ダニカ・パトリック
ダニカ・スー・パトリック(Danica Sue Patrick、1982年3月25日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性レーシングドライバー。 北米のフォーミュラ選手権インディカー・シリーズにおいて、女性レーサーとして史上初の優勝実績を持つ。 経歴10歳でカートレースにデビュー。1997年に世界カート協会グランド・ナショナル選手権HPVクラスチャンピオンとなる。2003年からチャンプカー・ワールド・シリーズの傘下であるトヨタ・アトランティック・シリーズに参戦、ランキング6位になる。2004年も同シリーズに参戦し、ポールポジション1回、ポートランドで2位に入賞するなど活躍し、ただ1人全戦完走を成し遂げ、ランキングは3位となる。 2005年レイホール・レターマン・レーシングからインディカー・シリーズにデビュー、女性として同シリーズとしてはサラ・フィッシャーに次ぐ2人目のフル参戦である。第5戦のインディ500では女性として初のラップリーダーとなり、インディ500史上女性最上位となる4位に入賞する。また、第8戦カンザスでの初ポールポジションを皮切りに、ルーキーとしては最多タイとなる3回のポールポジションを獲得することとなる。この年は雑誌の表紙を飾ったり、TVガイドやESPNでも取りあげられるなど、アメリカスポーツ界に一躍ダニカ旋風が巻き起こることとなった。同年11月、16歳年上の理学療法士の男性ポール・ホスペンタールと結婚した。 ![]() 2006年は所々で良い走りをみせるものの、チーム共々不振に陥っていたが、2007年にアンドレッティ・グリーン・レーシングへ移籍し、自己最高位となる2位に1回、3位に2回入賞するなどしてランキングは7位となった。 ![]() 翌2008年も引き続きアンドレッティ・グリーン・レーシングから参戦し、ツインリンクもてぎで行われた第3戦インディジャパン300でついに初優勝を達成した。これはダニカ自身の初優勝であると同時に、インディカー史上初の女性ドライバーの優勝である。 2009年は、チーム力の低下とあいまって優勝はできなかったが、チーム内では最上位のランキング5位の成績を残した。 2010年は、インディカーに引き続き参戦するほか、NASCARの一部レースにスポット参戦した。インディカー・シリーズでは、テキサスとマイアミで2位を獲得するが、ロードコースでの不調が尾を引きランキング10位にとどまった。 2012年11月20日に自身のフェイスブックで、理学療法士の夫と離婚していたことを明らかにした[1]。 2013年シーズンはスチュワート=ハース・レーシングに移籍し、スプリントカップ・シリーズにフル参戦する。開幕戦デイトナ500ではポールポジションを獲得した[2]。 2014年に発売予定のセガの『ソニック&オールスターレーシング トランスフォームド』にゲスト出演する[3]。 2015年8月12日、フォーブスは「世界で最も稼ぐ女性アスリートランキング」を発表し、パトリックは4位に選出された[4]。 2017年9月12日、スチュワート=ハース・レーシングはパトリックが2017年シーズン限りで離脱することを発表した [5]。去就が注目されていたが、2018年はデイトナ500及びインディ500に参戦し現役引退する意向を発表した[6]。また、12月には交際していたリッキー・ステンハウス・ジュニアと破局していたことが明らかになった[7]。 現役最終年の2018年はプレミアム・モータースポーツの7号車でデイトナ500に参戦したが、101周目のクラッシュに巻き込まれリタイヤとなった[8]。現役最後となるレースのインディ500はエド・カーペンター・レーシングからの参戦を発表[9]。5月19日に行われた予選1日目(バンプ・デイ)のアテンプトでは9番手となり、翌5月20日の予選2日目(ポール・デイ)に行われたファストナイン・シュートアウトでは順位を2つ上げ、3列目インサイドの7番グリッドを獲得した[10]。 レース戦績略歴
アメリカン・オープン=ホイール・レーシングバーバー・ダッジ・プロ・シリーズ
トヨタ・アトランティック・チャンピオンシップ
インディカー・シリーズ
インディアナポリス500
スポーツカー・レーシングアメリカン・ル・マン・シリーズ
グランド=Am・ロレックス・スポーツカー・シリーズ
デイトナ24時間レース
NASCARモンスターエナジー・カップ・シリーズデイトナ500
ネイションワイド・シリーズK&N・プロ・シリーズ・イースト
ARCA・メナーズ・シリーズ
脚注
関連項目
外部リンク |
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