野球における三冠(さんかん、英語:Triple Crown)とは、打者の場合、日本プロ野球(NPB)およびメジャーリーグベースボール(MLB)において1シーズンに1人の打者が首位打者(打率トップ)・本塁打王・打点王の3つのタイトルを獲得することである[1][2]。打者の選手が三冠を達成した場合は「三冠王」と呼びNPB、MLBともに表彰される[1]。
投手の場合、MLBでは1シーズンに1人の投手が最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振の3つのタイトルを獲得すること[3]と定義されているが、日本プロ野球では定義されていない。日本では、1リーグ時代から最高勝率が連盟表彰とされてきたことから、2000年代前半までは投手三冠といえば最多勝利・最優秀防御率・最高勝率を指すことが一般的であった[4][5][6][注釈 1]。打者の三冠とは違い投手の三冠はNPBでは表彰の対象ではない。
一般的に「三冠王」とのみ表記される場合は打者の三冠王のことを指し、投手が三冠を達成した場合は「投手三冠王」と区別して呼んでいる。
概要
日本プロ野球においては、中島治康が1938年秋のシーズンで打撃3タイトルを独占した当時は、「打撃3部門の全てで1位となった」ことへの認識が薄く、話題にはならなかった[7]。後に1953年から1958年にかけて、西鉄ライオンズの中西太が、4度にわたって打撃3タイトルの独占を僅差(1打点差や打率数厘差)で逃すという出来事があった[7]。この時期の中西を巡る報道の中で、打撃3タイトルの独占が「トリプルクラウン」として取り上げられるようになり、「トリプル冠」「三重勝」といった表現の試行を経て、1958年頃から「三冠王」という訳語がマスコミで定着した[7]。1965年に野村克也が打撃3タイトルを独占した際には、「三冠王」として大きく報道されている[7]。
この事実を紹介した日本経済新聞の記事では、先に存在していた競馬の「三冠馬」という言葉の影響を受けた可能性が強いとも指摘している[7]。
NPBおよびMLBにおける公式の定義以外でも、メディアなどでは野球におけるその他のタイトルやリーグトップの複数の記録の獲得、あるいは野球以外の競技における複数の最高記録の獲得を「○冠」と呼ぶ場合がある。
NPB
打者部門
年度 |
リーグ |
選手名 |
所属球団 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
その他リーグ1位の項目 |
備考
|
1938年秋 |
日本野球連盟 |
中島治康 |
東京巨人軍 |
.361 |
10 |
38 |
安打・塁打・出塁率・長打率 |
MVP プロ野球史上初
|
1965年 |
パ・リーグ |
野村克也 |
南海ホークス |
.320 |
42 |
110 |
得点・安打・塁打・敬遠 |
MVP(満票) 戦後および2リーグ制以降初 捕手による達成は唯一
|
1973年 |
セ・リーグ |
王貞治(1) |
読売ジャイアンツ |
.355 |
51 |
114 |
得点・安打・塁打・四球・敬遠・出塁率・長打率 |
MVP(満票) セ・リーグ初
|
1974年 |
セ・リーグ |
王貞治(2) |
読売ジャイアンツ |
.332 |
49 |
107 |
得点・塁打・四球・敬遠・出塁率[注釈 2]・長打率・OPS |
MVP、史上最年長(34歳)での達成
|
1982年 |
パ・リーグ |
落合博満(1) |
ロッテオリオンズ |
.325 |
32 |
99 |
安打・二塁打・塁打・出塁率・長打率 |
MVP プロ入り最速(4年目)での達成
|
1984年 |
パ・リーグ |
ブーマー・ウェルズ |
阪急ブレーブス |
.355 |
37 |
130 |
安打・塁打・OPS |
MVP 外国人選手初[注釈 3] 入団から最速(2年目)での達成
|
1985年 |
セ・リーグ |
ランディ・バース(1) |
阪神タイガース |
.350 |
54 |
134 |
安打・塁打・出塁率・長打率 |
MVP[注釈 4]
|
1985年 |
パ・リーグ |
落合博満(2) |
ロッテオリオンズ |
.367 |
52 |
146 |
