1973年の読売ジャイアンツでは、1973年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の13年目のシーズンである。
概要
前人未到の9連覇が期待されたチームだが、前年26勝の堀内恒夫と東映から移籍の高橋善正が成績不振にあえぐなど投手陣が崩壊。それでも高橋一三や倉田誠がローテーションを守り、チーム防御率は若干改善された。打線はこの年三冠王の王貞治が孤軍奮闘するも、長嶋茂雄は前年の.266に続いて.269の低打率にあえぐなど、世代交代の兆しが見え始める。前半戦を4位で終えたチームは8月以降の反撃でようやく首位浮上。その後も阪神とのマッチレースが続き、10月10日からの天王山2連戦を迎える。第1戦を田淵幸一の満塁本塁打で5-6で落としたあと、翌日の第2戦では長嶋が左手薬指を骨折するアクシデントで退き、3回までに阪神に0-7とリードされる。しかし、4回に富田勝が江夏豊から3ランを放ち反撃開始、6回には代打萩原康弘の3ランで8-7とひっくり返し、最後は10-10の引き分けに持ち込んだ。一度は阪神に王手をかけられるが、10月20日に阪神が中日球場で中日に敗れ、優勝は10月22日の甲子園球場での最終戦にもつれこむが、初回から爆発し、阪神投手陣を粉砕。.524という史上最低勝率(1975年の阪急が.520で更新、ただし当時のパ・リーグは前期後期制を採用しており、阪急は前期優勝、後期最下位でプレーオフで近鉄に勝利し優勝。同年のパ・リーグ勝率1位は近鉄の.587)でのセ・リーグ9連覇を達成した(最下位の広島とのゲームは6.5差)。一方的な大敗で激昂した阪神ファンが優勝決定後に乱入したため、選手たちは急遽避難し、前年に続いて川上監督の胴上げはお預けとなった[注釈 1][4]。日本シリーズは野村克也監督率いる南海との対戦になった。初戦こそ落としたが、第2戦以降は堀内が投打で活躍し、また南海の打線を封じて4連勝で前人未到のV9を達成。お預けとなっていた川上監督の胴上げは本拠地・後楽園でようやく実現したが、3月に発生した湯口事件の悪印象もあり、チームの人気は下降線を辿っていた。このため、ドラフト会議で1位指名した愛知学院大学の小林秀一から、球団史上初めて入団拒否されることになった。
順位 |
10/1終 |
10/2終 |
10/3終 |
10/5終 |
10/6終 |
10/7終 |
10/8終 |
10/9終 |
10/10終 |
10/11終 |
10/12終 |
10/14終 |
10/15終 |
10/16終 |
10/18終 |
10/20終 |
10/22終
|
1位
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
巨 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
神 |
--
|
巨 |
優勝
|
2位
|
神 |
1.5
|
神 |
2.5
|
中 |
2.0
|
神 |
1.5
|
神 |
0.5
|
神 |
0.5
|
神 |
1.0
|
神 |
1.0
|
巨 |
0.0
|
巨 |
0.0
|
巨 |
0.0
|
巨 |
0.0
|
巨 |
0.5
|
巨 |
1.0
|
巨 |
1.0
|
巨 |
0.5
|
神 |
0.5
|
3位
|
中 |
2.0
|
中 |
3.0
|
神 |
2.0
|
中 |
2.5
|
中 |
2.5
|
中 |
3.5
|
中 |
4.0
|
中 |
3.5
|
中 |
3.5
|
中 |
3.5
|
中 |
3.0
|
中 |
2.5
|
中 |
3.0
|
中 |
3.5
|
中 |
3.0
|
中 |
2.0
|
中 |
2.0
|
試合 結果
|
洋5-2巨 神5-4広 中4-3ヤ
|
巨4-1中 ヤ4-1神
|
中3-0巨
|
神3-1中
|
広10-4巨 神3-0中
|
巨8-1広 神2-1中
|
巨5-2広
|
中5-1洋
|
神6-5巨 洋8-0中
|
巨10-10神 中6-6洋
|
中6-1洋
|
広5-2神 洋5-4巨 中3-2ヤ ヤ4-1中
|
神4-1広
|
ヤ4-2巨 洋2-1中
|
中12-2洋
|
中4-2神
|
巨9-0神
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チーム成績
レギュラーシーズン
1973年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
|
中日 |
--
|
大洋 |
--
|
広島 |
--
|
中日 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
大洋 |
0.5
|
広島 |
0.0
|
中日
|
阪神 |
3.0
|
阪神 |
0.5
|
阪神 |
2.5
|
阪神 |
0.5
|
3位
|
阪神 |
1.5
|
中日 |
1.0
|
阪神 |
1.0
|
広島 |
4.0
|
中日 |
