リチャード・パーマー・ジェイムス
リチャード・パーマー・ジェイムス(Richard Palmer-James、1947年6月11日 - )は、イングランドのミュージシャン。作詞家。1970年代に活動拠点をドイツに移した。 1968年に結成されたスーパートランプの創立メンバーで、1973年から1974年にかけてプログレッシブ・ロック・グループのキング・クリムゾンの作詞を担当したことで知られる[1]、1985年に元アラベスクのサンドラのヒット曲「(I'll Never Be) Maria Magdalena」の歌詞を書いたことでも有名。 ディスコグス(discogs.com)で500以上のクレジットを持つ。 略歴ボーンマスのメイリック・パーク生まれ。現地でThe Corvettes、The Palmer-James Group[注釈 1]、Tetrad、Ginger Manといった様々な地元のバンドで演奏した。これらのバンドではジョン・ウェットンがベースとボーカルを担当していた[2]。 1968年、リチャード・パーマーの名前でスーパートランプの結成に参加してギターとボーカルを担当し、同名デビュー・アルバム[3]の歌詞を書いた。当時リック・デイヴィスと共作した「Goldrush」は、2002年のアルバム『Slow Motion』で発表された[要出典]。 1970年代初頭からミュンヘンに在住。1973年から1974年にかけて、当時ウェットンが在籍していたキング・クリムゾンのアルバム『太陽と戦慄』『暗黒の世界』『レッド』の収録曲の歌詞を書いた[注釈 2][4]。1974年にロバート・フリップがキング・クリムゾンを解散した後、ウェットンやメンバーだったデヴィッド・クロスと一緒に仕事をしている。 1978年、ウェットンとTetradのバンドメイトだったW.J. Hutcheson[5]が訪ねてきた。彼等3人はドイツ人のドラマーであるCurt Cressを迎えて「ジャック-ナイフ」[6]と名乗り、活動を始めた頃の曲を収録したアルバム『アイ・ウィッシュ・ユー・ウッド』を10日間で録音した[7]。 またイタリアン・ディスコの先駆者であるLa Biondaに英語の歌詞を書き、70年代後半にはLa Biondaに関連したディスコ・グループのD.D.サウンドにも歌詞を提供した[8][9]。 1997年、ウェットンとの共作名義の編集CD『モンキー・ビジネス 1972 - 1997』を発表[10]。キング・クリムゾンのライブのレパートリーだった未発表曲「ドクター・ダイアモンド」を含む、幾つかの未発表素材の初のスタジオ録音が収録された。 2016年、初のソロ・アルバム"Takeaway"を発表[11]。 ディスコグラフィスーパートランプ
エマージェンシー
キング・クリムゾン
D.D.サウンド
Munich
ジャック-ナイフ
Pan Demonium
エラプション
ジョン・ウェットン
ジョン・ウェットン&リチャード・パーマー・ジェイムス
ソロ・アルバム
脚注注釈
出典
引用文献
外部リンク |
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