得点・塁打・四球・敬遠・出塁率・長打率[注釈 5] |
MVP 隔年での達成は2023年現在唯一
|
1986年 |
セ・リーグ |
ランディ・バース(2) |
阪神タイガース |
.389 |
47 |
109 |
安打・塁打・四球・敬遠・出塁率・長打率[注釈 6] |
打率はNPB記録[注釈 7]
|
1986年 |
パ・リーグ |
落合博満(3) |
ロッテオリオンズ |
.360 |
50 |
116 |
得点・四球・敬遠・出塁率・長打率 |
最多となる3回目の達成
|
2004年 |
パ・リーグ |
松中信彦 |
福岡ダイエーホークス |
.358 |
44 |
120 |
得点・安打・塁打・出塁率・長打率 |
MVP 平成唯一の達成[8]
|
2022年 |
セ・リーグ |
村上宗隆 |
東京ヤクルトスワローズ |
.318 |
56 |
134 |
得点・塁打・四球・敬遠・出塁率・長打率 |
MVP(満票) 令和初、史上最年少(22歳)での達成[注釈 8]
|
2024年シーズン終了時点で12例(8人)の三冠王が誕生している。史上初の三冠王は1938年秋の中島治康である。複数回達成しているのは王貞治(2度)、ランディ・バース(2度)、落合博満(3度)[9]。
1938年秋に中島治康、1973年に王貞治、1982年に落合博満、1985年にランディ・バース、2004年に松中信彦が、首位打者・本塁打王・打点王・最多安打・最高出塁率の打者五冠王になっている。また1995年にイチローが首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率の打者五冠王になっている[注釈 9]。
投手部門
「*」は当時連盟表彰対象外の項目
年度 |
リーグ |
選手名 |
所属球団 |
勝利 |
防御率 |
奪三振 |
その他のリーグ1位 |
備考
|
1937年春 |
日本野球連盟 |
沢村栄治 |
東京巨人軍 |
24 |
0.81 |
196* |
勝率・完投・完封・無四球 |
MVP 日本プロ野球史上初
|
1938年秋 |
日本野球連盟 |
ヴィクトル・スタルヒン |
東京巨人軍 |
19 |
1.05 |
146* |
勝率・完投・完封・無四球・投球回数 |
|
1943年 |
日本野球連盟 |
藤本英雄 |
東京巨人軍 |
34 |
0.73 |
253* |
登板・先発・勝率・完投・完封[注釈 10]・投球回数 |
防御率はNPB記録
|
1948年 |
日本野球連盟 |
中尾碩志 |
読売ジャイアンツ |
27 |
1.84 |
187* |
|
沢村賞 戦後初・左投手初
|
1954年 |
セ・リーグ |
杉下茂 |
中日ドラゴンズ |
32 |
1.39 |
273* |
登板・勝率・完封・投球回数 |
MVP(満票)・沢村賞 セ・リーグ初
|
1954年 |
パ・リーグ |
宅和本司 |
南海ホークス |
26 |
1.58 |
275* |
投球回数 |
新人での達成、19歳での達成は史上最年少[注釈 11] パ・リーグ初
|
1958年 |
セ・リーグ |
金田正一 |
国鉄スワローズ |
31 |
1.30 |
311* |
完封・WHIP |
沢村賞[注釈 12]
|
1958年 |
パ・リーグ |
稲尾和久(1) |
西鉄ライオンズ |
33 |
1.42 |
334* |
登板・投球回数・WHIP |
MVP
|
1959年 |
パ・リーグ |
杉浦忠 |
南海ホークス |
38 |
1.40 |
336* |
先発・勝率・完封・WHIP |
MVP(満票)
|
1961年 |
パ・リーグ |
稲尾和久(2) |
西鉄ライオンズ |
42 |
1.69 |
353* |
登板・勝率・完投・投球回数[注釈 13] |
勝利数はNPBタイ記録 奪三振は歴代2位、パ・リーグ記録 2度の達成は歴代2位
|
1961年 |
セ・リーグ |
権藤博 |
中日ドラゴンズ |
35 |
1.70 |
310* |
登板・先発・完投・完封・無四球・投球回数[注釈 14]・WHIP |
沢村賞 新人での達成[注釈 15]
|
1978年 |
パ・リーグ |
鈴木啓示 |
近鉄バファローズ |
25 |
2.02 |