1.0
|
中日 |
3.0
|
中日 |
1.5
|
4位
|
巨人 |
2.5
|
阪神 |
2.5
|
巨人 |
3.5
|
巨人 |
4.5
|
広島 |
2.0
|
ヤクルト |
6.0
|
ヤクルト |
4.5
|
5位
|
広島 |
3.5
|
巨人 |
4.0
|
大洋 |
4.0
|
ヤクルト |
6.5
|
大洋 |
2.5
|
大洋 |
6.0
|
大洋 |
5.0
|
6位
|
ヤクルト |
4.0
|
ヤクルト |
7.5
|
ヤクルト |
6.5
|
大洋 |
9.0
|
ヤクルト |
3.0
|
広島 |
6.5
|
広島 |
6.5
|
[2]
日本シリーズ
1973年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月27日(土) |
第1戦 |
読売ジャイアンツ |
3 - 4 |
南海ホークス |
大阪球場
|
10月28日(日) |
第2戦 |
読売ジャイアンツ |
3 - 2 |
南海ホークス
|
10月29日(月) |
移動日
|
10月30日(火) |
第3戦 |
南海ホークス |
2 - 8 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
10月31日(水) |
第4戦 |
南海ホークス |
2 - 6 |
読売ジャイアンツ
|
11月1日(木) |
第5戦 |
南海ホークス |
1 - 5 |
読売ジャイアンツ
|
優勝:読売ジャイアンツ(9年連続17回目)
|
[1]
オールスターゲーム1973
できごと
- 4月17日 - 長嶋茂雄が広島球場での対広島1回戦にて、2回表に2塁打を放ちプロ通算4000塁打を達成[8]。
- 7月16日 - 長嶋茂雄が後楽園での対中日17回戦に出場しプロ通算2000試合出場を達成[9]。
- 8月10日 - 王貞治が後楽園での対中日18回戦で30号本塁打を放ち、12年連続30本塁打を達成[10]。
- 8月26日 - 長嶋茂雄が神宮球場での対ヤクルト19回戦の6回表に安田猛から安打を放ち、自身と榎本喜八の持つ15年連続100本安打を抜く16年連続年間100安打のプロ野球新記録を達成[11]。また同試合の5回表、柴田勲がカウント2-1後のきわどいコースの球を見逃しの三振に取られると、バットをホームベースに投げつけ、この事で平光清球審に「故意に投げたのか」と聞きただすと、激怒した柴田は「故意じゃない。お前だっていつも間違ってるじゃないか!」と言い返したため、退場を命じられる[12]。
- 10月11日 - 長嶋茂雄が後楽園球場での対阪神25回戦の2回表に阪神の後藤和昭の打球を右手薬指に当てて負傷し退場。港区・慈恵医大病院で診断の結果、右第四指末節開放性骨折で全治4週間と判明。今シーズンの残り試合の出場が絶望に。この試合は0対7から10対10の延長10回時間切れ引き分け(3時間35分)となり、巨人対阪神の伝説の死闘だった[13]。
- 10月22日 - 甲子園での対阪神26回戦に9対0で勝利し、9年連続セ・リーグ優勝を達成(スコアはs:1973年セ・リーグの最終決戦参照)[14]。
- 11月1日 - 日本シリーズで南海を4勝1敗で下し、9年連続日本一達成。
- 11月20日 - ドラフト会議が行われ、愛知学院大学の小林秀一を1位指名するが球団史上初めて入団拒否される[15]。
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[16]
表彰選手
ベストナイン
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
高橋一三 |
投手 |
4年ぶり2度目
|
王貞治 |
一塁手 |
12年連続12度目
|
長嶋茂雄 |
三塁手 |
16年連続16度目
|
柴田勲 |
外野手 |
3年連続4度目
|
ダイヤモンドグラブ賞
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
堀内恒夫 |
投手 |
2年連続2度目
|
王貞治 |
一塁手 |
2年連続2度目
|
長嶋茂雄 |
三塁手 |
2年連続2度目
|
柴田勲 |
外野手 |
2年連続2度目
|
高田繁 |
2年連続2度目
|
ドラフト
脚注
注釈
- ^ この日、公の場での胴上げはお預けとなったが、宿舎に戻ってから広間で「控えめ」に胴上げが行われた[3]。
出典
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1930年代 | |
---|
1940年代 | |
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
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2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|