジタルアンプがブレイクした時期にはJOHNSON社のデジタルアンプを使用していた。 使用エフェクトはコルグのA-1、A-2、プログラムできるタイプのサンズアンプ等。 1980年代にはレコーディング時、ギターの音をより豊かにするためあらかじめ録音したギタートラックの音をJC-120で再生しさらにその音を録音するという手法を用いていた。彼はこの手法を「フリッパートロニクス」と呼んでいる。 2014年頃のツアー時のセッティングは、『Music Radar』誌の記事に詳しい。それによると、Roland GR-1 Guitar Synth/US20 splitter、Fractal Audio Systems Axe FX II XL、Sound Sculpture Switchblade、Eventide H8000、H3000/3500、Eventide Eclipse、Rocktron MIDI Raider、Boss Expression pedalなどを主として使用しているとのことである。 変則チューニング("ニュー・スタンダード・チューニング"と呼ばれる:C、G、D、A、E、G[注釈 6]。使用ゲージは、0.052、0.038、0.024、0.016、0.012、0.010)を常用する。NYのサウナに入っていた時に思いついて始めたとギタークラフトのインタビュービデオで述べている[注釈 7]。彼は一時期、自分の変則チューニングをギタークラフト・チューニングと呼んでいた。 特記事項![]()
ディスコグラフィキング・クリムゾン→「キング・クリムゾンの作品」を参照
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ
ソロ・アルバム
プロジェクト→「プロジェクト (バンド) § ディスコグラフィ」を参照
コラボユニット・アルバム
脚注注釈
出典
引用文献
参考文献
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