178* |
先発・完投[注釈 16]・完封・無四球・WHIP |
31歳での達成は史上最年長
|
1980年 |
パ・リーグ |
木田勇 |
日本ハムファイターズ |
22 |
2.28 |
225* |
勝率・完投・投球回数 |
MVP 新人での達成[注釈 17]
|
1981年 |
セ・リーグ |
江川卓 |
読売ジャイアンツ |
20 |
2.29 |
221* |
勝率・完投・完封・WHIP |
MVP
|
1985年 |
セ・リーグ |
小松辰雄 |
中日ドラゴンズ |
17 |
2.65 |
172* |
|
沢村賞
|
1990年 |
パ・リーグ |
野茂英雄 |
近鉄バファローズ |
18 |
2.91 |
287 |
勝率・完投・投球回数 |
MVP・沢村賞 新人での達成
|
1999年 |
セ・リーグ |
上原浩治 |
読売ジャイアンツ |
20 |
2.09 |
179 |
勝率・無四球・WHIP |
沢村賞 新人での達成
|
2006年 |
パ・リーグ |
斉藤和巳 |
福岡ソフトバンクホークス |
18 |
1.75 |
205 |
勝率・完封・無四球・投球回数 |
沢村賞
|
2010年 |
セ・リーグ |
前田健太 |
広島東洋カープ |
15 |
2.21 |
174 |
完投・投球回数・WHIP |
沢村賞
|
2018年 |
セ・リーグ |
菅野智之 |
読売ジャイアンツ |
15 |
2.14 |
200 |
完投・完封・投球回数・WHIP |
沢村賞
|
2020年 |
パ・リーグ |
千賀滉大 |
福岡ソフトバンクホークス |
11 |
2.16 |
149 |
|
|
2021年 |
パ・リーグ |
山本由伸(1) |
オリックス・バファローズ |
18 |
1.39 |
206 |
先発・勝率・完投・完封・投球回数・WHIP |
MVP・沢村賞
|
2022年 |
パ・リーグ |
山本由伸(2) |
オリックス・バファローズ |
15 |
1.68 |
205 |
先発・勝率・完投・完封・投球回数 |
MVP・沢村賞 2年連続は史上初
|
2023年 |
パ・リーグ |
山本由伸(3) |
オリックス・バファローズ |
16 |
1.21 |
169 |
勝率・WHIP |
MVP・沢村賞 3度達成は歴代最多
|
2024年シーズン終了時点で投手三冠王は24例(21人)。史上初の投手三冠王は沢村栄治である。外国人史上初はヴィクトル・スタルヒン。複数回達成しているのは稲尾和久(2度)と山本由伸(3度、連年達成)。
沢村賞とのWタイトルになることが多く、沢村賞制定(1947年)以降に対象リーグ(1950 - 1988年はセ・リーグのみ、1989年以降は両リーグ対象)の投手三冠は15例あるが、うち13例で沢村賞を獲得している(1981年江川卓・2020年千賀滉大のみ不選出)。
他方、MVPとの親和性は打者三冠王よりも低く、投手三冠を達成したケースでMVPに選出された事例は、全体の半分に満たない(全体で24例中、MVP10例[注釈 18])。
球団別では、巨人7回、南海(現在のソフトバンク)4回、中日3回、西鉄(現在の西武)2回、近鉄2回、オリックス3回、国鉄(現在のヤクルト)1回、日本ハム1回、広島1回。
投手○冠
投手○冠という場合の項目はマスコミ等でも統一されていないため、最高勝率タイトルを含めて4冠と呼ぶことがある。さらに、元記録員としてたびたび個人記録に介入した宇佐美徹也は、この4冠に「球威を現すバロメーター」という理由で[10]最多完封を加えて投手5冠王とすることで、打者の三冠王に「匹敵する五冠王と呼んだらどうだろう」と提唱した(ただし、なぜ完封が「球威を現すバロメーター」なのかに関する説明はない)[11]。このように、投手5冠とは宇佐美が自説として創作した称号であるが、近年は宇佐美に合わせてこの5項目を投手5冠とする報道がある[12]。
2023年シーズン終了時点で投手5冠王達成者は1937年春の沢村栄治(巨人)、1938年秋のスタルヒン(巨人)、1943年の藤本英雄(巨人)、1954年の杉下茂(中日)、1959年の杉浦忠(南海)、1981年の江川卓(巨人)、2006年の斉藤和巳(ソフトバンク)、2021年・2022年の山本由伸(オリックス)の8人(9回)。斉藤和巳以外は所属チームがいずれもリーグ優勝を果たしている[13]。こちらはMVPとの親和性が高く、リーグ優勝を果たした7人のうちスタルヒン、藤本英雄を除く5人がMVPを受賞している[注釈 19](2006年の斉藤和巳もMVP投票において1位票を最も多く獲得していた[14])。
その他
- 同シーズンに打者部門・投手部門の両方で三冠王の達成者が出たのは、1938年秋・1985年・2022年の3回である。
MLB
パンチョ伊東のエッセイによると、打点がリーグの記録として公表されるようになったのは1907年からであり[注釈 23]、当時は打点の定義がリーグによって微妙に違いがあったため、それを統一して公式記録となったのは1920年からであるという[注釈 24]。さらに当時の本塁打の多くは「ランニング本塁打」であったので、ほとんど注目されておらず、本塁打は三塁打の延長程度に考えられていた[注釈 25]。従って、1910年代までの打撃の「三冠王」とは、打率・安打数・得点数の部門を制した選手を指していた[注釈 26][注釈 27]。
打者部門
打撃6部門制覇は1909年にタイ・カッブが記録している。監督兼任での達成は1925年のロジャース・ホーンスビーが記録している。
年齢は達成年度の年齢。リーグのNLはナショナルリーグ、AAはアメリカン・アソシエーション、ALはアメリカンリーグ。不明は記録不明。()はランニング本塁打の本数(判明している数のみ。走本0本の場合は未記載)、走本はランニング本塁打の意。守備位置は達成年に最も守ったポジション。外野手は右翼手など詳細が判明している場合は記載。盗塁の太字はリーグトップ。
年度 |
年齢 |
選手名 |
リーグ |
所属球団 |
守備位置 |
打席 |
打率 |
本塁打(ランニング 本塁打)
|
打点 |
盗塁 |
備考
|
1878年 |
23歳 |
ポール・ハインズ |
NL |
プロビデンス・グレイズ |
外野 |
右 |
.358 |
4(1) |
50 |
- |
メジャーリーグ初の三冠王
|
1887年 |
29歳 |
ティップ・オニール |
AA |
セントルイス・ブラウンズ |
外野 |
右 |
.435 |
14(1) |
123 |
30 |
本塁打数に加え、安打数、二塁打数、三塁打数も1位
|
1894年 |
27歳 |
ヒュー・ダフィー |
NL |
ボストン・ビーンイーターズ |
外野 |
右 |
.440 |
18 |
145 |
48 |
MLB歴代最高打率記録
|
1901年 |
26歳 |
ナップ・ラジョイ |
AL |
フィラデルフィア・アスレチックス |
二塁 |
右 |
.426 |
14(4) |
125 |
27 |
二塁手史上初の達成。近代野球初の三冠王、近代野球以降でのMLB歴代最高打率
|
1909年 |
22歳 |
タイ・カッブ |
AL |
デトロイト・タイガース |
外野 |
左 |
.377 |
9(9) |
115 |
76 |
三冠に加え盗塁数・安打数・出塁率もMLB全体で1位、三冠王唯一の全てランニング本塁打。打撃三冠王の史上最年少記録
|
1922年 |
26歳 |
ロジャース・ホーンスビー(1) |
NL |
セントルイス・カージナルス |
二塁 |
右 |
.401 |
42(4) |
152 |
17 |
二人目の二塁手での達成
|
1925年 |
29歳 |
ロジャース・ホーンスビー(2) |
NL |
セントルイス・カージナルス |
二塁 |
右 |
.403 |
39(1) |
143 |
5 |
史上初の二度目の三冠王。投手も含め唯一の監督兼任での達成。
|
1933年 |
25歳 |
ジミー・フォックス |
AL |
フィラデルフィア・アスレチックス |
一塁 |
右 |
.356 |
48 |
163 |
2 |
一塁手史上初の達成、初の両リーグから打撃三冠王誕生
|
1933年 |
28歳 |
チャック・クライン |
NL |
フィラデルフィア・フィリーズ |
右翼 |
左 |
.368 |
28(1) |
120 |
15 |
二人目の盗塁王経験者の達成
|
1934年 |
31歳 |
ルー・ゲーリッグ |
AL |
ニューヨーク・ヤンキース |
一塁 |
左 |
.363 |
49(1) |
165 |
9 |
二人目の一塁手での達成。三冠王の最多打点記録、最年長記録。最後のランニング本塁打を含む三冠王
|
1937年 |
25歳 |
ジョー・メドウィック |
NL |
セントルイス・カージナルス |
左翼 |
右 |
.374 |
31 |
154 |
4 |
最後のNL打撃三冠王
|
1942年 |
23歳 |
テッド・ウィリアムズ(1) |
AL |
ボストン・レッドソックス |
左翼 |
左 |
.356 |
36 |
137 |
3 |
|
1947年 |
28歳 |
テッド・ウィリアムズ(2) |
AL |
ボストン・レッドソックス |
左翼 |
左 |
.343 |
32 |
114 |
0 |
メジャー最多タイ記録の二度目の三冠王
|
1956年 |
24歳 |
ミッキー・マントル |
AL |
ニューヨーク・ヤンキース |
中堅 |
両 |
.353 |
52 |
130 |
10 |
スイッチヒッター史上初の達成、現在でも史上唯一。三冠王の最多本塁打記録
|
1966年 |
30歳 |
フランク・ロビンソン |
AL |
ボルチモア・オリオールズ |
右翼 |
右 |
.316 |
49 |
122 |
8 |
黒人選手として史上初、現在でも史上唯一の三冠王
|
1967年 |
27歳 |
カール・ヤストレムスキー |
AL |
ボストン・レッドソックス |
左翼 |
左 |
.326 |
44 |
121 |
10 |
20世紀最後の達成
|
2012年 |
29歳 |
ミゲル・カブレラ |
AL |
デトロイト・タイガース |
三塁 |
右 |
.330 |
44 |
139 |
4 |
三塁手史上初の達成、メジャーリーグ45年ぶり
|
参考記録 フレッド・ダンラップ 打率.412 本塁打13 打点不明
1884年にユニオン・アソシエーションでの記録。安打数 (185)、得点 (160)、本塁打 (13)、打率 (.412)、出塁率 (.448)、長打率 (.621)はいずれもリーグトップ。ユニオン・アソシエーションにおける個人の打点数は現在も判明していないが、他の部門の成績から見て、この年のユニオン・アソシエーションの「三冠王」になっていたと思われる。
投手部門
投手5部門制覇は1884年にチャールズ・ラドボーン、1930年にレフティ・グローブが記録している。
両リーグからの達成はUA、AA、NLなどの3リーグ以上ある場合の2リーグから誕生も含む。セーブの太字はリーグトップ。
また、メジャーリーグベースボールの三冠王一覧も参照
KBO
打者部門
年度 |
選手名 |
所属球団 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
備考
|
1984年 |
李萬洙 |
三星ライオンズ |
.340 |
23 |
80 |
|
2006年 |
李大浩(1) |
ロッテ・ジャイアンツ |
.336 |
26 |
88 |
|
2010年 |
李大浩(2) |
ロッテ・ジャイアンツ |
.364 |
44 |
133 |
最多記録となる2度目の打者三冠王
|
投手部門
年度 |
選手名 |
所属球団 |
勝利 |
防御率 |
奪三振 |
備考
|
1986年 |
宣銅烈(1) |
ヘテ・タイガース |
24 |
0.99 |
214 |
|
1989年 |
宣銅烈(2) |
ヘテ・タイガース |
21 |
1.17 |
198 |
|
1990年 |
宣銅烈(3) |
ヘテ・タイガース |
22 |
1.13 |
189 |
|
1991年 |
宣銅烈(4) |
ヘテ・タイガース |
19 |
1.55 |
210 |
最多記録となる4度目の投手三冠王
|
2006年 |
柳賢振 |
ハンファ・イーグルス |
18 |
2.23 |
204 |
新人王とMVPを同時受賞
|
2011年 |
尹錫珉 |
起亜タイガース |
17 |
2.45 |
178 |
|
2023年 |
エリック・フェッド |
NCダイノス |
20 |
2.00 |
209 |
|
CPBL
打者部門
林立は2022年に首位打者、打点王のタイトルを獲得、また本塁打数もリーグトップタイであったが、規定により本塁打王とは認められず、三冠王は惜しくも逃している。[注釈 28]
投手部門
脚注
注釈
- ^ 例えば、1999年の記事において、1990年に野茂英雄が投手部門のタイトルを独占したことが書かれた際も、奪三振を入れずに勝率を入れた形で投手三冠とされている(毎日新聞1999年10月15日大阪夕刊)。
- ^ この年の158四球・45敬遠・出塁率.532・OPS1.293は日本記録
- ^ 王貞治は中華民国籍だが日本の学校を卒業したため野球協約により日本人選手扱い。
- ^ 打点は下記の村上と並ぶNPB左打者記録
- ^ この年の長打率.763はパ・リーグ記録
- ^ この年の長打率.777は歴代2位・NPB左打者記録
- ^ 三冠王になりながらMVPを逃したのは、下記の落合と共に史上初
- ^ 本塁打は歴代2位・左打者記録
- ^ 本塁打はトップに3本差であり、この年の本塁打王は小久保裕紀(ダイエー)。
- ^ この年の19完封はNPBタイ記録
- ^ 2022年現在唯一、投手三冠ながらベストナインを逃している(この年は優勝した西鉄の西村貞朗が受賞)
- ^ この年の防御率1.30はNPB左投手記録
- ^ この年の404イニングはパ・リーグ記録
- ^ この年の429.1イニングはセ・リーグ記録
- ^ 勝利数・奪三振・完封・無四球試合はNPB新人記録
- ^ この年の30完投はパ・リーグ記録
- ^ 左投手の投手四冠は2022年現在唯一、左投手の投手三冠も2022年現在最後
- ^ 投手四冠に限定すると、14例中MVP9例
- ^ スタルヒンが達成した1938年秋はチームメイトの中島治康が三冠王、MVPを獲得
- ^ 例として、1985年6月1日の阪神対中日9回戦(ナゴヤ球場)や10月20日の阪神対中日26回戦(甲子園)で直接対決をしている。バースが当時のシーズン本塁打記録歴代2位となる54号本塁打を打ったのは10月20日の試合で小松から打ったものである。
- ^ セ・パ交流戦で山本がヤクルト戦に登板しなかったため、村上と山本の両三冠王がシーズン中に直接対決をする機会は無かったが、同年のオールスターでは第2戦で対戦している。
- ^ この直接対決は、2022年現在唯一の三冠王同士としての直接対決である。
- ^ 「球聖・タイ・カップ(当時の表記法)自伝」の冒頭に掲げられているタイ・カッブの通算成績でも、最初の2シーズン分(1905年・1906年)は加算されていない。
- ^ このため、伊東は「今日でいう『三冠王』を初めて達成したのは、1922年のロジャース・ホーンスビーとなる」と記している。
- ^ 伊東によると、三冠王となった1909年シーズンのタイ・カッブの本塁打はすべて「ランニング本塁打」であったという。
- ^ 実際に古いボックス・スコアに記載されている打撃成績は、打数・得点・安打・打率のみである。その他は注釈として、個々の長打や塁打数、盗塁などが別枠に書かれていた。
- ^ ただし、2001年発刊の『メジャーリーグ100年「記録の達人」』(ベースボール・マガジン社 ISBN 4-583-61167-6)でのタイ・カッブの項目には、『1909年に打率.377、本塁打9、打点107で三冠王になっても、その価値は認めなかったはずである。当時は三冠王と言えば、安打数、打点、打率が1位である選手を指し、カッブは07年、08年、09年、11年にその3部門でトップに立っている。安打数に代わって本塁打が三冠王の要素になったのは1910年代初頭……(省略)』と記されており、文献や資料によって意見が異なっている。カッブの自伝では「1900年代初期」の三冠王の定義は打率・打点・得点となっており、カッブ本人は生前に当時の三冠王について打率・安打・打点であったと述べている(カッブは現役が長かったため、具体的にいつの年かは不明)。また、「ベーブ・ルースが1920年に54本塁打を放つ頃までは、本塁打はあまり重要視されていなかった」という点については、すべて共通している。
- ^ CPBLでは各タイトルの受賞者を1人に限定している。本塁打王は14本と同数ながらより打数が少ない吉力吉撈・鞏冠が獲得した。
参照
参考文献